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2014.12.05

株式会社イノベーターの金井亮太社長のプロフィール

イノベーターの前身である株式会社アールメディア時代に、情熱社長に掲載されていたプロフィール。

参考: slashdot にも掲載されている、株式会社イノベーター会社情報

簡単に要約すると、
・高校時代に、着メロサイトを立ち上げ、月70万円を稼ぐ
・40人を超える組織を作るも、1億の借金を負う
・1億の負債を、たった1年で完済。
という、すごい人物のようです。

現在は、従業員4人で、年1億5000万円の売り上げを出しているそうです。

【転機】 ~ビジネスの目覚め~

小さい頃はどこにでもいるような、遊びとテニスに夢中のごくごく普通の少年でした。
親が自営業でしたので、物心ついた頃からお金に対しては敏感であったとは思いますが、
将来自分も起業しようなどとは全く考えていませんでした。
そんな私の人生を大きく変える出来事が起きたのは、まだ私が高校1年生の時でした。

当時周りのほとんどが持っていた携帯電話。
無論、私も携帯電話を持ちたいと思い、何かいいアルバイトはないかと見つけたのが、
もともと得意だったパソコンを使っての着メロサイト制作。
これは全て無料で提供し、ユーザーが増えてきたらそこに当時流行っていたクリック広告を貼って、
せいぜい5千円くらい稼げればいいやと思い始めたもの。

それがなんと、噂が噂を呼び、初月でユーザーが5千人、その数ヶ月後にはなんと5万人にまで。
もちろん広告収入も増え続け、初月6万円だったものが、私が高校2年生になる頃には
月に70万円にまで増えていた
のです。
当時はまだサーバーが高価だったので、慌てて独学でサーバーを作り、
友人にも声をかけて1件いくらという形で、知らないうちにこの頃すでにビジネスの真似ごとをしていました。
初めて何十万という売上があった時は実際にATMで手にするまでは信じられず、
慌てて二つ折りの財布に無理やり押し込んで家まで走って帰った記憶があります。

この時得た収入のほとんどは親に渡していました。
たくさんのお金を手にして嬉しいという気持ちよりも、子供が大金を持つということに
恐怖心を感じていたからです。
私自身、生活はあまり変わることなく、相変わらずテニスに没頭する普通の高校生でしたが、
今思えば、この時からビジネスの面白み、経営者としての自覚が生まれ始めていたのかもしれません。

【挫折】 ~「このまま終わってたまるか!」~

高校卒業後、一旦は専門学校に入学するも、すでにサーバーからシステム、デザインまでを一人で制作できるまでになっていた私に、専門学校で教えられることは退屈極まりないもので、1日出席してそのまま辞めてしまいました。
しばらくは一人で活動していましたが、そのうち一人二人と仲間が増え始め、
気が付いたら40人を超える一大組織になっていました。
その頃の私と言ったら、毎月入ってくる大金を手にしては仲間と派手に飲み歩き、自分はまるで天才にでもなったと思うありさま。
今思えば恥ずかしい話ですが、地位と名声、お金を手にした当時20歳前後の若者にとっては、ひとときの成功を手にした快感に溺れていたのでしょう。

しかし、そんな時代も決して長続きはしませんでした。ITバブルの崩壊です。
実は、完全に崩壊する前に、私はその予兆を肌で感じていました。
特に何があるわけでもないのですが、“自分の器を超えて進んでいる”、そんな違和感を感じていたのです。
案の定、その予兆は現実のものとなり、仕事が激減し、財務経理も見よう見まねでやっていたため
そのほころびが出て私の負債は1億を超えるまでになってしまいました。
当時40名いた社員も最後は5,6名のアルバイトが残っただけ。
「所詮金かよ!」その頃の私に残っていたのは1億円の負債と将来の不安、
そして、人間不信の気持ちだけでした。

「悔しかった!」

とにかく、悔しかった。それは決してお金や地位がなくなったからではない。
自分が一生懸命創り上げてきたものが、いともたやすく消滅してしまったこと、
それがとにかく悔しかった。
絶対にここで終ってたまるか!ちょうど20歳を迎えた頃でした。

【再出発】 ~「自分は何がやりたいねん!」~

前の会社が結局空中分解し、残ったメンバーとまた新たに事業を開始し、
背負った1億の負債を完済するまでにそんなに長い時間はかかりませんでした。
21歳から24歳の時、この3年間はその前とは打って変わり、まるで外資系の如く
全てお金での関係と割り切ってビジネスを展開
していました。
所詮お金でしか人は動かない、そう勘違いしていたのです。
1年で借金を返済した後は、ろくに会社にも行かず、毎日飲み歩いていました。
お金を保持していたくなかったのかもしれません。
入っては遊び、入っては遣い、そんな繰り返しでしたが、
沖縄へ行っても、300万円のアクセサリーを買っても、何にも面白くないのです。

「お前は何がやりたいねん!」

その頃から毎日自問自答を繰り返していました。
5年後10年後どうしていたいのか、東京か奈良か、そのメリットデメリットは…。
何度もノートに書いては自分と対話をし続けました。そこで辿り着いたのが、起業の原点です。
高校生の頃、携帯電話がほしくて着メロ制作を始めた。
その着メロサイトを使って周りの仲間が喜んでくれた。
そして初めて自分の力で手にした携帯電話。その時の喜びと言ったら言葉では言い表せないほど。
そうだ、もっと面白い事をやりたい。
それで周りの人たちや、社員が喜んでくれるような、そんな会社を創りたい!
それでできたのが、アールメディアです。
今のメンバーと、初めてお金を貯めて数万円のウォーターサーバーをオフィスに置いた時、
この時は以前300万円のネックレスを買った時の何百倍もの喜びを感じました。

【これから】 ~社員と一緒に、社員のために~

現在当社ではホームページのアクセス数を高めるコンサルティングやホームページ制作、
また、自社でエンターテインメント総合ポータルサイト『エンタメディア』を運営しています。
この『エンタメディア』とは、何か面白い事を発信していきたいという
私たちの想いがぎっしり詰まったサイトで、そんなに収益化しなくても、
これを見て面白いと感じてくれる人がたくさん増えてくれればと思って運営をしております。

もちろん、インターネット全盛期の真っただ中を通ってきた私の経験やノウハウは
今のビジネスにしっかりと活かされていますが、何よりも弊社の強みは、ヒトです。
組織です。距離感、コミュニケーション、結束力、人柄…。つまりは、社員です。

現在社員は私含めて4名。まだまだ少人数ですが、自分たちができること、
自分たちだからこそできることを毎日一生懸命、全員参加で会社を創っています。
そのための早朝勉強会や沖縄旅行、サンキューカードという制度や休日のボランティアなどなど、
仕事もプライベートも全力で楽しんでいます。

今の私に上場や売上何100億といった野望はありません。
ただ、社員がこの会社に入って良かったと思えるような会社を、一生継続させること。
それが私のビジョンです。
他の色々な事では社員に負けることがあっても、この想いだけは誰にも負けません。

社員は家族。
これからも社員と一緒に、社員のために、アールメディアを創っていきたいと思っています。

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