今朝、このニュースを見てとうとうバックラッシュがやってきたか、と憂鬱になった。フェミニズムの運動が盛んになるとやってくるのがバックラッシュだ。しかし、ここで後退してはいけない。
啓発動画はすでに削除されたが、それに対しての抗議の声が上がり始め、署名運動も数を伸ばしている。
Vチューバー擁護派の人は「これのどこがいけないのか?」「そんなことを言われたら、何も表現ができない」という意見が大半だ。何が問題なのか、この国に住んで暮らしていたら、確かに何がいけないのかわからなくなるのも当然だ。歓楽街へ行けば、風俗店が立ち並び、最近はやっとなくなったが、少し前まではコンビニでエロ本が買えた。秋葉原だけでなく、新宿や渋谷でも萌えイラストのポスターが堂々と貼られている。そんな日常を生きていたら、ミニスカートでヘソを出して胸を揺らすVチューバーの何がいけないのかなんてわからない。私たちは考えることをずっと奪われてきたのだ。そういうものだから、そうやってできているから。私も長い間、ずっとそうやって生きてきた。電車で痴漢にあうのも、制服がスカートなのも、短大に女しかいないことに理由なんて要らなかった。そういうふうにできているからだと信じていた。
しかし、フェミニズムを知ってからの私は変わった。知識がインプットされると今回のどこがいけないのかクリアになる。
今回の問題点は戸定梨香の容姿に一番問題点が多い。
まず、服装がセーラーカラーであり、元になっているのは制服であろう。Vチューバーに限らず、萌えイラストには制服のものが多い。制服を着ている少女というのは未成年であり、禁忌の体である。性的に消費されることが許されない年齢だ。
私は元、エロ漫画の編集者だったが、編集会議で「制服を着ている女の子を出すのはどうか」と軽い気持ちで提案した。男の人はみんな制服が好きだからという安直な理由である。しかし、会議で反対にあった。コンビニ流通系のエロ漫画では、制服を出してはいけないのだ。未成年だからというのが大きい理由である。つまり、売る側も売ってはいけない体だと理解している。けれど、制服ものは大変人気があるというのを会議で聞いた。
改めていうのもおかしい気持ちがするが、男性は未成年が大好きなのだ。そして、それを性的に消費したくてたまらないのだ。
今回問題になったVチューバーは制服を着ながら、ヘソを出している。そして、ミニスカート。本人の意図はどうであれ、見る側の男たちは性的に感じるだろう。そして、戸定梨香の喋り方はゆっくりとしてしたったらずで、まるで幼女だ。戸定梨香は男が望む、無垢で幼くエロい女、そのものなのである。だから、人気があるのだ。私は少なくとも、大勢の前でヘソを出したくないし、馬鹿っぽい喋り方もしたくない。
逆だったらどうだろうと考える。京アニのアニメで「Free!」という男性が水泳競技をするアニメがある。私も好きで見ているが、このキャラが公共の場で水着を着たまま、交通安全を訴え出したら「いやいや、そこまで女性たちにサービスしなくてもいいです!」と言いたくなる。
「Free!」を見ている私は萌えキャラの男性たちの水着や筋肉に魅力を感じるけれど、それは公共の場でおおっぴらにしていいものではないと知っている。しかし、男性たちにはそれがない。ずっと、女性が男性に媚を売る環境で育ってきたのだから。テレビをつければ綺麗な女性のキャスターが男性の話を聞いて頷き、雑誌を開けばいまだに女性の水着グラビアが載っている。
私が街を歩いていて、衝撃を受けた光景がある。キャバクラの女の子が首に「1時間三千円」というカードを下げて立って客引きをしていたのだ。しかも、新宿でも渋谷でもなく、都下の普通の街で。私が男でこの光景を見て育ったら、女性に対して値段をつけてもよく、女を物として扱っていいと考えて大人になるだろうと容易に想像できた。
もちろん、私もミニスカートを履いていたこともあるし、胸元が開いた服を着たこともある。その姿を自分で気に入ったからだ。しかし、お気に入りのワンピースを着て、夜道を歩いていたら、見知らぬ男に抱きつかれ、スカートの中に手を入れられ、下着を触られた。男たちは私の意思とは関係なく、勝手に性的なものとして消費していくのだ。
Vチューバーの戸定梨香は自分の着たい服を着ているのではなく、着させられている。戸定梨香自体、架空の存在であり、自分の意思はない。そして、男性の人気をとるためにどうするのが一番簡単かを考えた結果、あのような姿になったのだと考えている。男の欲望を一手に引き受ける戸定梨香の姿は私の目を通すと、非常にグロテスクに映るのだ。