新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、世界は国境封鎖し、鎖国状態になっている。こうした事態を受けて、グローバル化は終わりつつあるという議論が欧米を中心に始まっている。しかし、このような主張は皮相的なものにすぎない。
やや逆説的に聞こえるかもしれないが、各国による国境閉鎖は、ある意味でグローバル化の当然の帰結だからである。つまり、鎖国は、グローバル化という現象の「もう一つの顔」をあからさまにしたのである。以下に敷衍しよう。
一般にグローバル化とは、人やものの自由な移動、さらには「ボーダーレス」な世界の到来として語られる。しかし、そうした現象の裏側で同時進行しているのは、国家による国境監視の強化である。国境をフィルターにたとえれば、グローバル化は、一面において、フィルターを通過する人やものの大幅な増大を意味する。
しかし、その反面、フィルターは、国家が通過させたくない人やものをふるいにかける。2001年9月11日の同時多発テロ事件以降、テロリストであると疑いがかかる個人を世界中で特に警戒するようになったのは周知のことである。
一方、私が居住するニュージーランドでは、自然環境を保護するために、動植物などいわゆるバイオハザードの対象となるものが国内に入るのを厳しく制限している。そして、今回、フィルターにかけられているのは感染病ウイルスであり、それに感染している個人である。
20世紀末以来論じられてきているグローバル化は、このように「二つの顔」を持つ。「表の顔」が人やものの自由な移動だとすれば、「裏の顔」は移動する人やものの国家による監視の強化である。そう考えれば、世界諸国が鎖国状態にあるのは、グローバル化の「裏の顔」が「表」になったことを意味する。
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