周囲の理解など得る必要が無い(という場合もあるのだ)ことを理解しておき、
他人および頭の悪い自分自身に足引っ張られることがないようにするための俺的心得です。

何か新しいことを行おうとするときに
周囲の理解を得ておいた方がよいと考えて説明を試みて
結果それが失敗し、ボロクソに反論に遭い負けてしまう
というのは「何かしらの新しいチャレンジ」についてのあるあるです。

周囲の理解や助けがあればやりやすいのはもちろんですが
だからといって、理解が得られないから行う前に諦める(あるいは後回しにするなど)
というのはアホ丸出しです。

周囲の理解は、あなたが行う説明の
・正当性(自分にはそれを行う資格がある)
・有用性(一定のコストに対してより高いパフォーマンスが予測できる)
・合理性(ムダの少なさ、リスクの高低)
・共感(自分の感情がうまく他人に伝播できるか、伝える技術面)
といった要素で得られる/得られない、が決まります。

上記これらの要素というのは
真に新しいチャレンジであればあるほど
事前にそれの大小を予測できるものじゃないはずです。

正当性があり、有用性もあり、合理的であり、
かつ他人に説明が与えやすい(共感を得やすい、いわゆる『常識的な』)ものごとに関するチャレンジをお望みですか?
それは真に新しいチャレンジと言えるのでしょうか?
それは誰かの二番煎じじゃないですか?

周囲の理解や助けがあればやりやすいのはもちろんです。
でも、自分独自の人生のチャレンジの中には
事前に他人にとても理解してもらえるようなものじゃない
結果を出さないと誰にもわからない、20年後に振り返ってみなきゃわからない
そういうチャレンジもあります。

あなたの弱さやヘタクソな説明が原因で周囲の反対を撃退できなかったとしても
そんなことでメンタル落としてるヒマはありません。
事前証明は可能であればやっておいてGoodですが、できなくても全然OK、新しいチャレンジってそういうもんです。
自分がやるべき・やりたいと思ったのであればさっさとチャレンジを開始してください。という提案でした。

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