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全ての発端は美しい姉、ルーナの自殺だった。
ある夜、ルーナは浴槽で手首を切り、命を絶った。突然の出来事だった。真っ赤な血の海でルーナを見つけたのは、妹であるステラだった。
ヴィンセント侯爵家当代一の美女と称されるほどに美しかったルーナ。父と母は最愛の娘の死に嘆き悲しみ、ルーナを慕っていたメイド達はあまりに早すぎる死に言葉もない様子だった。
ステラも、ルーナのあんまりな姿にショックで、調査隊からいくつかの質問をされてもまともに答えられなかった。
姉が自殺した原因なんて、思い当たらない。亡くなる当日も、二人で普通に会話をして、普通に共に食事をした。何も特別なことはしていない…話題だって、ステラが友人とギャラリー巡りに行ったというごく普通の会話だ。姉の気分を害することはなかったはずだ。
けれどそれはごく最近のことで、幼い頃のステラはルーナからすれば、煩わしい存在だったかもしれない。
ルーナはその類稀なる美貌で、幼い頃から両親を含めた周囲の人々に持て囃されていた。煌めく金髪にエメラルド色の瞳。すっと鼻筋が通ったきれいな鼻。形の良い唇。陶器のような艶やかな肌。皆がルーナの容姿を羨んだ。
それに比べて、ステラはくすんだ金髪で、瞳の色も赤みがかった茶色。もちろんルーナのような美貌の持ち主でもなかった。目立たない冴えない自分の容姿に、ステラは幼い頃からルーナに対して劣等感を持っていた。
「お姉様はずるい」
それが幼い頃のステラの口癖だった。ルーナ宛に贈られたクマのぬいぐるみを「ずるい」と言って、横取りした。ルーナのためにと仕立てられたドレスや宝石も「ずるい、ずるい」と言って奪い取った。
そんなステラに対して、父は根気強く宥めた。母は吐息をつきながらステラと夫を見守った。そしてルーナは怒ることもなく、困ったように微笑むだけだった。
そしてそのような日々を過ごしていた頃、十三になったルーナの婚約者が決まった。相手はオルコット公爵家の次男のルイスで、彼はルーナの夫になり、ヴィンセント家の爵位を継ぐ予定とのことだった。ルーナと同い年で、ステラより三つ歳上だった。
ルイスも息を呑むほどの美形だった。銀色の髪にサファイアブルーの瞳。ルーナと並ぶと嫌味一つも出ないほどの美男美女カップルね、と社交場は大いに盛り上がっていた。
そんな中、ステラはルイスの目が届かないところでルーナに文句を言った。
「あんな素敵な方が婚約者だなんて、お姉様はずるいわ」
けれど今回ばかりは今までのように簡単に姉から奪いとれるものではないことは理解していた。そのためステラの癇癪はいつもよりもエスカレートしていった。
最初は困ったように笑うばかりだったルーナも、この時ばかりは人の目を気にして、ステラを叱ったが、手遅れだった。
「ルーナと違って、随分と醜いんだな、君は」
抑揚のない声がステラの頬を打った。振り返れば、そこにルイスがいた。
「……そうやって喚き散らして構って貰えるのも今のうちだな」
そう言ったルイスは、誰かに紹介するのか、婚約者のルーナの名前を呼んで立ち去った。ルーナはステラを気にしながらも、その場を後にした。
ルイスの言葉に大きなショックを受けたステラは、その日生まれて初めて寝込んでしまった。
素敵な方だと思っていたのに。
最初は悲しくて泣いていたが、やがて段々と悔しくなってきた。
「……私のこと何も知らないくせに」
けれど彼の言葉は、ステラの心の柔らかい部分に突き刺さったままだった。
ーールーナと違って、随分と醜いんだな、君は。
ーーそうやって喚き散らして構って貰えるのも今のうちだな。
「…………」
寝込んだステラを心配して訪ねてくる人は誰一人いなかった。それどころか、メイド達には「静かで良いことだわ」と陰口を叩かれていた。きっと家族も今頃そう思っているに違いない。
