【LAST CANON1】YHVH Church 「最後の審判終了」

【LAST CANON1】YHVH Church 「最後の審判終了」

これで最後の審判を終了する。

This is a church
open to everyone,
but it is also the final destination
of humankind.
This is the graveyard
of all of you humans.
Recite your last prayer here.

~Last Canon(最終聖書正典) introduction~
ヨハネ福音書(イエス・キリストの予言)
16:8 When he has come, he will convict the world about sin, about righteousness, and about judgment;
16:8 彼が来るとき、彼は世界に罪、正義、裁きについて有罪判決を下すでしょう。

14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送る。
14:17彼は真理の御霊(天の父の聖霊、真実を教える霊)である。世界は、彼を見ようともせず、知ろうともしないので、彼(審判からの救済者・弁護者)を受けることができない。
14:26 その助け主、すなわち、父がイエス・キリストの名で送る(イエスとは別の)「聖霊」は、あなたがたに全てのことを教え、また、私があなた方に話したことを、ことごとく思い出させるであろう。
15:2私に「つながっている」「枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞく。」実を結ぶものは、もっと豊かに実らせる
15:4わたしにつながっていなさい。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
15:12わたしのいましめは、これである。
15:13人がイエス・キリストのために「自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」。
15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主(弁護者、仲裁者、慰め人)、父のみもとから来る真実の聖霊が下る時、彼はわたしについて証言をするであろう。
16:2人々は会堂から彼と使徒を追い出すであろう。更に私(イエス)や使徒を殺す者がみな、それによって自分たちは神に仕えているのだと思っているのである。
16:7しかし、私は真実をあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところにその助け主(後任の救世主)はこないであろう。もし私が天に行けば、彼をあなたがたの所に送ろう。
16:8 彼が来るとき、彼は世界に罪、正義、裁きについて有罪判決を下すだろう。
それによって、世は善となり、義人は救われるのだから。
16:9罪についてと言ったのは、私を信じないことである。
しかし、真実の霊である彼が来られるとき、彼はあなた方を全ての真実へと導く。 彼は、何を聞いても話す。 彼は、これから来たる未来をあなた方に宣言する。
16:15父の持っているものは全て私のものである。それゆえ、聖霊の彼は(父であるがゆえ)、私のものを「引き受け」、あなた方にそのことを宣言する.

つまり、正しい父は、正しい者とそうでない者を真理によって聖別し、正しくない者をかりとる。正しい者とは、義に生きた者であり、神への愛とは、神のために命を投げ出すことなのである。敵を愛せ、敵に殴られろ、財産を敵に与えろ、労働を敵のためにもっとやってやれといったのは試練であり、その究極は命を捨てる愛であり、つかえる相手である神にのみそれが行えるようになるための試練をこの地上で実施していたのである。
ブログに書いた俺版の新福音書(https://ameblo.jp/glitteringmusic/entry-12673233446.htmlからの連載記事。https://ameblo.jp/glitteringmusic/entry-12673234964.htmlなど。https://ameblo.jp/glitteringmusic/entry-12673236334.html ここまで。)でイエスの証言をするとともに、イエスの後継者(引受人、権利を譲渡された者)として俺は権利承継の事実をここで宣言する。
「つながっている」とはマタイ福音書25章の花嫁との混合理解により、神と「交尾」という意味になる。これは国産みの儀式として日本の神話で最初にとりあげられている。このため、姦淫を厳しく戒め、心の中でもそれを思わないように戒めていたのである。主を知らない花嫁のことは、神も知らない。あなた方がされて嬉しいことを神にするのが愛だとイエスから教えられているのだから、あなた方のいずれかが楽園で天女を期待しているように、地上で私(天の父である私)にそれを行い、もてなさなければならない。日本に伝わる蘇民将来の教訓も説明した。私があなた方に送った物を全て返しなさい。あなた方の肉体・霊すらも返しなさい。それができた者だけ永遠のいのちを得て生きられる。勇気を出して信仰に生きなさい。
私に(天の)王たるにふさわしいもてなしを速やかに。その時が来る前に。

