ここがパンチライン!(本とか映画、ときどき新聞)

物語で大事なのはあらすじではない。キャラクターやストーリーテリングでもない。ただただ、そこで語られている言葉とそのリアリティこそが重要なのだ。時代の価値観や人生のリアリティを端緒端緒で表現する言葉たち。そんな言葉たちに、今日も会いたい。

『芸能人寛容論 -テレビのわだかまり-(武田砂鉄)』

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武田砂鉄 新刊。

この人の着眼点と連想はあまりに巧みで魅惑的だ。

観察と洞察に富み、ミクロとマクロを運動する。

その批評は、癖になるほど甘い。

 

 

「やっぱりEXILEと向き合えないアナタへ」

・強面のお兄さんたちなのだが、暴力の匂いがしない

・ざっくばらんなバラエティに出ればその確率百パーセントで持ち出されてきた「サングラスを外すと優しい顔をしている」

・余計なことを言わない、とにかく徹底的に一致団結を促す

・EXILE系統の集団は、ウケる時、何かと立上がって大げさに手を叩く。その笑いを共有するためなのか、メンバー同士でハイタッチすることが多い

・「世界とは、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない」とするアドラー哲学は、闇雲な団結でこんな世界を愛そうと一糸乱れぬダンスを踊る集団とは相容れない。

・こんなにも平和なのに、意思確認の頻度が高い。

・受け入れられないからといって「あんなホストみたいな連中」で終らせてはいけない。

 

ファシズム化する石原さとみの唇」

石原さとみのCMはこうして、画面の前にいる「あなた」に向かって話しかけてくる。大雑把な論評を躊躇せずに漏らせば、どことなくAV的なのである

・この人はいっつもテレビの前の男に向かって話しかけるシチュエーションを与えられてきたのに---

・女性誌の中吊り広告を見ていると、毎号のようにその雑誌の信者に命令しまくっている。五着で着回せ、肌を乾かすな、今年は黒だ…そういった命令を多量に浴びた上で自分に必要かどうかを仕分けていく。毎月毎月うるせえよ、と悪態をついた順に雑誌から離れていく。

・彼女の存在自体がサブリミナル化している

石原さとみは常に、こちらの無自覚を狙って入り込んでくる。

・政府公報に彼女が登場したら、細心の注意が必要である。彼女のサブリミナルはプロパガンダになりうる。

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紗栄子が生き急いでいる」

・売れっ子の自分を嫌いになり、そのあとで自分を取り戻し、やがて自分は自分だけのものでなく、みんなのものだと気づく。

・一方で、矢沢は時折、「ヤザワが何をしてくれるか楽しみ」という形容を使う。矢沢自身が矢沢に期待し、周囲のファンがさらなる期待を向けるという「期待の重層性」

・自分で自分を持ち上げておいて、おかげで私はこんなふうになれたから「みんなにお裾分けしたい」とおもんぱかる善意が様々なビジネスとして結実する現在、そこでの調節具合を間違えて心証を損なうと、「コイツ、ホントに金儲けが好きだな」という乱雑な文句が降りかかることになる。

・例えば、現役時代の谷亮子が自ら「前人未到の四連覇」と述べてきたようなスケール感が、この人にもある。

 

軽部アナの蝶ネクタイが教えてくれること」

・女子アナが記号的に嫌悪される場面でもれなく標的になるが

・隣に佇み(たたずみ)ながらしっかりと自らの主張を続ける軽部アナの存在を熟考することは、これからの日本的企業とは、という命題を考える上でも欠かせない。

 

能年玲奈民営化問題」

・人を乱雑に扱うことで笑いを練り上げていく石橋の手法が、一瞬で機能不全に陥っていた

・「わかっちゃいるけど騙されておこう」というコンセンサスがすっかり茶の間にまで染み渡っている。

・風呂場で小さなおじさんを見たと公言し続けた釈由美子

・キャッチャーもいないのに受け取りにくい球をいつまでも投げ続ける厄介者

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「メディアに消費されない宮間あや

・例えば、「サンデー毎日」(2015年7月19日号)では「なぜ世界の舞台では女子のほうが強いのか」とあり、記事の見出しに目を向ければ「「女子力」を引き出した監督の手腕」、記事の内容を追えば「日本の女性には古来、集団の力や和を重んじる文化があります」とある。宮間が言う「文化」は絶対に、この手の「女子文化」ではないだろう。

個人の鍛錬の集積を、チームワークではなく「女子力」として伝えてしまう。そんな「男子力」報道は、なでしこをまたしても文化から遠ざける。

女子サッカー選手の苦境、具体的には「チームから給料をもらわず、フットサル場の受付をして働いている人もいる」というネタ、みなさん、本当に好きだ。

---いつだってなでしこの物語が「チームワーク」と「(女子ならではの)苦境」との抱き合わせで投げ売りされることへの疑問

・「消費されてたまるか」という闘志がヒシヒシという闘志がヒシヒシと伝わってきた。

 

