
昭和59年8月開業以来の患者さんの火葬が午後1時半ありました。
「色々お世話になりました、楽しかったね」
と、亡骸に声を掛けて喪主に挨拶し斎場を出て、後ろを振り返り
その日の岩木山をパチリ、彼女はあと数年で100歳。
某病院総婦長の方で開業当時30代だった私に医療のイロハを、
それとなく待合室で私を呼び止め教えてくださった。
「私も90よ」
と、言い出し私の有料老人ホームに生活の場を移された。
色んな思い出が浮かび「黒石こけし館」迄ドライブ。
夕暮れメールを見たら、、、驚き脱走者がいた。
折角関係機関の尽力で生活保護費支給決定通知が来たのに、
「ごめんなさい。やっぱり家の畑の野菜が気になって帰ります」
と書いて施設の玄関にそっと置き手紙。
まあ、自分の人生なんだからソレでイイんだと結論出したら、
其れを応援することが一番だ、、、50過ぎの大人だもの。
ガス水道電気廃止でも巧く工夫して生きていくよ。
9月からのサバイバル上手く行ってたんだから、、。
生活保護受給認定者になったンダものインフラ復活可能。
と、いう訳で今夜は多分戻らないでしょう。
私の後悔、、、雪靴(夫の)プレゼントしなきゃ良かった。
アレで雪道スタスタ前進可能になったンダビョン。
まあ気にしないでしっかり戸締り宜しく。
明日は9時半出勤します同行支援で。