日本人の精神構造についての考察 その1
この原稿は隔月刊誌「ぴゅあ・しもん」に現在連載中。
単行本で、「元気になれば病気は直る」シリーズ続編として出版予定やったけど、世の中の時期が迫ってるので、
著作者権限(笑)で、「ぴゅあ・しもん」編集者に無断で(爆笑)転載する。
著作権は嫌いなので主張しないからコピペ自由。
ネタに使うのも自由。
ただ、著作者の名前を使った改編だけはしないでね。
改編するときは、改編者の著作として発表すること。
それと引用する人やネタに使う人、JASRACとは契約しないでね。
他の著作の一部は以下に
http://www1.interq.or.jp/~mrkykngn/index.html
http://www8.plala.or.jp/puresimon/7kaisya.htm
さて本編
「元気になれば病気は直る」第五弾、たぶんこのシリーズ、「元気になれば~」は終わってしまうかも?というくらいの本質論。
いつかは書かんとあかんと思うてた、人の心の仕組みを解明する精神力動(サイコ・ダイナミクス)論。
下手したら宗教になりかねんから、ついて来れる人だけでええから、ついてきてな。
最近ニュースは神奈川県平塚市の「男女幼児遺体事件」がかしましい。
いやぁ、母親がイタコで、玉の輿で、男を取っ替え引っ替え、色、金、猟奇アーンド保身の塊、借金の取り立てに自殺未遂の警察沙汰で対抗なぁんて、こりゃもうこんな判りやすくて古典的で、まるで「冬のソナタ」のようにパンピー受けするおもしろい事件はそうそうない。
あぁ楽しい!
しかし、しかしや、この事件のおかげでものすごく大切で恐ろしい事件が葬られてしもうた。
同じ神奈川県の(茨城と神奈川は事件がありすぎ・・・)川崎市の「婦女子投げ落とし男」事件であぁる。
この事件の容疑者は事件を自供している。
事件の客観性には一点の曇りもない。
法律的には何のミステリーもない事件なんや。
ただこの事件「動機」がない。
容疑者本人も「人を投げ落としたかった、誰でもよかった。」と話している。
では精神的に異常があるのか?確かに彼は「うつ状態」で精神科に入院し通院していた。
だからといって、彼が心神耗弱状態とか心神喪失状態であるわけではない。
彼は自分の行なったことをちゃんと回想(思い出すこと)ができているからである。
通常の殺人事件や障害事件の場合、大なり小なり無我夢中で事の子細まで覚えていることのほうが少ない。
だいたいプロの殺し屋でもない限り、人を殺すなど普通にあることやない。
嬉し楽しや初体験。
嬉し楽しいことでも緊張して覚えてないのに、人殺しの最中に「ここを刺したあとは次はここを刺して」などと考えてられるわけがない。
頭の中は真っ白、無我夢中!
実際、犯人が覚えていない部分を、客観的な証拠をもって「刑事が作文」して供述調書を作るわけなんや。
そんなあやふやな「犯行時の記憶」しかなくても、心神耗弱や心神喪失は認められず、客観的証拠があれば有罪はまず確定する。
彼の場合は完全に「犯行時の記憶」が客観的に理解できるほど、完全に「ある」。
彼は心神耗弱や心神喪失などという、いわゆる『キチガイ』なんかでは絶対にない!