彼の言うことは一理ある。ステラがこうやって「ずるい」と言って、周囲の気を引けるのも今のうちだ。淑女として弁える年頃になれば、今のやり方では、周囲から悪い意味で浮くことも分かっていた。
「だからって、今更どうすれば……」
自分も構ってほしいといえるほどの武器をステラは持っていなかった。姉譲りの美貌があれば、話は別だが……ふと、ルイスがステラに言い放った「醜い」を思い出す。
きっとあれは、ステラの外面ではなく、内面を指す言葉だった。
「……内面を磨けば、少しは美しくなれるのかしら」
その日を境にステラはお茶会やサロンなどに通い詰め、淑女としての立ち振る舞いを学ぶことにした。最初のうちは訝しげにこちらの様子を伺っていた令嬢達も、ステラが愛嬌を覚えた頃には、話相手になってくれた。社交場を飛び回る噂話や恋愛話を彼女達は面白おかしく話してくれた。
最初は淑女としての立ち振る舞いを学ぶだけだと通い詰めていたお茶会やサロンだったが、令嬢達の話術にすっかり虜になったステラは足繁く彼女達に会いに行った。そんなステラを令嬢達は邪険にすることなく、いつも迎え入れてくれた。
彼女達を見習って、話術を習得し、淑女としての品位を学んだ。それだけでなく、芸術や学問にも造詣が深かった彼女達は、話題になっているという本を快く貸してくれたり、ギャラリー巡りに誘ってくれたりもした。
いつしか彼女達はステラの大切な友人となった。ステラは彼女達の影響で趣味の幅を広げていき、その過程でまた多くの友人に恵まれた。
その頃には、ステラは姉のモノに執着することもなくなり、周囲を煩わせることもほとんどなくなった。ステラの変化に両親も使用人達も大層喜んでくれた。
あるとき、ステラはルーナに謝った。お姉様が羨ましくて、妬んでいたこと。ずっと手のかかる妹でごめんなさいと深く謝罪すれば、姉はゆっくり首を横に振った。
「ステラが私のせいでたくさん嫌な思いをしたのは分かっていたから、もういいの。それに私の物を強請るステラは可愛かったわ」
そう言って、ルーナはステラの謝罪を受け入れてくれた。
それからはステラはルーナと良好な関係を築いてきた。ステラはありのままの自分を受け入れ、美しい姉を誇りに思っていた。
まさかその姉がこんな悲劇的な死を遂げるとは思わなかった。しかしルーナの死に悲しむ間もなく、姉と婚約していたオルコット公爵家の問題が浮かび上がった。これは契約違反になるのではないだろうか、死ぬほどルイスとの結婚を嫌がったのではないか。外部からも内部からもそんな話まで出てきて、両親はその火消しに追われた。互いに名家なのもあってそんな醜聞など晒せなかったのだ。
そして案の定、そう経たないうちに両親はステラにこう言ったのだ。「ルーナの代わりに、あなたがルイス様と結婚して」と。ルーナの死は自殺ではなく病死として処理された。
姉の葬儀後、ステラはルイスと再会した。ルーナと並んでいる姿を社交場や舞踏会で度々見かけたり、葬儀中に挨拶することはあっても、ちゃんとした会話は、彼に「醜い」と言われた時以来だった。
「……お久しぶりです」
改めて挨拶するステラに、彼は苦笑いを浮かべていた。
「君と言葉を交わすのは数年ぶりかな」
「そうですわね」
「……まさかこんなことになるとはな」
そう言ってルイスは深々とソファに腰掛けた。その姿はいつもと違ってオーラがなく、どこか弱々しい。
「……両親から言われました。うちの不始末だから私がお姉様の埋め合わせをしてくれないかと」
「……君は、その話を承諾したのか?」
「はい。私には結婚を約束した方もいないので」
「……そうか」
ルイスはしばらく黙りこんでいたが、やがて口を開いた。
「君がいいのなら、僕は構わないよ」
「……よろしいのですか?」
てっきり「君に姉さんの代わりが務まるものか」と断られてしまうと思ったのに。
何度も瞬きするステラに、彼は冷笑した。