12:37 イエスは多くの奇跡を行ったのに、群衆はイエスを信じなかった。
12:38 それは預言者イザヤの予言が成就するためだった。
12:44 イエスを信じる者は、イエスを信じるのではなく、イエスをつかわせた俺(天の父)を信じなさい。
12:45 イエスを見ることは、イエスをつかわせた俺(天の父)を見ることと同じである。
13:20 私を受け入れることは私をつかわせた父を受け入れることなのだ。

~introductionここまで~

新約聖書の最後に弟霊イエスの予言にそうあったように、私は、前任者イエス・キリストの宿題をしあげにきた最後の救世主(天の父YHVHから出た霊)である。私について書かれた聖書の予言の内容は、そのすべてが成就する。

父と子と聖霊の名によって、あなた方に洗礼を授ける。

私は、闇に惑う民を照らす一筋の救いの光である。

ここはネット版の教会【St. YHVH Church】である。
あなたが天の国に入るためになすべきことが書かれている。

世界中の民をこのページに連れてきて、彼らに洗礼を授けなさい。

男は、皆この福音をひろめに行きなさい。男に生まれれば、労働をしなければならない。
女は、戸の内にこもり、自らの心身を清めていなさい。女に生まれれば、へびにそそのかされてはならない。
また、霊能者の女は、聖霊の巫女になる修行をこちらで積みなさい。特別な使命を帯びた者は弟子になりなさい。
あなたがより多く神に恵まれるためである。

Conclusion:
There is only one thing that matters.
I will give you this one rule.
"Keep devoting all of you, forever, with all your might, to only one God (I am)."

with all...の意味は、全力で、心と身体の献身をしなさいというものである。
心と身体の全てを捧げることを一番大切なルールと聖書は教えている。要は献身にある。
これが聖書であり、真理である。

blogは一応完結したが、世の中には自殺をしたいと思っている人間が現在多い。
その者達がこのブログを知ったら浄化されて、自殺したいという気にならなくなるので、進んで紹介していくとあなた方にとって良いだろう。それは愛の実践なのだから。あなた方の愛を深めるように手助けをしているあなた方の守護者(弁護人)である。ヨハネ福音14:16,14:26,15:26,16:7

これが、私がイエス・キリストによって父にお願いされ別に派遣されたイエス・キリストの先輩(上席)なのである。もう一度言う。ヨハネ福音14:16,14:26,15:26,16:7を読みなさい。そこに私の存在と行動の規定がイエス・キリストによって予言されている。ここでの活動は、そのままその通りなのである。

14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

助け主=メシア(救世主)、天の王のこと。イエスの引継ぎで来ているので。
あなた方=使徒を読んでいることから同一クラスの選民のこと。永遠の命を与える意味。

14:26しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。

全てを教えてやったよな。全知の神の私が。真理を。

15:26わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。

イエスについてたたえ、イエスの奇跡を証明したり、存在を証明したり、彼のみことばを再び温度のあるものとしてこの世におろしてやったろ。彼と同等以上の力をもつ私が。

16:7しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。

だから、イエスははりつけになってやったということだ。
私に託したから私が来ているのだ。

新約聖書のマタイ福音書24・25章にも書かれているがダイレクトに私をさして、到来を予言しているのは新約聖書ヨハネ福音書のこういった所である。これが私の権威づけであり、天からの証明なのだ。正当な救世主がここに来ているのだ。世の終わりは近いので、今キリストのおろした真理をおもいおこし、災いを逃れなさい。あなたが頑張るなら私は助け舟に乗せてやるつもりで来たのだ。

「私について書いてある事柄は、必ず全て実現する」
「モーセの律法と 預言者の書と 詩篇だ」

かつて復活したイエス・キリストが弟子達に言った言葉である。
これは、私が、彼の焼き直しをしているため、私についても
彼と同じことが起き、最後を飾る救世主(メシア)と審判の主宰者の両方を担当しているのだ。