 

「ウィスキーを作るべきは華原朋美

・「VERY」の「今の時代、家族という基盤があるからこそ、スタート地点に立てる!」

・家族という基盤があるなら家で静かにワインでも飲んでいればいいのにと思うものの、「ウィスキーのイメージ=場末のスナックで頼んでもいないのに出て来る飲み物」を払拭するには抜群の人選ということなのだろう

・復活後に出演した『情熱大陸』(TBS系)で、すっぴん風メイクではなく本当のすっぴんで「結果が出ないとすぐに逃げたがるから私は。もう何かね、自分に勝ちたかったんですよね、一度でもいいから。自分にずっと負けるから、勝ちたかった」とストイックに締め括った彼女のスナック感。基盤があるのに色気を撒いちゃう井川遥的な仕上がりに---

 

 

「ざわちんは板野友美をやめてはいけない」

・この番組は時折、飲んでいたコーヒーをぶちまけたくなるナレーションを入れる。幸いにもコーヒーを飲んでいなかったのでぶちまけることはなかったが、「無力な自分への苛立ち」を勝手に仮定し、「だろうか」という断定と推量が交じり合う語尾を付着させると、あの落ち着いた語り口も相まって、不思議と断定として響く。必要以上に物語性を投与したくなるのは制作者の常なのだろうが、物語を軸から変えて勝手に飾り付けてしまうこの番組のナレーションはいっつも気になる。丁寧に、静かに、川を漕いできたところに、わざわざ人工的に波を起こすような言葉遣い。その人工に、これまでの自然物がさらわれてしまう。誰を引っ張り出しても「すごいことやってる人も、いろいろ葛藤しているんですね」という当たり前の結論に帰着させたがるこの番組は、抱えている葛藤という具材に、とっても雑な味付けをする。大戸屋」で食べると何食べても同じような味がするのと同様。

 

大江麻理子アナは誰にも嫌われないはずだった」

・幻燈社辺りで行間たっぷりの本を出すんだろうな絶対あーあ

 

ネプチューン名倉潤を終電まで語り尽くす必然性」

・この番組が鮮度を保った上で面白くあり続けるのは、相応のポジション=課長職にあるそれぞれが隙あらばあたかも新入社員のように目立とうと試みてくるからである。

 ・面白い人なのか、それともちゃんとしたい人なのかを、仲間さえまだ判断しかねている状態。

 

 

ベッキーの元気を直視できないボクらが悪い」

・「どうすればもう少し広い心になれますか?」との問いに光浦は、いい人になりましょう、それがいちばん得をしまう、としたあとでこう述べる。

「いいこと言う人って好かれるじゃないですか?人から好かれて一番得するのって自分じゃないですか?だから、性格のひねくれた私は思ったんですよ。いいこと言う人ってすんげえ利己主義だなって」

 

 

「吉田羊を「ミステリアス」と評するミステイク」

・大塚家具元会長の発言「悪い子供を産んでしまった」に代表される

株主総会で、実母からの設問を「他の方もいらっしゃいますから手短に」とさえぎった

・つまり、起用する側が、吉田羊を記号的に処理している

 

「やっぱりまだ、aikoの魅力がわからないんです」

浜崎あゆみは、これは落選ではなく卒業だとし、「お互いにパーフェクトなタイミングで笑顔で手を振り合い、ベストな形でお別れが出来た」とつぶやいた

 

 

星野源が嫌われない理由を探しに」

・星野が「「エー、草食系の星野源さんですが…」みたいなことを言われると「殺す!」って怒ってた」と語る。

・「自分はエロ本を空き地へ探しに行ったぎりぎりの世代」だ

・『あいのり』(フジテレビ系)に出てくる若者を「恋愛にうつつを抜かしてチャラチャラしている(偏見)いけ好かない若者たち」と書いた

 

 

 

 

 

『ミシマの警告 〜保守を偽装するB層の害毒〜』適菜収

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冒頭、一行目。

結論から言うと、もうダメでしょうね。日本は。

 完全に腐ってる。

はー、一行目から適菜節全快です。

 

問題意識は以下の2点。

・「保守」が急速に劣化した。

・メディアが用意した「正論」にしがみつく思考停止した人たち(B層)。

 

まずきちんと定義することが大切です。保守とは何か。ひとことで云えば、「人間理性に懐疑的であるのが保守」です。

抽象的なものを警戒し、現実に立脚する。人間は合理的に動かないし、社会は矛盾を抱えていて当然だという前提から出発する。

 

世の中は複雑で矛盾に満ちています。簡単に答えを出せない問題はたくさんあります。それを二項対立に落とし込み、白黒はっきりさせようとするのがB層です。

 

保守主義イデオロギーはありません。イデオロギーがないーこれが実は保守主義の要諦なのです(江藤淳)。

保守主義イデオロギーを警戒する態度である。江藤は「保守主義とは一言でいえば感覚なのです」と簡潔に述べた。

 