「僕、というよりは親の意向かな。両親がこれ以上の醜聞を晒せないということで、君との婚約に乗り気なんだ」
「……」
「互いの親は、子供の意思よりも家が大事らしい」
彼は吐き捨てるようにそう言った。ステラはこれ以上、弱っている家族を困らせたくなくて結婚の話を引き受けたが、彼はどうも違うらしい。冷ややかな表情には、家族への情は微塵も感じ取れなかった。
こうしてヴィンセント家は爵位を継ぐルイスを婿として迎え、ステラとルイスの結婚生活が始まった。
彼と生活してみて分かったことだが、ルイスは思いの外、淡白な人物だった。父の仕事の手伝いや領地経営の勉強を淡々とこなし、それ以外の時間は何をすることもなく、ソファに座りぼんやりと過ごしていた。聞いたら特に好きなこともなく、無趣味らしい。
ただぼうっと長時間ぼんやりしている姿は見ているこちらが不安になってくる。
「ルイス様はどこかに出かけないのですか?」
「君はどこかに行きたいのか?」
質問に質問で返されステラは言葉に詰まった。姉が死んだからか、ルイスの表情に度々翳りが見られる。そしてそれは日を経つごとに一層濃くなっていくように思えた。両親やメイド達だってそうだ。ルーナの死でとんと生きる気力を失ってしまったような、どこか抜け殻になってしまったような、そういう雰囲気さえあった。
姉が皆に愛されていたのはよく分かる。けれどこれ以上、ルーナに繋がる人達が濃い死臭に呑まれてしまうのは嫌だった。
「ええ、出かけたいわ。天気が良いから美術館に行きたいんです。ルイス様も是非!」
多少強引に腕を引っ張れば、ルイスはびくりと震えたあと、苦笑いを浮かべた。
「そういえば君の美術品好きは有名だったな。気に入ったものがあればすぐに買い入れると」
「まあ、人を浪費家のようにおっしゃって」
「けれど美術品を収集しているのだろう? 収集癖があるなら立派な浪費家じゃないか」
「いいえ。気に入ったものには相応の対価を払っているだけです。それに美術品に古いか新しいか、有名か無名かは問いませんから」
「……熱意が凄いな」
「奥が深い世界なんです」
ステラの熱意に押されて、ルイスは重い腰をあげてともに美術館に向かった。最初は興味がなさそうにしていた彼も色々と鑑賞していく頃には、作品をじっと眺める時間が長くなった。
良かった。少しは気晴らしになったかもしれない。
それからもステラは何かと行先を見つけてはルイスを誘い出した。
食べ物で釣ることもあったし、面白そうよと誘うこともあった。すると数ヶ月経った頃には、「前行ったあの場所は楽しかった。また行ってみたいな」と話してくれるようになった。
その頃からずっと彼を覆っていた陰が和らいで、会話も長く続くようになった。話し始めて見れば、ルイスは非常に頭が良く知識もあった。なるほど、あの姉と親しくできた訳である。
ステラとルイスの仲が深まると、自然と居館にも明るさと活気が戻ってきた。娘夫婦の仲の良さに父も母も安心したように胸を撫で下ろし、使用人達も微笑ましく見守った。
ステラもルイスとの間に少しずつ壁がなくなっていくことを喜んだ。政略結婚でも仲が良いに越したことはない。自分の周りはほぼ皆政略結婚だが、愛情ではなく信頼で結ばれ、穏やかな家庭を築く姿を自分の両親も含め知っているから、愛だ恋だという話が二人の間になくても構わなかった。第一ルイスは婚約者であったルーナを愛していたのだ。
だからせめてルイスと信頼で結ばれたなら、ステラはそれだけで充分だった。
「ルーナが生きていたらな」
……それだけで充分だったはずなのに。
ルイスが時折、そんな言葉を落とすとき、ステラの胸に痛みが走った。横顔を盗み見れば、そこに悲壮感はなく、穏やかでどこか愛おしげだ。
亡くなってもなお、この男にそんな顔させる姉が心底羨ましいと思ったとき、ステラはとうとう自分の気持ちを誤魔化しきれなかった。本来ならばここにいたのはあの美しい姉で、自分ではない。そして彼は、今でもあの亡き人を乞うているらしい。
