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山烏賊(イカ)の謎[閲覧注意]
あまり気持の良いお話ではないので、閲覧注意ということにしておく。
山烏賊(イカ)という料理がある。今では山烏賊というと、一般的にはウドのことを指す。
昔はどうだったのかというと、有名なのは鴬亭金升の『明治のおもかげ (岩波文庫)』(昭和二八(一九五三)年)に出てくる山烏賊だろう。
明治の一五年あたり、東京の芸人が秩父で食事をしたところ、なんとも不思議な食感を持った酢の物が出てきた。これはなんですかと問うたところ、この辺りでは一番の御馳走で山烏賊だと言う。この先で山烏賊を育てているというので行ってみると、納屋の中でナメクジを飼っており、芸人は胸が悪くなってしまった……というエピソードだ。
本当らしい話なのだが面白すぎて信じ難い。その一方で海のない地域では、ナメクジを山烏賊と称して食べていたというような話を、他の場所でも聞いたことがあるような気もする。
気になったので少々調べてみると、どうやら山烏賊というのは定番のネタらしい。
甲源一刀流祖人逸見多四郎 西尾麟慶 講演[他] 朗月堂 明治三二(一八九八)年こちらはカタツムリになっているが、『明治のおもかげ』のエピソードとよく似ている。山烏賊を食べるのは芸人、場所は秩父で同じ、食べた後に真相を知り、気持が胸が悪くなるところまでも同じである。鴬亭金升自身も落語のネタを作っているため、当然こういった小話には通じていたと考えるのが自然である。山烏賊は、ある時期には有名なネタだったのだろう。
それでは山烏賊は実在したのかというと、これがなかなか難しい。
実はナメクジは、あまり美味くはないらしい。
http://rocketnews24.com/2012/10/14/253764/
(こちらも人によっては気持が悪く感じると思うので閲覧注意)カタツムリのほうが美味ということだが、カタツムリはごちそうで、ナメクジは常食というように分けていたのだろうか?ナメクジもカタツムリも食べたことがないため、どうも感覚的に分からない。さらについ最近まで、ナメクジは喉の薬として用いられていた。薬を日常的に食べていたというのも少々おかしい。
芸人たちがウドを山烏賊と呼んでいたのを面白がり、ナメクジやカタツムリを食べさせられたとネタにしてしまったというのが自然に感じるが、真相はよく分からない。ここではそういうネタがあったのだということにしておこう。
ところで地域をネタにした場合、褒めておくというルールを存在する。先程の講談速記本の場合、は山烏賊で秩父を落しておいて、今はこうだと書いている。
これは万が一その地域から来ているお客様がいた場合、嫌な気持のまま帰らさせてはならないという気配りだ。
ちなみに『甲源一刀流祖人逸見多四郎』が出版されたのは明治三十二年、この頃には山烏賊も今は昔の物語となっていたのだろう。
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電子書籍は難しい
電子書籍は難しい。ただし私自身はすでに紙の本から完全に電子書籍に移行してしまい、便利さを毎日のように実感している。
電子書籍の主なメリットとしては、- 読む際の肉体的な負担が減る
- 二〇〇〇冊以上常に持ち歩ける
- 読書メモを書くのがすごく楽
というような感じで、結果として二倍以上読め三倍情報を蓄積できるようになっている。とにかくものすごく便利で最高すぎる。
その一方で便利に読もうとすると、かなりの苦労を強いられる。以前にこういう状況を信頼感がないと称してメチャ怒られたんだけど、今もあんまり感想は変わっていない。電子書籍は、便利に使うには難しすぎる。
なにが難しいのかを理解しておくと、環境を整える役に立つのだが、なにが難しいのか分かるまでかなり苦労した。そんなわけで、私の感じた難しさについてまとめておく。フォーマットが違うと同じように扱えない
電子書籍のフォーマットはひとつではない。テキストファイルもあれば EPUB もあり、PDFもあれば自炊ファイルもある。
これはユーザーから見れば全て本だ。なのに扱い方を変えなくてはならない。
これに関しては未だにものすごい苦悩をしていて、とにかく全てを同じように扱いたいがために、メタデータを埋め込んだりしてみたけどどうにも無理っぽい。
そもそも頑張ってメタデータをファイルに埋め込んだとしても、電子書籍管理ソフトにあまり使いやすいものがなく、自分で作ったショボい環境でファイル名やテキストデータ検索したほうが便利だったりする。本の種類でも扱い方が違ってくる
電子書籍を大量に扱っている人を検索し、その手法を参考にしようとする。ところが読んでいる書籍の種類が違うと、大幅に扱い方が変ってくるため、全く参考にならないというような事がよくある。
分りやすい例を上げると、漫画本と活字本というのがある。
