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カレーうどん作るのがメチャ簡単になった
カレーうどんとは手抜きすると面倒な作業なしに完成する上、そこそこ美味いという特徴を持つ料理であり、うどん、牛肉、ネギ、バーモントカレー、白ダシ or 麺つゆがあれば完成する。
それで昨日の私は家から出ないで遊ぼうと思い、食べ物を調達するため格安スーパーに行くと、ゆでうどんが18円で売ってた。そんなわけで家から外に出ないで、カレーうどんだけ食い続けて暮すことに決め、昨日からカレーうどんしか食べていない。なんか作業が効率化されて、メチャ簡単に作れるようになった。
効率的な作り方を紹介すると、鍋を二つ用意、片方の鍋にうどん(ゆでうどんより冷凍のが美味い)、もう一方の鍋に適当に切った牛肉(肉じゃが用とかの安物)とネギとバーモントカレー2片、カレー粉がなんでバーモントカレーなのかというと、そこそこの塩気と甘みがあるからで、あとは白ダシと気分によっては料理酒を入れて、下の写真の様な状態にする。
雑なネギの切り方や小汚い写真からも分かるように、ここはお料理ブログでもクックパッドでもレシピサイトでもないが、カレーうどんを完成させるため、二つの鍋に熱湯を注ぎ込み、カレー汁のほうを火にかけ、うどんを混ぜたり、カレー汁のほうを混ぜたりする。ゆでうどんはあんまり茹でると不味くなるので、ここでは火にはかけません。
なんか写真が小汚くて悪いけど、クックパッドじゃないから許してくれ頼む!!! そうこうするうちにカレー汁が沸騰するので、うどんを投入し混ぜたら火を消して完成です。普通は水で溶いた片栗粉を入れるけど、カレールーだけで十分にトロトロになるし、入れていない。
もともと片栗粉は、カレールーの使用量を減らすために使われていたものな気がしてる。カレー粉は片栗粉より高いからね。お店のレシピが広がって、今の時代にまで残ってるんじゃないのかな? よく知らんけど。
ただしカレールーだけでとろみをつけると、味が濃くなる。だから白だしは控え目にしましょう。和風っぽいのが好きな人、汁をふんだんに味わいたい人は、片栗粉で対処したほうが良いと思いますよ。
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明治人がバターを嫌った理由?
本当に嫌いだったのか?
明治初期の人々はバターが嫌いって話がある。みんな大好き wikipedia から引用するとこういう感じ。初期の明治の一般庶民の多くはバターを生理的に受け付けられず、甚だしくは香りを嗅いたいただけで吐く者も多かった。Wikipedia:バター
バターの香りで吐くっていうのは、今の感覚だと少しだけおかしな話に思える。風味が嫌いだったのかなとか納得できなくもないけど、違和感は残る。
こういう感覚的に受け入れられない事柄には、だいたいなにかの理由がある。
明治の西洋料理ネタ
明治あたりにはブルーチーズなど、当時としてはかなり変った食べ物がすでに輸入されていた。
例えば当時の落語というか小話に、こういうネタがある。
洋行かぶれの人が西洋料理店で通ぶって、まさかないだろうと変ったもの(カース・マルツゥかブルーチーズの場合が多い)を注文する。ところが料理店がたまたま輸入していて、本当に変った食べ物が出てくる。料理店も客も適切な保存方法も食べ方も知らないから、当然ながらとてもマズい。それを通ぶった男が脂汗を流しながら我慢して食べる……というようなネタだ。
分かる人には分かるんだろうけど、これは酢豆腐を焼き直したネタで、明治の半ばあたりに発生している。この様に珍しくて癖のある調味料や料理は、明治の時代には小話のネタにされる程度には存在している。
奇妙な食材が出てくるということは、当然ながら普通の洋食も好きな人は好きで、明治四十年代のレシピにはバター炒めやロールキャベツなどが出てくる。明治初期と明治四十年代は違う時代といっても良いほど違うんだけど、明治十年代だと翻訳ものの西洋料理のレシピしか出てこないのであんまり役に立たない。
とにかくこういう事実を知っていると、バターというわりと普遍的に美味い食品を生理的に受け付けられなかったというのは、ますます怪しく思えてくる。美味いバターを美味いパンに付けて食べたら、明治人の半分くらいはやっぱり美味いと思うのではないのか?
それならなぜに、『一般庶民の多くはバターを生理的に受け付けられず、甚だしくは香りを嗅いだだけで吐く者も多かった』のか?
明治のバターは不味かった?