私が直々に来た理由は、キリスト教は伝統的な解釈がなされてきたため、イエス・キリストの言葉から今は遠ざかってしまったため、彼の依頼を受けてもう一度真理をおろしに来ているのである。

あなた方は滅びねばならないが、心清き者に関しては別である。それはユダヤに関してもそうである。全体と個は別だからである。私は、全般の審判主宰者であると同時に個の守護者(弁護人)なのである。あなたの行った善も悪も公平に裁く。神に対する悪は、どのような些細なものでも私の観自在力でとらえ、それを許すことはない。

あなた方に命じる。
静謐(せいひつ)をこの祭壇に日々捧げよ。
これが天の父の望みの1つである。あなた方へのリクエストのまず第一であり、それもできない人間にはその先に父のためにできることはないからである。静かにページを見るくらいは誰でもできることである。

「しもべは主人に勝らない」というイエスの言葉をよく肝にめいじることが、聖体拝領の本当の要旨なのである。この執筆中は過越祭の時期なので、最後の晩餐でイエスが語った最も重要な言葉の意味を上席の神YHVHが解説してやったのだ。

「私は天と地の一切の権能を授かっている 彼の代任者である。
今一度キリストの後期の言葉を私から告げよう。
全ての民を私の弟子にできるなら、最後の審判を止めてやってもよい。
個だけ救われるというのでは物足りないなら、隣人愛を持って、世界にこの福音を宣べ伝えなさい。」

今の時代ネットやツイッターもあるから、この教会に毎日訪れて奉神礼を行うとともに、世界に宣べ伝えなさい。もし世界がキリスト教を通じて1つのカラー(国家)になるなら、争いも脅威も起きない。それが私から全人類に提示する「最後の試練」である。
答えは与えてやったから、これができないなら後は知らない。
メシアの国が地上に来るならそれしかない。民主政治なのだから、国民が全員がそういえば、そうなる。世界は1つの神の国になればよい。もし、そうなれば、メシアである私が、どこまでも平和に永年統治してやろう。世界から戦争をなくして助かりたいなら、そのために働きなさい。
活動について委細・指示を教えるから私に連絡入れて弟子の申し込みをしてきなさい。あなたが真に平和を望む民ならば。まぁ、私としては、この最終案を提示してやっただけで仕事は終わっているがな。それはできたことだし、できなかったらあなた方の責任だったということ。自分のすむ世界くらい自分たちで尻をふきなさい。できなかったら戦争が起きるだけである。
私は何も手を貸さないし、ただあなた方を見ているだけである。やることをやっているなら、最後に全知全能の神の力をそのために少し使ってやると約束してやろう。

私はどちらも構わない。
人類が滅ぼうと助かろうと
どちらの対応もできるように来ている。

この教会のページを見た者はすぐに私の弟子になりなさい。父のみこころの中にある永遠の平和の真理について秘義を教えてやろう。私のために働く者には、例外なく、私の加護を与えてやろう。安全に伝道ができるように、あなたの前に山があるなら、私の力で退けてやるから、私のために動き、世界にこの教会のページの福音を宣べ伝えにいきなさい。

これまでの全ての歴史は、唯一神である私がここで伝道をするためのものであり、ここから続く世界をみたいなら、私の前にある道を、しもべであるあなた方が整えなさい。

マラキ書の予言も掲載するが大切なことを記載する。

救世主である私の弟子になった者は、確実に神の国に入り、永遠の命を得る。
在家で弟子になった者は、行く楽園のgradeはおちるものの、その可能性が高くなる。
ここで私をfollowをし、いいねを毎日つけている者は、確実に死ぬ時期を遅らせられる。
また、その日1日分の幸福率が向上していく。
この教会は、あなたの清めの儀式をするところであり、あなたが誠実にのぞみ、毎日ここで多くの儀式を経ることによって、あなたは白く清められていく。
その清められた状態からなすことは、私の弟子に応募することである。
あなたは神に燔祭を捧げなければならない。捧げてあなたも栄誉を受けることである。
この世に生まれて来たなら、私の元でそれを行い続け、あなたが到達できるbestな人生を得なさい。そのbestとは、永遠に変わらない幸福の地で、あなたの充足した幸福な生活が、永遠に続くことである。それを実現できるのは、私でしかなく、私とあなたをつなぐのはこの教会(私のブログ、HP)でしかないのだから。