「いい悪いの前に、異物がきたらまず追い返す」。この感覚が保守である。 

 

ロベスピエールは「最高存在の祭典」を開き、“ 理性により社会を合理的に設計する ” ことを宣言。「神が存在しないなら、発明する必要がある」と理性は万能のものとして祭り上げられた。その結果、フランス革命後、自由は自由の名の下に抑圧され、社会正義と人権の名の下に大量殺戮が行われた。

 

小さいことを軽視すれば、「アリの穴から堤防が崩れるように」人間は崩壊する。

 

三島は、“生活の細目ということから行動規範を見つけ出す”という考えで、---いちばん手もとにある、箸の上げおろしから、盃の持ち方、そういうことからモラルをみつめていって、それが美しいか美しくないかということから、こうすべきだ、ああすべきだということになり、最後に死へもっていっているという感じがしまして、いまの人たちの道徳観とぜんぜん逆みたいですね(『葉隠』の魅力)。 

 

神秘よりも事実を、可能なものよりも現実のものを、(オークショット) 

 

保守とは歴史に対する真っ当な態度、生活の姿勢である。<常識>を大切にするということです。

 

反共というところで思考停止することで「保守」は劣化してきた。

 

冷戦下において、保守主義者と自由主義者は手を組みました。

保守主義の本質を忘れ、自由主義こそが「保守の本質だ」などと言い出すバカが増えた。冷戦が終わり、「大きな敵」を見失ったことで、なにがなんだかわかんなくなってしまった。

 

アメリカでは自由を神格化することが保守になる。 

 

変化自体を拒絶するのではなく、変化によって得られるものと喪われるものを慎重に確認する。

 

「精神の豚」が暴走を始めた。

 

保守が伝統を重視するのは、個々の事例における先人の判断の集積と考えるからです。

 

未来社会を信ずる奴は、みんな一つの考えに陥る。未来のためなら現在の成熟を犠牲にしたっていい、いやむしろそれが正義だ、という考えだ。

未来社会を信じない奴こそが今日の仕事をするんだよ。(「東大を動物園にしろ」)

 

今日の仕事に完全な成熟というものを信じられないのではなかろうか。或いは自分一個の現実性も信じられないのではないか。自分は過程ではないのだ。道具ではないのだ。(「日本の歴史と文化と伝統に立って」)

「未来に夢を賭ける」のは弱者の思想である。

 

 

 見た目や隣人の意見を参考にして判断する。価値判断ができないからです。 

 

 

安倍晋三について。安倍政権が保守のはずはない。典型的な構造改革論者でグローバリスト。

・「自民党はに二〇〇九年十二月十六日に民主党政権の政治主導に対して緊急提言をまとめ、国民のものである憲法を一内閣が恣意的に解釈変更することは許されないとしたが、安倍政権は解釈変更した」とフランス人記者の指摘に逆ギレ。

・移民政策を推進

・「累次にわたる国連決議に違反をしたのはイラクでありまして、そして、大量破壊兵器がないことを証明出来るチャンスがあるにもかかわらず、それを証明しなかったのはイラクであったということは申し上げておきたい。(二〇一四年五月二十八日)」いわゆる「悪魔の証明」問題ですね。挙証責任は当然イラクにはありません。

 

 

 

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保守を自認する新聞社の世論調査。巧みな心理操作が問い分の中に隠されている。

 

 

人間の判断は万能ではありません。

だから、慎重にものごとを決める仕組みが必要なのです。

権力は必ず暴走する、民主権力の集中は必然的に全体主義に行き着く。

だから、それを制御するシステムが必要なんです。

 

参議院がおかしくなった理由は戦後憲法で民選(公選)にしてしまったからです。

・そもそも多数決原理で<良識>を持つ人を選ぶという発想がトチ狂ってると思いませんか 

 

石原はきわめて戦後民主主義的なポピュリストであり、卑劣なアナーキストである。こうした人間を支持してきたのがわが国の「保守」論壇である。そのカラクリについても、はるか昔に三島は見抜いていた。

 三島は自民党に所属しながら党の批判を繰り返す石原に対し、「貴兄の言葉にも苦渋がなさすぎます。男子の言としては軽すぎます。」(士道について)と批判した。

 

全体主義は一枚岩のイデオロギーではありません。

アレントも指摘するとおり、そこには構造がない。煽動する側と煽動される側が一体となり拡大していく大衆運動です。

 ---正常な社会は、橋下みたいな人間が出てきたときに、すぐに「うさんくさいな」と判断できる。

 

ニーチェは人間の感覚器官が生み出す世界こそが唯一の世界だと言います。真の世界などどこにも存在せず、人間の脳が生み出すイメージの体系こそが世界と呼ばれるものであると。ニーチェは真理を否定したのではありません。「真理とされてきたもの(神らしきもの)」を否定したのです。

あらゆる真理は、表層に表れる。概念の暴力により、現実を見失ってはならない。

ニーチェキリスト教発生以前の古代ギリシャに健康な文化を見出しました。

 