彼は私やあなたと同じ(よりもマトモかもよ?)「法医学的に正常な人」なんや。
彼はまったく正常な精神状態において、極めて冷静に婦女子を投げ落としたんや。
この事件の問題は「客観的事実」にも「主観的事実」にもない。
本件の問題はただ、本人にも他人にも「なぜ投げ落とさなければならなかったのか?」が理解できないことにある。
まったくワイドショー的な面白味のカケラもない、純粋な「動機なき殺人事件」である。
ゆえに精神心理的にマジメに解明しなければならない事例であった。
結論から言う。
河井はこの事例には薬害が関係している可能性を考えてる。
具体的に薬害とは『SSRI』という種類の、脳内ホルモンの『セロトニン』を扱う薬物や。
一般的に『セロトニン』は「リラックスのホルモン」と考えられている。
「考えられている」というのは、脳の神経の働きはものすごくデリケートで複雑で、さらに感情は人間でしか表現でけへんさかい、動物実験やったら言うて教えてくれへんさかい、まだよう判らへんからなんや。
正常が判れへんから、精神科の病気における「脳内の変調の具体的な仕組み」など、まぁったく!判かるはずもなく実際判っていない。
その上に「心が原因で、脳の機能が傷害されるのか?」、それとも「脳の機能の障害が原因で、心を病むのか?」、それすらも判っていない。
差し当たり、ある種類の薬草を使うと精神が変調するという発見から、手を変え品を変え、薬の「分子構造」を変えて新薬を作ってみて、使ってみたら効くか効かんか出たとこ勝負。
しょせん精神科に使う薬というものは、総てが対症療法でしかない。
かの『SSRI』もそういう薬なんや。
対症療法薬は、漫然と使わなければ、その場を乗り越えるには良い選択肢なんやけどな・・・。
さて「投げ落とし男」は、なんらかの理由で「うつ状態になったらしく」、精神科に通院して「投薬を受けていたに違いない」。
河井が「欝病」と書かへんのは、似たような症状で違う病気は山ほどあって、この主治医の診断のセンスも判らへんからなんや。
精神科は『科学』ではなく職人芸(センス)である。
例えて言うなら骨董品屋の目利きと似ている。
客観的なデーターはまったく存在せず、視診、問診が総てと言っていい。
精神科医の修業は、自らを検査機械と化して、その診断精度を上げることにある。
心理検査などは診断の根拠にはならない。
精神状態を測る機械もない。
精神科の診断治療と言うものは、完全な客観的な検査結果もなく、確立された価格的な治療法もない、化学ではなく、人文科学的なものなんや。
そやからメディア情報だけでは「うつ状態になったらしく」としか言えない。
精神科入院歴通院歴は事実だが、どんな薬を処方されていたかはまったくメディアには流れていない。
しかしながら「うつ状態」であれば、『SSRI』が処方されるのは今では必ず!と言っていい。
なぜならこの『SSRI』という種類の薬は、1983年に『デプロメール』という商品名で、副作用がなく抑鬱気分に画期的に効く「夢の抗うつ剤」という世界的なものすごいふれこみで発売され、世界中で馬鹿売れした。
類似品の『プロザック』『ルボックス』『パキシル』『ゾロフト』も発売された。
1999年に厚生省が認可するまで、日本の自称「欝病患者」が、争って個人輸入した、という代物である。
そして『SSRI』は「うつ症状」以外にも「不安症状」や「パニック障害」などなどに節操もなく使われ始めて、今では旧来の抗うつ薬は完全に駆逐され、『精神分裂病(今は統合失調症というが、精神は元々ひとつなので河井は分裂病と言う)』以外の症状には、まず間違いなく使われていると見て間違いはない!ほどポピュラーな薬になってしまっているから、「うつ状態の投げ落とし男」にまず間違いなく使われていたに違いない。
さて話は戻る。
『デプロメール』が発売されて一五年後の1994年、米国コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校で、同校生徒二人がマシンガンを乱射、生徒12人と教師一人を射殺、24人に重軽傷を負わせた後、犯人の生徒二人が自殺した事件。
この二人の少年のうち主犯の生徒は『ルボックス』を多量に服用していた。
共犯の少年も服用していた可能性も高いと言われているのだが「医学的記録が封印されている。」という、極めつけに不可解な事件である。
河井はこの情報を日本で『SSRI』が発売になるまでに読んで知っていた。
そして実際に、自殺衝動が強いという理由で、精神科の主治医から『ルボックス』と『デプロメール』を処方され服用していた河井の友人が、自殺衝動ではなく「誰でもいいから他人を殺したい!」という衝動に取り憑かれて、パニクって河井に電話で相談してきたんや。
この主治医はとても親切でセンスも良い精神科医であったのだが、「『SSRI』で自害他害衝動が高まる。」という事例を知らなかったため、この主治医に相談するとさらに『SSRI』を増やされたり入院させられるる恐れがあったので、主治医に内密で加療してこと無きを得たが、彼女が『SSRI』を完全にやめるまでには一年かかった。