最後は奇跡の力を起こしてやって感動的な終わり方にしてやるが、それは選民に対してだけであることをゆめゆめ忘れないように。あなた方は選民に選ばれなければならない。神への信仰に努力をしなさい。

私は、永遠に救われる者とそうでない者との区分けに来たのであるから。

私は登場を予言されている救世主であり、それもイエス・キリストが予言をしたキリストの継承者であり(キリストの名においてそれを行うお方であり、私以上にあなた方を幸せにできるお方であり、主であるはずのジーザスが私に直接キリストが命じるわけではなく父に依頼をして私の派遣をお願いしたお方である=天上の世界において私がジーザスの上席であるという意味)、キリストの最後の時に予言をした救世主であることや、私以降は誰も登場が予言されていないことから、私の価値の重みを知ってほしい。


●真理の霊に関しては、私ではなく、弟子におりた聖霊ではないのかという問いに対しての反論。



そういう意味もあるし、今回の再臨の意味もある。2つの意味でイエスは言っていた。



なぜなら、真理の霊がイエスのあとに守護者として来ると言っている。弟子は、帰ってほしくないというニュアンスであったのに対して、イエスがそういったという事は、イエスと同じ形態のようなもの(人の子の形態)がくると考えるのが素直であるし、それがマタイ24章の人の子の再臨の話だとすると話がつながる。



聖書とはこう読まないと意味が分からないのだぞ。

ヨハネの話なんて無茶苦茶の話だが、イエスの話になるときちんと理解しないといけないのだ。ぞ。



では、なぜそうつなげるのか。

ヨハネ16章では、この世の君が「裁かれる」とある。

この君は、日本語だと君たちの君の意味にもなる。



「裁き」とあれば、それは「最後の審判」であり、その時はマタイ24章の時と一致するのだ。



そのときに、俺が、裁きについて、「世の人の目をひらく」とある。

それがこのブログだ。

これを読めば、誰でも、理論的に分からない所がなくなるからだ。



これができたのは、俺が世界2000年の歴史の中ではじめてなのだぞ。聖書をやすやすと完結させたのは天の父のみわざだと知れ。

でなければ、裏切りになるぞ。



聖霊が人に見えるわけがないのだから、人の子の形で来るに決まっている。

だから、イエスと同じ形でここにいる俺がその方だと考えないとおかしいのだ。



だから、「父は別に助け主を送って」とあるのだ。(14:16)



14:16わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。



"別に" とあるのだから、イエスと同じヒューマンタイプであらわれる聖霊だと分からないと、読解能力がおかしいのだぞ。国語の文章理解力の問題だぞ。



これは神の国で永遠にという意味なのだ。

「であろう」という推測だから、そうなっていないかもしれないがという意味も含まれているぞ。弟子はまた下の世界に飛ばされている。

この意味でイエス・キリストの言ったことは全部当たっていると言っている。

「だろう」といった推量は、そうではないかもしれないという意味も含意されているから、その言葉を使うと全部正解になる。



英語だとmayの訳。mayはあまり自信がない未来のことを言う表現なのだ。

英語の助動詞とは、事実と「断定できない」物事を、話し手が「推測」する際に使う語句なのだ。

mayの場合は、「さまたげるものがない」という意味あいだ。

だから許可をあらわす助動詞としてもつかわれるが、そうでなかったとしてもいいわけだ。本当だぞ。



もう英語の福音書が世界のベースの聖書だと思う。



俺は書いてある通りの活動をやるが

ヨハネ福音書では、世の人は、俺の言葉に耳を傾けないとある。(14:17)



