渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

映画『光る海』(1963年)

2021年09月18日 | open

『光る海』(1963年/日活)

非常に面白い。
18才の吉永小百合が22才の大学卒業
生を演じている。
この映画は極めて知的な映画だ。
劇中交わされる俳優たちのセリフは、
当時の正しい日本語である。
そしてそれは、大学に通える環境に
あったインテリ層によって牽引され
ていた。

1963年当時の大学生たちは、とても
知的であり、かつ「戦後民主主義的」
であった。
この映画では、あと7年後に発生した
「ウーマンリブ」を先取りしたように
女子大学生たちは先進的で開明的であ
り、かつ知的で活発だ。
男子とも同地平でよく言い合いする
のだが、すべて論理論理で互いに対
応する。
そして、「知の平等」という立場で、
年上には敬意を示しつつも全く忖度
なく思った事を「私はこう思う」と
ズバリと言う。

これは、1963年卒業という事は、
1959年大学入学であり、60年安保
を2年次に経験している世代という
ミクロ的な面での背景がある。
マクロとしては、人が物を言えない
世の中が戦争への道を開いたという
戦後総体の日本人の自らの歴史へ
の反省がなされたのが戦後日本の
思潮の立脚点としてこの時期にあっ
た健全な時代背景の存在、というも
のが指摘できる。現代のネトウヨの
ような埒もないものは発生も生存
えも許されない峻厳な自戒がこの
期の日本人総体にはあったのである。
そして、「知の担い手がかつて戦争
を止められなかった」という自己総
括が日本人の中にあった時代だった
のだ。
男女の掛け合いの言い合いの中で、
「あら、あなた案外保守的なのね」
という台詞もある。
保守=失敗して日本をダメにした
思潮、という図式が人々の中に生き
ていた戦後18年目が1963年だった。
学生たちは安保には負けたが、社会
を牽引するインテリゲンチャとして
自由・平等・平和の理念は、たとえ
直裁に社会運動に携わらなくとも
誰でも持っていたのがこの昭和30
年代という時代だったのである。

ただし、この時代、大学に進学でき
る人間は日本の人口の中でごく僅か
であり、女性の大学生などはさらに
ほんのひと握りの家庭の子女しか進
学できなかった。男女ともほとんど
大半が中卒であり、高校に進学でき
ればまだよい程という社会的国民教
育実態の成熟度だったのだ。
そして、男子も女子も、高校もそう
だが、大学に進学できるのは、その
高額な学費と生活費を捻出できる経
済的に裕福な家庭の子しか進学は不
能だった。社会全体が。
ゆえに、現在のように名前を書けれ
ば入れるような大学というのは存在
せず、学士たちは一様にインテリで
あり、知性を身につけていた。
また、そのような知的活動を担える
人材として学問の真理探究の学究を
通じて高等教育と最高学府での教育
が為されていた。

この時代、日本人たちは極めて礼儀
正しい。
すぐに言い返したり言い合いになる
が、「それはおかしいのでは」と指
摘されると「やあ、これは失敬」と
すぐに潔く非を認める。それがこの
作品の台詞には充満している。
この映画作品を見ていて、かつての
日本の知力の代弁者たちは、自己の
を素直に認める潔さ、清さを持っ
いた事を知ることができる。
もしかすると、知力というのは、非
を非として己が認める力を担保する
ものこそが知力なのではなかろうか
と、この作品を見ていて学び取る事
ができるのである。
本作は、極めて良作。
人間の知性の存立基盤は、時代など
関係なく、普遍性と不朽性を有して
いる事は論を俟たないからだ。

この記事についてブログを書く
« はあ? | トップ |