やはり自分はどこまでいっても、姉の代わりなのだとステラは自嘲気味に笑った。
「本当にお姉様のことを愛しているのね」
そう言えば、ルイスは少し驚いたようにしかし意を決したように口を開いた。
「いや……僕が好きなのは、君だけど」
「……へ?」
予想外の言葉に変な声が出てしまった。
「あ、ああ! 私に気遣ってくださっているのね。大丈夫です。私も承知で姉の代わりに結婚したもの」
「僕はステラをルーナの代わりだと思ったことは一度もないよ」
「……でも、さっきお姉様が生きていたらって」
尋ねたら、ルイスは少し戸惑ったように話し始めた。
「……ルーナが生きていたらというのは、彼女が恋しいという訳ではないよ」
♦︎
婚約者であるルーナが自殺したと聞いたとき、ルイスは正直「先を越された」と思った。
由緒正しい公爵家の次男として生まれ、裕福な家庭で育ったルイスだが、幸せだとは言えなかった。何をやらせても優秀な兄に敵わず、不出来なルイスを父親は早々に見放し、兄を溺愛した。そんな兄は彼を散々見下し、馬鹿にした。母親は躾けという名の暴力でルイスを虐げ、それは苛烈を極めていった。
家族から散々見下され、蔑ろにされた幼いルイスの唯一の楽しみは、お伽噺の絵本だった。
継母や義姉たちに虐げられていた心優しい少女が、魔法によってお姫様となり、その後王子様と結婚して、幸せになるという物語。
主人公と今の自分の状況が重なって、ルイスは物語に涙し、そして夢見た。
(僕もいつかお姫様と結婚して、幸せになれるかな)
ルイスはいつしかお姫様との結婚を夢見るようになった。心優しいお姫様はルイスを蔑んだり、暴力を振るったりはしない。きっとルイスにも優しく接してくれ、そして愛を囁いてくれるのだ。
お姫様を心に思い描いている間は、父の冷笑や兄の嘲笑、母の暴力にも耐えられた。
しかし、長年の暴力と蔑みに、ルイスの心は徐々に壊れていった。助けを求めようとしても、周りは父や兄に取り入ろうとして、自分に近づいてくる者ばかり。そんな者達に希望を見出すこと自体、馬鹿馬鹿しくなった。
いつしか、ルイスは自分が生きている理由すら見出せずにいた。生きている理由がないならば、必然的に死ぬことを考えるようになった。
けれどルイスが十三になった時、婚約者の話が舞い込んだ。相手は侯爵家の長女で爵位を継ぐ婿が欲しいということだった。
その時にはルイスも成長して、お姫様というものに夢見ることはなくなった。それでもこの家から逃げられるならと、ルイスはその話をすぐに受け入れた。
婚約者であるルーナは、驚くほどの美少女だった。けれどルイスが心を動かされることはなかった。見た目など何の意味も持たない。例えばルイスの母が可憐な女の皮を被った極悪非道な化け物のように、見た目と中身が一致しない人間もいるのだ。
果たしてルーナの中身はどのようなものなのか。見極めようとしたとき、ルーナに近寄る一人の少女がいた。
「あんな素敵な方が婚約者だなんて、お姉様はずるいわ」
ルーナの妹のようだった。ルーナと違って美人というよりは愛らしい見た目だが、どうやら中身は違うらしく、激しく姉に詰め寄る姿は身勝手極まりなかった。
まだ幼い子供だ。そう思っても、ルイスは言葉を吐き捨てていた。
「ルーナと違って、随分と醜いんだな、君は」
ルーナの妹が驚いたように固まった。そして目を丸くしてルイスを見上げた。
「……そうやって喚き散らして構って貰えるのも今のうちだな」
その反応は、生まれて初めて暴言を目の当たりにした子供そのものだった。ああ、きっとこの子は、どれだけ我が儘や文句を言っても、暴言を吐かれたり、暴力を振るわれたりしたことがないのだなと直感した。
醜い子。そして羨ましい。
それがルイスが最初に抱いたステラの印象だった。
そして肝心の婚約者のルーナとは、周囲が噂するような熱い関係でも何でもなかった。
「美しい容姿が何だって言うのよ」