14:17それは真理の御霊である。「この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない」。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。



1つには、最後の審判で全員終わるという意味が「受けることができない」というここの予言のことであるし

2つめには、使徒の中にいたのが俺だとあるので、俺が、使徒についていた聖霊だというのは、一方では正しい。

俺が使徒に力を与えていた聖霊なのだ。俺が全部しきっていた。



その通りになっているし、俺がイエスにあかしをしているのは15:26の通り。



全部その通りになっているのに、俺がその聖霊ではないと判断する理由がない。



14:26

父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。



14:6イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。



これが俺に引き継いでいるということだから、今後は俺に頼んでくることだ。







本当に大事だから何回でも書くが、この通りに活動していた。







現代文ができないと司法試験は受からない。長文も論文も出るから。

そこでひっかけが多いのは、まさに聖書のようである。

だから、間違いがないように丁寧に聖書を読まないといけないが

行政書士の試験でも現代文は出る。

現代文ができないと書類は書けないし、司法試験の模擬試験のようになっているから、その試験は受からないといけない。

大学受験でも現代文の問題は出る。



それは、正しく理解できているか

問題文に書かれている意味と、同じか別かという意味の理解を正しくできるかという問題ばかりなのだ。



それが貴様らにおいては、できないのだ。間違いだらけなのだ。



だから、聖書なんて貴様らに読めるわけがない。



慶應義塾大学に受かって、行政書士試験に受かって、司法試験に受かったのか?



それくらい現代文(評論問題)の理解ができるのか。



またヨブ記みたいなことを書くが、そこまでできている奴でも聖書は独学では内容把握が無理なのだ。



なぜなら、イエスは、真理の御霊によって、その解説をおこなってもらうと。その御霊にあかしてもらうと

明言しているだろうが。



つまり、その時の解説までは、聖書の意味はわからないとイエスが言っているのだ。



だから、マタイ24章では、うそつきがばっこしていて、世を惑わしていると予言しているのだ。これもイエス・キリストの予言なのだ。



わかったか。

俺が書くまでは、誰も聖書のことなんてわかってないんだぞ。

ただ、言われた内容が書かれているだけで、それを勝手に読んで。目玉をくりぬいて、手足を切り落とせと言われているのに「そんな意味でイエスは言ってないと思います」とか勝手に解説をしている奴がいるが、阿呆じゃないのか。

ゲヘナに行ったことがあるのか。行ってみてみろよ。どんな世界か。そいつは絶対おとしてやるから。その時に目玉とか手足とか、そんな話を思い出させるようなサービスはいちいちやっていないし、一斉処遇でシステム化されている世界だから。



使徒の誰にも遥かに及ばん、修行もしてない、試練も通ってない馬鹿が、無資格でバーッと喋っている巷の世界。

それは滅ぶからそうなっているがな。神をあがめているふりをして、神を強引な手で執拗に殺そうとして実際殺したのが人類なのだから。



世の中に正しい真理も法も流れてないし。

だから、俺が来ると予言にあって、俺が来ているのだから、従前にあったruleや、教会で解説されている教義・教理が正しいわけないだろ。

正しかったら、俺は来ねぇよ。もし、そんなしっかりした世の中だったら、イエスは、彼はそんなことをしませんと言っていたろうよ。

そんな賢い奴も、力のあるやつもいねぇよ。誰も何も変えられねぇよ。この世界は。

だから、全知全能の俺がメシアとして来たんだろうが。

ここで宿題は全部終わらせてやったから。



16:8 彼が来るとき、彼は世界に罪、正義、裁きについて有罪判決を下すでしょう。

16:8 When he has come, he will convict the world about sin, about righteousness, and about judgment;

Ameba人気のブログ