やめる速さが少しでも速いと、自殺・他殺衝動や高不安状態などが沸き起こってくるので、一錠を減らすために爪切りのやすりで一日一削りずつ減量していったんや。
「無げ落とし男」事件のすぐ後、その友人の彼女から連絡があって、彼女は「無げ落とし男」が自分と同じように『SSRI』を使っていた可能性を指摘した。
一般に、刑事粗暴犯(殺人、傷害事件が多い。)現行犯犯人が精神科通院歴があることが判った場合、警察は検察庁に起訴せずにいきなり精神病院につれてきて、取り乱していた場合、普通そのまま入院になる。
起訴されなければ事件にはならないから、記者に知られることもなく記事にならない。
警察官も調書などの膨大な書類を書く手間が省ける。
例え記事になっても実名も公表されなければ、動機の詳細など精神病院のカルテの中、業務上知りえた秘密は公表してはならないので、真相は闇の中で朽ちてゆく。
この「無げ落とし男」事件は、日本における『SSRI』が原因の、「一見マトモに見える」精神変調による薬害事件が表面化した希有な事例なのだ。
続く
単行本で、「元気になれば病気は直る」シリーズ続編として出版予定やったけど、世の中の時期が迫ってるので、
著作者権限(笑)で、「ぴゅあ・しもん」編集者に無断で(爆笑)転載する。
著作権は嫌いなので主張しないからコピペ自由。
ネタに使うのも自由。
ただ、著作者の名前を使った改編だけはしないでね。
改編するときは、改編者の著作として発表すること。
それと引用する人やネタに使う人、JASRACとは契約しないでね。
他の著作の一部は以下に
http://
http://
さて本編
「元気になれば病気は直る」第五弾、たぶんこのシリーズ、「元気になれば~」は終わってしまうかも?というくらいの本質論。
いつかは書かんとあかんと思うてた、人の心の仕組みを解明する精神力動(サイコ・ダイナミクス)論。
下手したら宗教になりかねんから、ついて来れる人だけでええから、ついてきてな。
最近ニュースは神奈川県平塚市の「男女幼児遺体事件」がかしましい。
いやぁ、母親がイタコで、玉の輿で、男を取っ替え引っ替え、色、金、猟奇アーンド保身の塊、借金の取り立てに自殺未遂の警察沙汰で対抗なぁんて、こりゃもうこんな判りやすくて古典的で、まるで「冬のソナタ」のようにパンピー受けするおもしろい事件はそうそうない。
あぁ楽しい!
しかし、しかしや、この事件のおかげでものすごく大切で恐ろしい事件が葬られてしもうた。
同じ神奈川県の(茨城と神奈川は事件がありすぎ・・・)川崎市の「婦女子投げ落とし男」事件であぁる。
この事件の容疑者は事件を自供している。
事件の客観性には一点の曇りもない。
法律的には何のミステリーもない事件なんや。
ただこの事件「動機」がない。
容疑者本人も「人を投げ落としたかった、誰でもよかった。」と話している。
では精神的に異常があるのか?確かに彼は「うつ状態」で精神科に入院し通院していた。
だからといって、彼が心神耗弱状態とか心神喪失状態であるわけではない。
彼は自分の行なったことをちゃんと回想(思い出すこと)ができているからである。
通常の殺人事件や障害事件の場合、大なり小なり無我夢中で事の子細まで覚えていることのほうが少ない。
だいたいプロの殺し屋でもない限り、人を殺すなど普通にあることやない。
嬉し楽しや初体験。
嬉し楽しいことでも緊張して覚えてないのに、人殺しの最中に「ここを刺したあとは次はここを刺して」などと考えてられるわけがない。
頭の中は真っ白、無我夢中!
実際、犯人が覚えていない部分を、客観的な証拠をもって「刑事が作文」して供述調書を作るわけなんや。
そんなあやふやな「犯行時の記憶」しかなくても、心神耗弱や心神喪失は認められず、客観的証拠があれば有罪はまず確定する。
彼の場合は完全に「犯行時の記憶」が客観的に理解できるほど、完全に「ある」。
彼は心神耗弱や心神喪失などという、いわゆる『キチガイ』なんかでは絶対にない!
彼は私やあなたと同じ(よりもマトモかもよ?)「法医学的に正常な人」なんや。
彼はまったく正常な精神状態において、極めて冷静に婦女子を投げ落としたんや。
この事件の問題は「客観的事実」にも「主観的事実」にもない。
本件の問題はただ、本人にも他人にも「なぜ投げ落とさなければならなかったのか?」が理解できないことにある。
まったくワイドショー的な面白味のカケラもない、純粋な「動機なき殺人事件」である。
ゆえに精神心理的にマジメに解明しなければならない事例であった。
結論から言う。
河井はこの事例には薬害が関係している可能性を考えてる。
具体的に薬害とは『SSRI』という種類の、脳内ホルモンの『セロトニン』を扱う薬物や。
一般的に『セロトニン』は「リラックスのホルモン」と考えられている。
「考えられている」というのは、脳の神経の働きはものすごくデリケートで複雑で、さらに感情は人間でしか表現でけへんさかい、動物実験やったら言うて教えてくれへんさかい、まだよう判らへんからなんや。
正常が判れへんから、精神科の病気における「脳内の変調の具体的な仕組み」など、まぁったく!判かるはずもなく実際判っていない。