多くの人は、概念にしがみつき、現実を直視することができません。

ニーチェは「理性」「抽象概念」「イデオロギー」を疑えと言った。

  

 

 

この人(適菜収)の主張には見るべきものがあると思うけど、権力を執拗なまでにこきおろす調子とディスりがインフレ化していて、さながらネット上に跋扈する政治クレーマーに堕してしまっている。表現としては逆効果だと思う。

 

 

『読まずに死ねない哲学名著50冊』@8月7日付 朝日新聞書評面

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若手哲学者・平原卓氏の著書、の書評 by佐々木俊尚氏。

まだ読んでもいない哲学概説書について、ワクドキ感だけで書きます。

86年生まれっつうから自分より年下の哲学者が誰をどうまとめているか気になる。

佐々木氏の書評がいいからなのか。

 

いま安保法制や憲法改正の問題が浮上し、しかしどう議論するのかという基本的枠組みが共有されていない。

 

議論には共有される枠組みが必要だが、日本にはそれが欠如しているようにも見える。

 

フランス革命の指導者は貧困にあえぐ人民への同情に突き動かされたが、同情は結局は情熱であり、制度をつくるえなかった。このためフランス革命が失敗したとしたのだ。こういう「解放後」の枠組みはとても大事で、反権力を声高に言う人たちにもぜひ読んで欲しいと思う。

 

ときとして、書評が本来の元書の上をいく世界観を呈することがある。

そうはならないことを祈るまでだ。

本書読書後に続きを書きます。

 

『晩春』

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1949年、松竹。監督 小津安二郎

 

戦後間もなく。戦争の物故あってか、娘(のりちゃん:原節子)がまだいってない。

「あたしがいなくなるとお父さんが困るわっ」ってそういう話。「孝行娘がまだいってない、いかせたい、本人に聞いてみる」みたいなのって、きわめて小津的な主題であり、このテーマは他の作品にも数多く見られる。

 

のりちゃん「おじさま、なんだか不潔よ。汚らしいわ」

おじさま 「そうかい。不潔かい。そりゃ、困ったな。不潔かあ」

 

 

 

ほーんと鎌倉の何もないところサイクリングするシーンが好き。

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父親笠智衆)は、大体「そうかあー」「そうかね」「そうかのお」のオウム返しの相槌。 個人の葛藤や意見の表明をそれらの演技からは消している。

 

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あたし、このままお父さんといたい。お父さんとこうしてることが私の一番の幸せなの。

→いまの娘だったらこの感覚少し考えにくい(いや、そうでもないのか??)。こんなこといってるようだと、やっぱり少し心配になる。

 

 

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(三つ指ついて、礼を言う娘に対して)

父(笠智衆)「幸せに。いい奥さんになるんだよ」

 

 

 

ラストシーン、モーニングを来た父親はひとり帰宅して部屋に入る。

籐椅子に腰を下ろし、りんごの皮をむく。

ゆっくりと回したりんごから皮が落ちると、そのまま頭をうながれるように落とした。そのとき父は一人になったことを実感したのだ。

 

オピニオン:『 節目の米大統領選 (7月30日付 朝日新聞)』と鳥越俊太郎の罪について

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フレッド・ハイアット氏(ワシントン・ポスト論説主幹)

彼には大統領になれる経験はなく、気質も向いていません。哀れなぐらい世界について無知です。同盟の重要性を理解せず、民主主義の価値を軽視し、海外の独裁者に魅力を感じています。

実に簡明かつ雑駁な物言いだがその通りである。トランプ氏が我々の暮らし(ニュースや報道の場)に登場しだした頃、こういう物言いは当たり前のように数多く受け止められていたがいまや少なくなった。いまいちど、確認しよう。彼に大統領としての資質はない。

 

トランプ氏の共和党候補の指名受諾演説で顕著だったのは、その暗さでした。彼がみる米国は、「悪のたまり場」で危険が迫っている。そして、自分だけが、米国を立て直せるというのです。

 

脅威を強調しすぎれば、間違った政策を採ることになります。

 

 

古矢旬氏(北海商科大学教授)

誰もが眉をひそめるような言動を繰り返しながらも、予備選を勝ち抜き、共和党の大統領候補になりました。メディアを意識した粗暴な振る舞いが目くらましとなり、その政策の精査がなされないままに、知名度だけが急上昇した感があります。

 

富の再分配とか累進課税など社会主義的な是正策が出てきてもおかしくなかったのですが、米政治には社会主義的発想が希薄なため、格差や貧困を社会システムの問題として議論する余地はなかったのです。それに代わったのが、ポピュリズム的な陰謀論でした。

 

問題の本質よりは、敵を探し出して、原因はその敵のせいにするのです。保守の草の根運動である「茶会」は、オバマ大統領をマイナスの象徴として攻撃する大衆扇動に陥ってしまいました。

 

