コロナになってから、明らかにご飯が味気なくなった。味も匂いも薄いのだ。退院後その傾向が顕著である。
河原町ビブレは青春の一番の思い出かもしれない。
河原町ビブレには蛸薬師側の正面入り口から入るより、裏寺通り側の入口から入るのが好きだった。そちらから入るとエスカレーター横のBALLのショップに近かったから。
BALL、イグジーズ、O'NEILLは大好きなブランドだった。学校には学ランの下にO'NEILLのスウェットを着込んでいたことを思い出す。
イグジーズ。今でいうと一番近いのがバナナリパブリックか。アバハウスのプロデュース。カラーリングの奇抜さが秀逸だった。
かって5Fだったと思うがビブレホールというライブスペースがあった。
ここではいろいろなイベントが行われていて、写真展なんかにはよく言った。
後、真昼間から公開でアマチュアのバンドコンテストなんかも行われていてエントリーしたこともあった。
ここの入り口横にクレープ屋の屋台が出ていて、友達がバイトしている縁で、ときどきバイトさせてもらっていた。
ここの入り口横にクレープ屋の屋台が出ていて、友達がバイトしている縁で、ときどきバイトさせてもらっていた。
ある日、バイトのために行ってみると、ホール全体に人があふれて騒然とした騒ぎになっていた。フライヤーなんかをくばる人もいたし、すぐに業界人だなと思う人もたくさんいた。
フライヤーをもらったら今度ここに「尾崎豊が来る!」とか何とか、書いてあった。
今度、尾崎豊というシンガーがここでライブをするということらしい。
でも今日ではない、もっと先のこと。
今日の騒ぎはライブをすることが決まったことに関する騒動ということらしい。
重ねて言うが、本人が下見に来たわけでもない。
本人はいない、今ここに。
尾崎豊はよく知らなかった。ミュートマジャパンで、蜂の巣とせわしく働くミツバチのアップをバックに「十七歳の地図」を歌っているシンガー。。。位の知識しかなかった。
俺と同い年なのに、人気があるんだなと感心した。
でも流れるMVの数が日に日に増えていっているのは感じることができていた。
大ブレイク寸前だったんだろう。
後日、尾崎のライブを見に行った人に「どうやった?」と聞いた。
まずは「すごかったで」の一言。
詳しく聞くと堰を切ったように、「天井の排気管ダクトにぶら下がったり、ダイブしたり、かなりスリリングなパフォーマンスだった」と興奮してまくしたてる。
「もうこんな小さいステージに来ることないかもしれへんで、損したな」と、とどめを刺された。
本人が来るわけでもないのに、ライブ当日でもないのに、事前であれだけ人を集めて大騒ぎにさせる人。
伝説ということなのだろうか?