その上に「心が原因で、脳の機能が傷害されるのか?」、それとも「脳の機能の障害が原因で、心を病むのか?」、それすらも判っていない。
差し当たり、ある種類の薬草を使うと精神が変調するという発見から、手を変え品を変え、薬の「分子構造」を変えて新薬を作ってみて、使ってみたら効くか効かんか出たとこ勝負。
しょせん精神科に使う薬というものは、総てが対症療法でしかない。
かの『SSRI』もそういう薬なんや。
対症療法薬は、漫然と使わなければ、その場を乗り越えるには良い選択肢なんやけどな・・・。
さて「投げ落とし男」は、なんらかの理由で「うつ状態になったらしく」、精神科に通院して「投薬を受けていたに違いない」。
河井が「欝病」と書かへんのは、似たような症状で違う病気は山ほどあって、この主治医の診断のセンスも判らへんからなんや。
精神科は『科学』ではなく職人芸(センス)である。
例えて言うなら骨董品屋の目利きと似ている。
客観的なデーターはまったく存在せず、視診、問診が総てと言っていい。
精神科医の修業は、自らを検査機械と化して、その診断精度を上げることにある。
心理検査などは診断の根拠にはならない。
精神状態を測る機械もない。
精神科の診断治療と言うものは、完全な客観的な検査結果もなく、確立された価格的な治療法もない、化学ではなく、人文科学的なものなんや。
そやからメディア情報だけでは「うつ状態になったらしく」としか言えない。
精神科入院歴通院歴は事実だが、どんな薬を処方されていたかはまったくメディアには流れていない。
しかしながら「うつ状態」であれば、『SSRI』が処方されるのは今では必ず!と言っていい。
なぜならこの『SSRI』という種類の薬は、1983年に『デプロメール』という商品名で、副作用がなく抑鬱気分に画期的に効く「夢の抗うつ剤」という世界的なものすごいふれこみで発売され、世界中で馬鹿売れした。
類似品の『プロザック』『ルボックス』『パキシル』『ゾロフト』も発売された。
1999年に厚生省が認可するまで、日本の自称「欝病患者」が、争って個人輸入した、という代物である。
そして『SSRI』は「うつ症状」以外にも「不安症状」や「パニック障害」などなどに節操もなく使われ始めて、今では旧来の抗うつ薬は完全に駆逐され、『精神分裂病(今は統合失調症というが、精神は元々ひとつなので河井は分裂病と言う)』以外の症状には、まず間違いなく使われていると見て間違いはない!ほどポピュラーな薬になってしまっているから、「うつ状態の投げ落とし男」にまず間違いなく使われていたに違いない。
さて話は戻る。
『デプロメール』が発売されて一五年後の1994年、米国コロラド州ジェファーソン郡のコロンバイン高校で、同校生徒二人がマシンガンを乱射、生徒12人と教師一人を射殺、24人に重軽傷を負わせた後、犯人の生徒二人が自殺した事件。
この二人の少年のうち主犯の生徒は『ルボックス』を多量に服用していた。
共犯の少年も服用していた可能性も高いと言われているのだが「医学的記録が封印されている。」という、極めつけに不可解な事件である。
河井はこの情報を日本で『SSRI』が発売になるまでに読んで知っていた。
そして実際に、自殺衝動が強いという理由で、精神科の主治医から『ルボックス』と『デプロメール』を処方され服用していた河井の友人が、自殺衝動ではなく「誰でもいいから他人を殺したい!」という衝動に取り憑かれて、パニクって河井に電話で相談してきたんや。
この主治医はとても親切でセンスも良い精神科医であったのだが、「『SSRI』で自害他害衝動が高まる。」という事例を知らなかったため、この主治医に相談するとさらに『SSRI』を増やされたり入院させられるる恐れがあったので、主治医に内密で加療してこと無きを得たが、彼女が『SSRI』を完全にやめるまでには一年かかった。
やめる速さが少しでも速いと、自殺・他殺衝動や高不安状態などが沸き起こってくるので、一錠を減らすために爪切りのやすりで一日一削りずつ減量していったんや。
「無げ落とし男」事件のすぐ後、その友人の彼女から連絡があって、彼女は「無げ落とし男」が自分と同じように『SSRI』を使っていた可能性を指摘した。
一般に、刑事粗暴犯(殺人、傷害事件が多い。)現行犯犯人が精神科通院歴があることが判った場合、警察は検察庁に起訴せずにいきなり精神病院につれてきて、取り乱していた場合、普通そのまま入院になる。
起訴されなければ事件にはならないから、記者に知られることもなく記事にならない。
警察官も調書などの膨大な書類を書く手間が省ける。
例え記事になっても実名も公表されなければ、動機の詳細など精神病院のカルテの中、業務上知りえた秘密は公表してはならないので、真相は闇の中で朽ちてゆく。
この「無げ落とし男」事件は、日本における『SSRI』が原因の、「一見マトモに見える」精神変調による薬害事件が表面化した希有な事例なのだ。
続く
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