今回のサンダース氏の主張は、温暖化防止策、税制の強化、公立大学授業料の無償化、医療保険の拡充、刑事司法の改革による人種間紛争の防止を含んでいます。

 彼は予備選で、若者の圧倒的支持を背景に、1300万人の票を得ています。

 

 

個人的に、「アメリカの何が(誰が)トランプを産んだのか」という主題で深く考えをまとめる必要がある(中下流層を中心とした不満と不平を吸い上げたのだという有り体な解説ではなくて)。

 

 

さらに、「なぜ鳥越俊太郎はサンダースになれなかったのか」。あるいは、「リベラルの火を無邪気に消した、鳥越俊太郎の罪悪」というものだ。

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 鳥越氏の出馬に胸を膨らませつつも、その後の報道で落胆した(女子大生に乱暴報道とかそのレベルでなく、彼の言葉とパフォーマンスについてだ有権者は多い。

 リベラルサイドに必要なものは確固たる信念(思想や信条)と説明能力のほかに、熱が要ると思うから(そういう意味では彼は“信条”があったぐらいかと思うのだ)。

 

米重 克洋 (@kyoneshige)
数値軸は伏せますが、今回の都知事選の情勢調査のグラフを横軸t(実施日)、縦軸p(投票意向≒支持率)で示したものです。真ん中が15〜17日に実施した序盤情勢の数字(t軸は16日に設定)です。 pic.twitter.com/rKzBi83x6M

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耕論: 性表現と法規制 ー林道郎氏、平野啓一郎氏、上野千鶴子氏(7月27日付 朝日新聞)』

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 ろくでなし子の「アート作品ーわいせつ裁判」について。現代司法の良識と見識を問う紙面。たしかに、こういうものは誰もやってないし(少なくとも表に出ててない ※有名じゃないってことだ)、批評性もあっていいと思う。

 個人的にはこういうとき、「新しいものを訝しがらずに理解しようとする」スタンスなんだけれど。現代アートには「で、なに?」ってものも正直多い、ような気がする。

判決は、作品や3Dデータがわいせつ物にあたるかを検討。作品については現実の女性器とは違う着色や装飾がされているため、「ただちに女性器を連想させない」とした。「ポップアートの一種ととらえることが可能で、女性器への否定的なイメージをちゃかすなどの制作意図を読み取ることができる」とも指摘。「芸術性、思想性によって性的刺激が緩和されている」としてわいせつ物にはあたらないと結論づけた。(朝日新聞 16年5月9日)

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林道郎氏(上智大教授)

1960年代、女性は「描かれる側」だった美術界で、「自身の身体を自身の手で取り戻す」と考えた国内外の女性アーティストが象徴として女性機をモチーフにした作品をつくり始めます。

 

わいせつ罪を規定する刑法175条が元々持つあいまいさが合わさって、判例踏襲と硬直した性器中心主義を繰り返しているように見えます。

 

最高裁はかつて「芸術性がわいせつ性を緩和することがある」との判断を示しており、データ配布を芸術の一環として考慮することはできたはずです。しかし今回の判決は「前後の文脈を考慮せず」、データそのものだけで判断すべきだ」とした。

一方、女性器の医学教本は、医学のためという文脈が考慮され、摘発されることはない。この非対称には疑問を持ちます。

 

 

芸術を含む表現の自由が、憲法に書き込まれているのは重要なことです。今の価値観が絶対ではないと疑いをもち、自己批判的な意見が出ることを保障している。芸術はその時代の価値観に挑戦し、それを取り込むことで発展してきました。これは社会にとって大きな推進力です。

 

 

平野啓一郎

日本人は不思議なほど、わいせつの問題を性器中心主義でとらえる。

〜 中略 〜

 法律が現実に対応できていないからこそ、変に昨日させようとしている力を感じます。

そこに潜んでいるのが「公益」という発想です。いまの憲法改正の議論でも、公益と講評の福祉の混同が見られますが、本来は全く違う概念です。公益は、社会的な合意なしに一般人にとっての「利益」が定められ、強制されることで、人間の多様性を脅かすものになりかねません。

 一方、公共の福祉は、個々人の多様な利害調整の為の概念です。わいせつの問題の解決に役立つのはこちらで、見たくない人には見せない、子どもには見せないというゾーニングなどが考えられます。

 

 

性器中心主義が結局は男性器中心主義の価値観ではないかと社会を挑発しています。

〜 中略 〜

ささやかな作品一つで、社会がそれまで排除してきた価値観を包摂し、より複雑な現実に対応した豊かなものになることもある。そこに芸術の魅力を感じます。

 

 

 上野千鶴子

男性に所有され管理されてきた女性器を女性自身に取り戻そうという〜、、

 

ただ、自分の性器の3Dデータをクラウドファンディング寄付者に提供したことについては、3Dデータを「性器そのものだから」とした司法の判断とは離れた立場から疑問を持ちます。