類い稀な自身の美貌をルーナはそう吐き捨てた。
彼女は幼いころから親を含めた周囲の大人達にもてはやされていたが、成長するにつれて美しさに磨きがかかり、それがかえって人から敬遠される原因になってしまった。そうルーナは美しすぎたのだ。人は特異なものに引け目を感じる節がある。同性はもちろんのこと異性すら、彼女の美貌の前では怖じ気づいたのだ。かわいそうなことにルーナには常に孤独がつきまとっていた。いつしか、ルーナはろくな人間関係の一つも築けないまま、周囲から孤立してしまった。
「美しさには何の価値もないわ。年老いてしまえば、その価値もなくなる。その時になって私のなかには何が残るのかしら……知りたくもない、そんなの御免だわ」
だから、せめて美しいまま、早々にこの世を去りたいと彼女は言った。自分の中身が空っぽだと突きつけられる前にと。
彼女の言うことにルイスは共感を抱いた。
ルイスも早々に死にたいと考えていた。この世に何の未練もないのだから。
ルイスがルーナに抱いていた感情は、同情とほんの少しの同族嫌悪だけだった。
そんな彼女は、ある日突然、自ら命を絶った。彼女らしい美しい散り際だったと聞く。
婚約者に先立たれたルイスは悲しむこともなく、ただ彼女に先を越されたと思った。死を選び、それを実行できた彼女が羨ましかった。
そして自分の死に際を決められないまま、ルーナの妹との婚約が決まった。あの自分勝手で我が儘な侯爵家の次女。成長した彼女はもしかしたらもっと苛烈な性格になっているかもしれない。彼女に母の姿を重ねて、ルイスは少しだけ怯えを感じた。
ステラの前では平静を装っていたが、ルイスは実のところステラが怖かった。母親の長年の虐待により、彼は女性恐怖症の傾向があった。ルーナとはそんな関係に至らなかったが、結婚生活になれば体の関係は避けられない。女に体を暴かれると考えただけで、冷や汗が止まらなかった。それでもこのまま家にいても、自分は不幸になるだけだ。
覚悟を決めて、ルイスはヴィンセント侯爵家に婿入りした。
けれどステラは姉のこともあるだろうからと、ルイスに無理に夫婦関係を迫ることはなかった。ただ時折、ルイスを気にかけて、気晴らしに出かけないかと誘ってくるだけだった。
最初は戸惑ったルイスだが、いつのまにか彼女のペースに巻き込まれて、色々な場所に足を運ぶようになった。ステラはルーナと違ってよく出かけた。いく先々誰かしら知り合いがいて、いなくても初対面の人間とすぐに打ち解けてしまう。表情が忙しなくころころと変わって、あの美しい姉が「静」や「死」なら彼女は「動」や「生」だった。彼女は人生を楽しんでいて、この世の陰など微塵も知らないようにすら見えた。
そんな彼女に、いつしかルイスは心を動かされ、癒されるようになった。
ルイスが昔習ったと思い出したように描いた絵を彼女が褒めて、額に入れて部屋に飾ってくれた時、昔教師が話した豆知識をふと口にしてよく知ってるのねと感心してくれた時、手慰みに弾いたバイオリンをまた聴きたいと言われた時。その度に誇らしい気持ちになって、自分がまるで特別な存在になったと錯覚するのだ。
ステラはかつてのルイスが心の支えにしていたお姫様そのものだった。いや、それ以上に魅力的で、彼女はルイスの心の拠り所になっていた。
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「今まで心動かされなかったものでも、君が価値あるものとして扱うから、そう見えるようになった。君を好きになってから尚更そう思う」
そう言って、ルイスはどこか寂しげにステラに微笑みかけた。
「ルーナも生きていたら……こういう素敵な世界があると知ったら、彼女も命を絶たなかったかもしれない。だから僕は幸運だ、君に出会えたのだから」
「……ルイス様」