仮説として思い付くのが、明治の初期のバターが実際に不味かったのではないかということだ。
明治の初期の人々が、常にバター使う料理ばかり作っていたとも考えにくい。長期保存は必須だったのだろう。日本の気候だと、冷蔵庫がないとバターを長期保存するのは難しい。さらにバターは、保存方法が悪ければ、臭いも吸うし酸化もする。高温だと分離もする。明治初期の人々は、劣化したバターを食べることが多かったんじゃないのか?
実際に日本でバターの生産量が増えていくのは、三種の神器として冷蔵庫がランキングに入ってからのことだ。
http://www.j-milk.jp/tool/kiso/berohe0000004ak6-att/allpage.pdf
やはり日本で美味しくバターを食べるためには冷蔵庫が必須なのだろう。
さらに当時の輸送技術などを考えると、ますますバターの品質が怪しくなってくる。届くまでの時間もかかる上に、いくつかの資料から考えるに、バターは樽に詰めて運搬されたらしい。この時点で保存状態はかなり怪しい。
バター自体も輸入されていたのは発酵バターで、私たちが食べているバターよりも風味が強く、さらには長期保存のために塩と砂糖を硝石が混ぜられていた。当然のことながら、今より少し塩辛い。
この様に悪条件が揃っているため、明治初期のバターはあまり美味くなかったのだろう。
以上はあくまで仮説なので実例を探す必要がある。
中江兆民がマズいバターを食べていた
明治の初期に日本人がどのようなバターを食べ、どう思ったのかというような資料を探してみると、これがなかなか見つからない。ようやく探し当てたのが、速記者『若林玵蔵』による子供の頃の思い出話だった。若林玵蔵は安政四年生まれ、その彼が12歳の頃の思い出だから、明治一桁時代の話である。
愛嬌のある人で、余を愛して、親切に教えてくれたが、朝飯のとき、仏蘭西から持ち帰った缶詰のバタを取り出して、それを御飯にかけて舌鼓を打って、余にも食え、仏蘭西語でも学ぶものは、これを食わなければいかんぬといって、勧められたが、子供ながらもこれには閉口した。その人は中江という性であると記憶して居た
『若翁自伝』 若林玵蔵 述[他] 若門会 昭和一(一九二五)年この中江というのは中江兆民なのだが、今は関係ないので兆民についての詳しい話は置いておく。ここで重要なのは兆民の缶詰バターである。
フランスから持ち帰ったバターの缶詰がどのようなものか分からないが、バターは塩水漬け、もしくは表面を塩で覆われていたことは確実だ。当然ながら、今より塩辛かったと推測できる。
さらに兆民がいかに変人とはいえ、大量の缶詰バターを持ち帰り、毎朝一缶食べきっていたとは考えられない。おそらく開けた缶詰を何日に渡って食べていたのだろう。
西洋から持って帰ってきた缶詰のバターを開け、適切な保存もせずに酸化するに任せたものを飯にかけて食ったら、そりゃマズいよねってことですんなり納得できる。
少年時代の玵蔵も、炊きたてご飯に状態の良いバターと醤油をかけて食べていたら、『閉口』するどころか美味いと感じていたのかもしれない。
この一例だけでは弱いのだが、残念ながらこれ以上に明確で詳しい明治一桁時代にマズいバターの描写は、見つけることは出来なかった。
まとめ
以上のことから、下記のような流れが成立するんじゃないかと私は考えている。
- 明治ヒト桁あたりにマズいバターを食う
- バターはマズいという噂が流れる
- 先入観が完成する
- 明治の後期にバターを食うと明治初期よりマシだが今よりマズい
- 先入観もありバター生理的に受け付けない人が出てくる
そもそも『初期の明治の一般庶民の多く』が、それほどバターを食べているわけがない。なぜなら明治初期には、ほとんどバターが生産されていない。少量輸入されていただけだ。少量しか存在しないものを、多くの人が食べることはできない。伝聞によってバターの好悪を決定した人々もかなりの数いたと考えられる。
そんなわけで『一般庶民の多くはバターを生理的に受け付けられず、甚だしくは香りを嗅いだだけで吐く者も多かった』というのは、バター自体の味と匂いのみに起因するものではなく、今よりずっとバターがマズいという当時の特殊な事情が前提にあって成立したと考えると、違和感なく自然に受け取ることが出来る。
ちなみに明治の後期になると、バターやマーガリンにラードなどの動物油と着色料を混ぜて作った食品偽装が発生している。それを食べて不味いと思った人も存在する気がするが、本題とはズレるので紹介するに止めておく。
私は納得できてしまったので、ここで調査を止めてしまったが、気になる人はさらに調べてみるとさらに面白い事実を発見できるかもしれない。