司法は「女性器はわいせつか」という命題を立てた上で「芸術性がわいせつ性を緩和する」と考えてきましたが、社会的には無意味です。解剖学も医学も芸術も文脈次第でいくらでもわいせつになる。芸術に価値を与えるのも、わいせつ物になるのも、作品がどう消費されるか、という文脈にあるからです。

 

『BETTER CALL Saul(Seazon1)』

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ブレーキングバッドの愛されキャラ ソウルのビギンズストーリー。

改めてこうやって取り出しても少しも伝わらない、面白くない。

でもト書きで、説明したくない。

もう一回見て、言葉の発せられた周辺情報を増やしてくしかない。

 

 

1話

当たり屋のスケートボーダーたちにアドバイス。

(おばあちゃんの運転する車に当られたら気付かれず)

「おいっ!とんずらコカれたぞ!」

 

 

で、ダマしたおばあちゃんを家まで追っていくと、その孫がトゥコだった。

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2話

トゥコと荒野で、ボーダーたちの量刑交渉をするコール。

「足は1本だろー」

「一人1本!」

 

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3話

(地裁の駐車場管理人マイクとの短い会話で)

「初めて私の言うことを信じてくれる奴が出てきた」

 

マイクは経験と推論から、確かな判断を引き出す。

この一件から、コールは”何か”を掴む、行動も吹っ切れる。

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4話

 

ソールは一生懸命。報われない地方の三流弁護士。

「さながら、大型スーパーに挑む、こどものレモネード屋だ」

 

 

 

5話

 

トイレトレーニング用のおもちゃ。喋る便器。

「おーいいねえ〜、もっとくれ。全部俺にくれ。」

「ややセクシャルだね」

 

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「心臓が止まりそうだ」

(びっくりだぜ) 

 

マイク「プッシーが一生分稼ぐ以上の金を目にしたことも、それが証拠品に回らないことがある。ちょっと失敬する。みんなやってる。」

 

 

 

6話

 

老人ホーム入居者の集団訴訟

「かなり歩き回ったよ。十年は眠れそう。」

 

 

 

9話

悪い警官に立派な泥棒。

 

「ハワードに電話した。言ったことはただ一つ。俺を雇うな。」

(兄が弟を雇うことに反対したのだった)

 

 

 

10話「マルコ」

「兄貴は俺をろくでなしだと思ってる。変えられない」

「ずいぶん大人ね」 

 「ダライ・ラマにも負けない」

 

「妻と寝たかもしれない男の車のサンルーフから糞をたれた。すると、小さい子が寝ててその子の上に降り注いだ。幼児性犯罪者扱いされた。」

 

 

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で、昔の話。スベリのジニーとして、友人のマルコと素人から金巻き上げていた。

 

 

 

 

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『幸福の黄色いハンカチ』

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77年、松竹。山田洋次監督。第1回 日本アカデミー賞受賞作。

高倉健倍賞千恵子武田鉄矢桃井かおり

北海道、ロードムービー、赤いファミリア。

 

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いいよね。大人のドライブ旅行。

 

 

 

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アケミ(桃井かおり 当時26歳)の冴えないこと。あまりの芋女っぷり。

我々の世代には現在の「いい女」訴求があってその間が抜け落ちてるからギャップが激しいのだ。

アケミの友だちが

「チャコと寝たって。私云ってやったのよアケミが可哀想だって」

昔の映画のいいところは、セックスの持つ意味が軽いところ。

 

 

で、武田鉄矢もお調子もんで、軽いところは金八以降の鉄也像しか知らない我々世代にはえらく面白い。砂浜でアケミとはしゃぎながら写真撮るところなんて爆笑できるところだ(なんせ砂浜に垂直ダイブしてシャッター押すんだから..)。 

 

それで、北海道ロードムービーなもんだから、ムショ出の健さんが何故かこの一行とファミリアで横断することに。

 

 

 

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「何がおかしいんだ!笑うな!」

 

 

そんな夜の折々にも、鉄也はアケミに対して夜這いして失敗。

健さんからは毎夜怒られる。 

「草野球のキャッチャーのごった。わかるか?。。。。ミットもないってことだよ。」(これぞ貴重な健ギャグだ)

 

健さん曰く、「20代でめちゃくちゃやってた頃だ。ムショ入ってかえって箔がつくくらいの気持ちでな」

 

 

(健さんが、スーパーのレジ打ちの女性を既婚者かどうか確かめるとき)

「あの、あんた奥さんですか?」 

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回想シーンだけどベストシーンの候補は、

健さんがハンカチ確認して酒買ってくるところ。

 

 

 

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渥美清もちょい役だけどいい味出てたな〜

 

 

(刑務所で一方的な別れを切り出された光枝(倍賞)が)

「あんたって勝手な人だねー。一緒になるときも、別れるときも。」

 

 

 

んで、最後は夕張に向かう。ギリギリで一度ためらいながらも。

妻と再会したときも、健さん流。抱きあったりしないのだ。

 