活字本というのは、大抵は一冊で完結する。たまに100巻以上ある小説もあるけれど、ほとんどは一冊だ。ところがコミックは巻数が多い。一作品あたり平均の巻数が十巻だとすると、三〇〇〇冊で三〇〇作品、活字本だと三〇〇冊向けの管理方法だということになる。だから漫画三〇〇〇冊に適した優れた管理方法であったとしても、活字本三〇〇〇冊にその手法を当てはめることが出来るとは限らない。
漫画と活字本だけでなく、雑誌はまた違う管理方法が必要だろうし、ジャンルの違いによっても状況が変ってくる可能性すらある。与えられている方法でも便利だとは限らない
こういう面倒なことを避けるため、販売されている電子書籍に絞って読むという方法がある。
思い出した時に kindle ショップを覗き、便利になってるかな程度の気持で利用する程度だから、本格的に使い始めるとどんな不満が出てくるのかは知らないが、どんどん良くなっているなとは思う。与えられている方法でそのまま読むのであれば、かなりに便利に使うことができるのだろう。
しかし残念なことに販売されている電子書籍は、書店別に管理しなくてはならない。紙の本の世界で、購入した書店別に本棚を整理している人は、ほとんどいないと思う。
この不便さから抜け出すためには、購入したファイルを抜き出して、DRM を解除してファイル名を変更し……となり、またたく間に面倒くさい世界に戻ってしまう。雑感
これはあくまで私の感じた電子書籍の難しさで、人によって不便に思う場所は違って当然だろうし、大満足の人も多くいると思う。特に管理に関しての難しさは、私の記憶力が異常に悪いというのに起因しているような気もする。
しかし少数ながら不満に思う人がいるというのも事実であって、そういう人は手持ちの電子書籍に合わせ、現状と少しの未来を考慮しながら、なんとか工夫しながらやってくしかないというのが、残念ながら事実なんだと思う。
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日本が好きだと言いにくい時代
俺ほどちらかというと日本が好きなんだけど、最近は日本が好きだと言いにくいなって感じてる。それだけではなく、日本の話題すら話しにい。
なんでそう感じるのかっていうと、愛国心みたいなのが向上してたり、反愛国心みたいなのが盛り上がったりしているからです。
ヘイト・スピーチ人間だったり、リベラル人間と同じに思われるのが嫌っていうわけではなくて、俺の好きな日本の文化が微妙だから面倒なことが多い。例えば明治の末から大正時代に書かれた日露戦争関係の作品には、日本の軍人が大砲でロシア兵をボッコボコに殴り殺して旅順攻略してしまう物語がいくつかある。
日本兵に大砲でブン殴られるロシア兵の図これは一種の愛国心ギャグで、当時この作品を真面目に読んだ人は日本人は強いって思うし、そうでない人は大砲あるなら殴らず撃てよってツッコミを入れながら読む。かなり昔から日本にはこういう高度なギャグがあっていうだけの話で、それだけの事実でしかない。自分の感想を書くとしたら、昔の日本のギャグはレベル高いなぁくらいのものでしかない。
ところが今みたいに愛国心とリベラルみたいなのが盛り上がっていると、こういう事実を愛国心っぽい文脈で読んだり、リベラルリーディングして、書かれてない事実で怒ったり喜んだりする人が出てくる。だから気を使いながら書かなきゃならないんだけど、そういうのが邪魔くさいし面倒くさい。
そんなことで嫌になるくらいなら最初から書くなッ!!!!とか言論の自由のために戦えッ!!!!!!みたいなゴミとそっくりの意見もあるんだろうけど、俺は特に主張とかなく、なんとなく好きなものを、なんとなく紹介してるだけだから、そんなこと言われてもなぁって感じがする。
ぶっちゃけ俺は今の政治とか社会にあまり興味がないので、なんでこんなことになってんだか、あんまり事情が分かってない。その上さっきも書いたけど、俺が好きな日本の文化っていうのは、良いとも悪いとも評価できないような微妙なものなので、誰がどういう話題でどういう風に気分を害するのか、明確に判断を付けるのが難しい。
そんなわけでたまに失敗すると、俺の人格やら性格があまり好ましいものではないというのもあいまって、コメント欄が厳しい人々からのありがたいご意見で目白押しになったりする。そういう時は、おかしなこと書いてすみませんって気持になると同時に、邪魔くさいし面倒くさい時代だなぁって改めて認識する。それで俺がなにを言いたいのかっていうと、特に言いたいことはなくて、これはただの愚痴なんだけど、自分の意思を明確に表明できない時代ってのはとにかく面倒くさくて邪魔くさいので、さっさと普通な感じになって欲しいところですねぇと思っている感じです。
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