姉の自殺の動機にも動揺したが、ルイスの壮絶な過去にも驚きを隠せなかった。かける言葉を探していると、ルイスの方からステラの手に触れた。彼の手は少し震えていた。
「さっきも言ったとおり、僕は女性が苦手だ。でも、ステラのことは好きだよ。だから待っててくれないか。すぐに身体が心に追いつくようにするから、だから、どうか」
「もちろんです」
間髪入れずに、ステラは返事をした。
「待ちますよ、ですから焦らないで下さい」
「……待っていて、くれるの?」
「はい。好きな方の気持ちを知れただけで今は充分です」
そう言って、ステラは微笑んだ。
「それよりも不安や不満があれば気兼ねせず、すぐに言って下さいね」
その言葉に、ルイスは瞬きをした。
「もう充分良くしてもらっているよ」
「遠慮しないで下さい」
「……そんな。ただでさえ、今後僕の家族が君の家族に迷惑をかけるかもしれないのに」
「私も幼い頃は色々と我が儘を言って、家族を振り回してきました。だからお父様もお母様もちょっとやそっとのことでは動じませんわ。それどころか、息子同然であるルイス様をきっと守って、力になってくれます」
ルイスがこの家に来てから、姉を失って暗く沈んでいた家族に笑顔が戻ってきた。優しく、真面目なこの青年を両親も気に入っていて、可愛がっていた。
「あなたは私達の家族なのですから」
ルーナの代わりなどではない。一人の大切な家族。
その言葉に、ルイスは大きく目を見開いた。やがて彼は俯くと、声を震わせて泣き始めた。
ステラは慌ててハンカチを差し出したが、彼はそれを受け取らず、彼女に腕をのばして、抱きしめた。突然のことに動揺したステラだが、しばらくして静かにその腕に身を任せた。
彼と愛ある家庭を築くのは、まだまだ先のことかもしれない。けれどルーナの代わりではない。君が好きだとルイスがはっきりと告げたとき、ステラは霧が晴れる思いだった。
やっと自分を見てくれる人に出会えた気がした。
それはステラが、長年のルーナの呪縛から解放された瞬間でもあった。
♦︎
ルイスは泣き止んだあとも、ステラを抱きしめ続けていた。女性は怖いし苦手だが、腕の中にある温もりは堪らなく愛おしい。
人生に悲観的なルーナだったが、妹のことについてはよく口にしていた。
『ステラだけが私の光なの』
美しいかんばせは、妹のことを話すときだけは生気が戻った。
『昔は我が儘で手がかかる子だったけど、今は明るくて、人に好かれてる。私のせいで嫌なこともあったはずなのに、私を慕って、誇りに思ってくれてるの……いつ死んでも未練はないけど、あの子に会えなくなるのだけは悲しいわ』
『でもきっとあの子もいつか他の誰かのものになってしまう。そして私から離れてあっという間に幸せな家庭を築くでしょうね。その頃に私が死んでも、あの子には私以外に大切なものができて、きっと悲しみも半減してしまう』
『あの子のなかで美しい私のまま綺麗な思い出にしてもらうのが、一番上等な生き方なんだわ。ならば、幕引きは早いうちが良いわね』
ルーナの自殺の動機。それはステラも無関係ではない。彼女の価値観は特殊だったが、妹に向ける愛情も尋常ではなかった。ルーナはその言葉通りに、美しいままにその生を終わらせる事で、愛する妹の中で綺麗な思い出となり、自分の物語を完結させたのだ……巻き込まれた妹がどんな思いをしたかも知らないで。
(けれどルーナがステラに執着する気持ちはよく分かる)
互いに同じ人に想いを寄せることになるとは、少し前までは思いもしなかった。しかしルイスはルーナと違って、ステラを通して世界が色鮮やかであることを知った。この世界を捨て、ステラの思い出の中だけで生きるなど、ルイスには耐えられなかった。それならば、ステラと共に生きる道を選ぶ。
ルーナの自殺の真意を知り、ステラが傷つくことがないように。ルイスはそれを胸の内に秘め、愛しい人を抱きしめ続けていた。
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