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かっての日本人は人種やら国籍に対する意識が薄めだったのかも
あけましておめでとうございます。新年といえば明治だし大正といえば新年だ!!! というわけで、明治大正あたりの娯楽小説を読んでいると、かっての日本人は人種やら国籍に対する意識が曖昧だったように感じる。(今は知らないけど)
例えばイギリスでドリトル先生が黒人を馬鹿にしていた頃に、日本の小説の世界では武士道と騎士道を完全にマスターしたアフリカ出身の黒人が、ピンチに陥いった日本人を助けるため日本刀で悪人をぶった切っている。人種とか文化とか細かいことはどうでもいいから、黒人とか日本刀とか武士道とか騎士道とか、とにかく格好良いの集めりゃいいだろという雑すぎる思想を基盤として創作されている小説で、全ては万歳で済まされていく。
万歳に勢いがあるため理屈はともかくなるほどッ!!と納得してしまうんだけど、この小説が書かれたのは一九一〇年代のことだ。西洋でも人権意識が向上しつつある時代で、それが日本に輸入されて発生した小説だろうと言われてしまうと反論することができない。さらに日本では目にすることが少なかった黒人だから、フィクションの世界で活躍できたのだろうという指摘をされてしまうかもしれない。
ところがものすごい平等主義の人はいるもので、一八九八年に性格が雑で荒すぎるため国籍を持っていない長崎産まれの刺青をした江戸っ子の中国人が日本の軍人の部下になり、日清戦争に勝利するため大活躍するという小説が書かれていた。
まず主人公なのに性格が雑すぎて国籍がないというのが素晴しい上に、中国人なのに長崎産まれの江戸っ子かつ刺青をしていて、日清戦争に勝つために中国と戦うというのもすごい。それでこの人は下等です。
この小説で素晴しいのが、どんな下等人間だって、努力をすればなんとかなるという思考で、性格が雑で荒すぎるため国籍を持っていない長崎産まれの刺青をした江戸っ子の中国人は日本国の役に立つため、刺青をしたまま勉強をしまくる。
その結果、立派な人物になるんだけど、話の半ばで焼酎を一気飲みし、蟹を食いすぎて腹痛で死んでしまう。主人公が酒と蟹で死んでどうするんだよって感じだけど、主人公の跡を数学できなさすぎて死にそうになったおかしな日本人が継ぐ。それじゃやっぱり中国人を軽く扱ってるんじゃないかと言われてしまうかもしれないが、数学嫌いで死にそうになった日本人は、死ぬ場面すら描かれないまま死ぬ。切腹して死ぬ奴も出てくるし、義侠骨の中国人の富豪も死ぬ。国籍関係なしに色々と死ぬ。なんでそんなポンポン死ぬのかというと死ぬと感動するからで、当時の娯楽小説なんてものはこんなもんです。それで最終的には、美少女が加藤清正に祈りを捧げ日本が勝利する。
美少女と加藤清正いたら、性格が雑で荒すぎるため国籍を持っていない長崎産まれの刺青をした江戸っ子の中国人いらねぇじゃんって感じもするけど、とにかく美少女と加藤清正以外の主要登場人物はほぼ全員死ぬわけで、人種やら国籍やらどうでもいい感じに仕上がっている。
この様に粋でイナセで強くて渋くて感動できりゃ、国籍や人種は関係ないっていう思想が日本にはあった。私が知る限りだと、日本と中国、朝鮮の正義の少年たちが中国の海賊船に爆弾仕掛けて爆発させて海賊を皆殺しにしたり、大和魂を持ったイギリスの軍人が操縦する日本の美少女が発明した飛行艇に乗った日本軍人がピンチに陥ったダライラマを助けに行く小説などが明治には存在している。
こういった伝統を色濃く受け継いているのが男塾で、男らしさを追求するあまり、最早国籍や人種どころか気候に即した服装やら銃刀法などといった細かな事情が色々曖昧になっている。
魁!!男塾 第28巻 宮下あきら 集英社 1991/1/15
なんで『お前』が『おまえ』で『ら』が『等』なんだよとか、見れば見るほど細やかな雑さと荒らさが発生してくるものの、とにかく男らしければなんでも良いという気持が伝わってくる。
この様に人種やら国籍に対する認識が曖昧であれば曖昧であるほど、良い作品が発生する。日本の他国のコンテンツに比べて強いのも、人種やら国籍に対する認識が曖昧であるからと断言しても過言でもないかもしれないが、細かいことは分からないし自分でもおかしな事書いてる気するけど、だいたいそういう感じだろうと思う。間違ってるかもしれないけど、新年早々縁起が良いと思うし概ね万歳だと思う。
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