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『マチネの終わりに(平野啓一郎)』

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恥ずかしながら、平野作品も初めてだった。というのも、いたづらに難解で高尚文学の印象があったから。そういうものは古典に任せようという態度でいたのだ。

 作家エージェンシー コルクの佐渡島さんらの仕事(平野担当?)ということで、これはきっと大した仕上がりに違いないと書店で手に取った。結果から言うと、本作の天才ギタリストの蒔野よろしく、「大衆に向かって着地した(吉本隆明)」ものすげー作品だなと思った。ちょうど村上春樹があの時期に作風を変え「ノルウェイの森」を超純愛作品として仕上げたように。本作も彼の代表作になることは間違いないだろう。

 折しも、勝手に芥川賞選考委員として選考会に臨む為の候補作に取りかかっていながらもこの本を一度読み始めてしまったため、芥川賞そっちのけで読みぼさってしまった。読者の意識を先へと急がせる駆動力ハンパじゃない(いわゆる”ページを繰る手が止まらない”というやつですね)。一気に読み通してしまいました。

 

「でも、わたしがよく遊んでた、その石だったんです。」

洋子は、皿を受け取りながら改めて言った。三谷は怪訝そうな顔をした。

「だけど、・・・わかってたら、対処のしようがありますけど、しょうがないですよ。危ない場所にあったんですか?」

「ああ、そうじゃないんです。わたしが言いたかったのは、ただ、子供の頃のわたしが、いちか祖母の命を奪うことになるその石で、何も知らなかったまま遊んでたっていう、そのこと自体なんです。」

「それは、・・・え、だけどそんなこと言ったら、この世界、お年寄りにとっては危険なものだらけなんだし。それで、自分を責めなくてもいいと思いますよ。」

「責めてるんじゃないです。責めようがないですから。そうではなくて、・・・」

 もっと簡単に伝わる話だと思っていたらしく、洋子は続けるべきかどうかを迷っていた。テーブルの残り半分では、 〜 中略 〜

 蒔野は、三谷と洋子のグラスに赤ワインを注ぎ、自分にも足すと、頃合を見て三谷に言った。

「洋子さんは、記憶のことを言ってるんじゃないかな。」

二人の眼差しが蒔野に集まった。

「お祖母様が、その石で亡くなってしまったんだから、子供の頃の記憶だって、もうそのままじゃないでしょう。どうしても頭の中では同じ一つの石になってしまう。そうすると、思い出すと辛いよ、やっぱり。」

洋子は、先ほどとは違った、静かな声でそう語る蒔野を、じっと見つめていた。そして、理解されたという喜びに瞳を輝かせた。

 きているとしばしば、心のひだにざらっとまとわりついたちょっとした些細なことがある。人はいちいちそのことを言葉にしないし、忙しさや周囲の喧噪にかまけてそんなことでいちいち立ち止まったりはしない。でも、もしそれが言葉に出来たときに、それを分かってくれる誰かがいるだろうか、胸に手を当ててみる。

もしその相手が、自分の大事な人であれば素晴らしいし、そうじゃなくても邪見にせずに、耳を傾けてくれる人がいるということは素敵なことだ。

ここではやはり、そんな個人的な記憶とか感慨についての吐露に、立ち止まれない人。立ち止まれる人がそれぞれいる。こういう場での「理解された、分かってもらえたはそのまま人間的に受け入れられた」としばしば同義である。

 

 

そうか、あの主題にはこんなポテンシャルがあったのかと気がつく。

 

 

「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?」 

 

 

相槌をつくのも嘘っぽくて辞めた。

この人の小説には嘘がないなーって思う。人間の心とその表現における差やバグが少ないのだ。小説家も様々だけれど、そういうこと出来る作家ってそんなにいないよね。

 

 

技量と評判ともに絶頂な芸術家が直面したスランプ

戦地赴任したジャーナリストが抱いたPTSD的苦悩

あの人があの時言ったあの言葉が忘れられない。

(死を意識した経験から、自らの人生や運命について真摯になった)

 

職業的、人生的大きな障壁にぶつかった時、傍らに誰がいるか

 

 

バグダッドのフィリップが

「いい歳して知的でない女と寝てしまうと、明け方、惨めな気分になるよ。ー 

 

 

「〜。米軍の増派一つ例に採っても、そもそもこの戦争は間違っているという現在までの問題と、こうなってしまった以上、どうすべきかという未来の問題との整理が、自分の中でもよくついてないの。」

これはよくありますな〜。全ての仕事に言えます。これまでどうだったか、これからどうすべきを整理すること。 しばしば、よく考えないで物を言うひとは(上席・管理職も含めて)混同しています。

 

 

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという、十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

 美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった取り柄は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢みることを忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体何だろうか。

 

 

どちらも、遥かに先走って、ほとんど相手と融け合う寸前にまで昂揚していた自分の言葉に追いつこうとして、しかし、その深刻さにも、様々な愛情の仄めかしにも、いきなり触れることは出来なかった。

 

 

「大した理由はないのよ。子供のこ頃からなりたかった職業でもないし。」

「そう。」

「全然。わたしは、自分が何になりたいのか、ずっとわからなかった。よくある話だけど。ジャーナリストって、そういう人間に向いてると思う。」

 

 

 

和気藹々と食事でもすることで、彼女は、誤ったかたちで結ばれかけている自分たちの関係を、一旦解いて、正しいかたちに結わえ直そうとしているのかもしれない。一人の友人として、これから夫となる男を紹介し、そうして一緒に、ここまで昂じてしまった感情の処理をしましょう、と。

 蒔野は、もし他人からそんな経験を聞かされたならば、それはそれで、美しいと感じるような気がした。若い頃には、考えもつかない理性的な解決方法だが、年齢相応の締念とは、その最初の足跡を、こんなふうにゆっくり踏み締めるようにして胸に残すことではあるまいか。

 

 

洋子はこの時、淫らであるということの、何かしら新しい定義に触れているような感じだった。常と異なるというだけでなく、どこか本質的に自分を見失い、自らを相手にすっかり明け渡してしまう喜び。ーその深みの底は知れず、むしろ洋子は、今こそ<ヴェニスに死す>症候群の官能の渦中に呑まれつつあるのかもしれなかった。

 二人は、自然と深まり行くことへの躊躇いから、却って長い、いつ尽きるともしれない口づけに浸った。

 

 

 

芸術の価値は、 カントの定義以来、<美しい beautiful>か<崇高 sublime>かのいずれかだったが、二十世紀後半以降、取り分け顕著に現代のネット社会では、それがそのまま、<カッコイイ cool>か<スゴイ awsome>かになっている。現代アートの中でも人気があるのは、やはりゲルハルト・リヒターのような<カッコイイ>作品か、アンドレアス・グルスキーのような<スゴイ>作品で、自分は、蒔野の音楽は美しいだけでなく、その両方を備えている点が強みだと思う。ただ、残念ながら、一般人からは、まだまだ遠い。ー

 

 

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Gerhard Richter Snow-White

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物語をままならぬ方向にした真相と顛末はままに。

文句なしに、いい収拾の仕方と終わり方だった。

 

ここ数年読んだ、「愛」について書かれた小説の中で一番の深くて面白かった!

実力あるな〜

 

『ニッポン戦後サブカルチャー史 宮沢章夫+NHK』

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年代ごとの、サブカル事象、用語集。

 

 

カットアップ:

フレーズをバラバラにして組み立てなおす、執筆や音楽制作で用いられる手法の一つである。タイプライターで印刷された文字列をいちど断片化した後に再構成するという「分解」と「結合」にその本質がある。カットアップするのは簡単。人力でも可能だが、いまは簡単なツールもある。

Cut it up: auto cutup tool online

 

例)ワシは釣り支度と 、陰にこもってものすごくボーンと鳴ってものすごくボーンと鳴ってみたが真日というのか雑魚一匹かからんでな。はて妙なことがあるのだ、昨日も向島へと釣り竿をやったな。はて妙なことがあるのだ、陰にこもったな。はて妙なことがあるのだ、天竜山浅草寺暮れ仏の鐘、天竜山浅草寺暮れ仏の鐘、折しも日は西山に傾いて (落語「野ざらし」より)

 

例示に、野ざらし選んじゃった。わかりづらっ。


 

で、ザ・フォーク・クルセイダーズ

 

 

帰って来たヨッパライ ザ・フォーク・クルセダーズ (1967)

www.youtube.com

 

悲しくてやりきれない ザ・フォーク・クルセダーズ (1968)

www.youtube.com

 

自然と人間のあり方は「対称性」を持っていなければ

本来は自然と人間界は対称的に存在していたはずなのに、その対称性が大きく崩れるような 

 

省エネが叫ばれ、TVの深夜枠放送がなくなり、片やふとん乾燥機が新発売された。

 

 

 

・中2とは何か?

 

北海道駒ヶ岳山麓で迷子の大和君

手で涙をこすりながら歩いていたら(父の車を見失って)、違う道を行ってしまった。

 

・なぜ財団化するのか。それはサステナビリティーのため。一長者の一生涯趣味に終らせないため。

 

「この間、文芸誌の新人賞の下読みしてる人の話聞いたら、新人賞の応募はかなり多いそうですが、八割型が定年退職した人らしい。そうした人たちの多くが、若い時の恋愛の話を書いている。そんなもの、もう読むのが苦しい」んだという。

 

 

 

まだ僕は文学の意味を信じていますが、今、文学を変えてやろうという意識を持った若者がはたしてどれだけいるのか。

 

 

 

https://www.amazon.co.jp/NHK-%E3%83%8B%E3%83%83%E3%83%9D%E3%83%B3%E6%88%A6%E5%BE%8C%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E5%8F%B2-%E5%AE%AE%E6%B2%A2-%E7%AB%A0%E5%A4%AB/dp/4140816503