「やりたいことが見つからない」本当の理由

stand.fmにて放送中: 幸複論 のテキスト版です。加筆修正アリ。

  • 00:00~02:50 それらしい理由をつけると自分の欲求が見えなくなる
  • 02:51~09:38 それらしい理由がやりたいことにフタをする
  • 09:39~13:36 やりたいことが見つからない本当の理由

 

それらしい理由をつけると自分の欲求が見えなくなる

今日は「それらしい理由をつけることで、自分の欲求が見えなくなってくる」って話をします。

昨日たまたま友達の社長と一緒にいたら「オンラインで面接するからちょっとだけ待って」って言われて、20分くらいオンライン面接をハタから聞くってことをしてたんですけど。そこでね、面接してると定型文みたいなのがすごく流れてくるんですよ。

「何で前の会社をやめたんですか?」
「自分は○○を元からやりたいと思っていて、人と話すのが好きだった。でも違う部署に回されて、なんとか人と対面して仕事したいと思うから、転職を決意しました」
みたいなことを言うんですね。

まあ、まあ、立派じゃないですか。
別に馬鹿にしてるわけじゃないんですけど、立派だと思うんですよ。これってほんとによく聞く転職理由だったりするし、僕も転職理由として言ったことがある気がする。

で、退職理由としてはマイナスなことを言っちゃいけないっていろんなWEBサイトで書かれてるし、求人雑誌にも「マイナスなことは言っちゃいけないんだよ」って書いてあるわけですよ。

それって自分の欲求や、やりたくて我慢していることにフタをしているなって思うんです。

僕、どちらかというとそういったものにフタをするのが苦手な方の人間で。その結果、いまは会社勤めをせず家で自分のしたいことだけを仕事にして生きていくことができてるんですけど。

それって、自分の欲求とかやりたいことに敏感なままだったからだと思うんですね。

ただ学校とか会社で生きていくには、自分を消して、それらしい理由や言い訳をつけて生きていくことがすごく求められるんです。

 

それらしい理由がやりたいことにフタをする

たまたま今日ね、夢を見たんですよ。学生時代の夢。遅刻したんですよ、30分か1時間くらい。
それで先生に怒られてたんですけど……僕が遅刻した理由は何かって言うと、「学校に行きたくなかったから」なんです。

「どうしよっかな、行こうかなー」と迷っているうちに時間が過ぎてしまって、結局遅刻してしまった、っていうのが素直な理由だったんです。でも、それをそのまま先生にぶつけたら「もっとそれらしい理由を考えろ」「ちゃんとした理由を考えろ」って言われたんですよ。

たぶん、同じようなことって結構起きてると思ってて。それらしい理由を考えたら許される世界になってるじゃないですか。それって、それらしい理由をつけることで人格を否定してる。個人の欲求を抑えればOKって世界になってる気がするんですよ。

それこそ「学校行きたくないから遅刻した」とか「ドラクエの発売日で、ドラクエしたいから休んだ」って言うのは許されないじゃないですか。でも、体調不良で……っていうのは許される。まあ許されるわけじゃないけど、それらしい理由にはなる。それこそ、おじいちゃんやおばあちゃんを殺したことがある人もいると思います。もちろん実際に殺したわけじゃなくて、「危篤で……」とか「葬式に行かなきゃいけないから休む」ってことは、選んだことがある人はいると思うんですよね。

それって自分の心に素直にならずに、何をやるにしてもそれらしい理由を考えてやってるってこと。それは「自分にフタをしていく癖づけ」というか、教育というか……。社会ではそれがあれば何とか生きていける、みたいなもの。だから先生ってそれを教えるんですよね。「ちゃんとした理由を考えろ」って。

でもなんかそれっておかしいなって思うんです。

昔の、それこそ高度経済成長の時代、みんなが一律に働いてて「一億総中流」の時代だったらそれでもよかったんですけど……。いまの日本ってみんな中流になれてないじゃないですか。どちらかというと、低所得者層に入る人が多くなってしまう部分ってあると思うんです。
中流だったら、なんとなく仕事して、社会っていう流れの中にいて、そこでそれらしい理由を考えつつ体裁を整えて、世間体を気にしながら生きていけばそれでよかったんです。

でも今ってそうじゃなくて、好きなことをしていると、気づいたら派遣社員になってたりとか。フリーターになって貧乏に過ごさないといけない、みたいな感じになっちゃってて。でも実際には、僕もそうなんですけど、YouTuberだったり発信をすることで結構自由に生きていくってこともできるんですね。インターネットのおかげで、自由に生きることができるようになった。しかも日本はちょっと貧困な国になってきてしまったってところを捉えると、それらしい理由を考えて、社会の中でなんとなくうまく生きていくってあんまり得じゃないと思うんですよ。

むしろ自分の欲求、自分の好きなことを限りなく突き詰めていって、その中で人の役に立つことを探すことで、人間って、日本人って、わりと自由に好きなことして生きていけるんですよ。

実際、僕は自転車のYouTubeで、たぶん大卒初任給の倍ぐらいの収入はありますし、それだけじゃなくて他の仕事もしてます。大金持ちではないけど、ある程度自由に暮らしてるっていう状態なんですね。

「欲求を押し殺すことが正解なんだ」ってことが、日本では当たり前になってるんですよ。子供の頃からそれらしい理由を考えて、自分を押し殺して生きるのが当たり前になってる。「なんとなく学校行きたくなかった」って理由があったとしても、それにフタをして「体調不良で……」って理由をつけちゃうじゃないですか。そうなると頭の中では「やっぱりそういうことを言っちゃいけないんだ」って認識になる。

でも、そこに疑問を持って「自分の本当の欲求ってなんだったんだろうな?」って考えてみるといい。「ドラクエをしたい」でもいいし、「自転車に乗りたい」でもいい。それを押し殺さずに自分の欲求を突き詰めていって、結果として人の役に立つ。そこを目指すと、割と好き放題生きられるって僕は思ってるんですね。それらしい理由を考えて、自分の欲求に気づかないままでいると、人生楽しく生きられないなって思うんです。

やりたいことが見つからない本当の理由

実際ね、好きなことが何かわからない。やりたいことがないって人たくさんいると思うんですよ。でも、男だったら「女性にモテたい」「カッコいいって思われたい」って思うかもしれないし。女性だったら「綺麗になりたい」とか。「毎日ゲームをして生きていきたい」「毎日寝て暮らしたい」「毎日自転車乗って暮らしたい」「毎日趣味に没頭して暮らしたい」って。あるはずなんですよね。

でも、好きなことなんて無いって言う。それっておかしいじゃないですか。

それって自分の感覚の中で「仕事になるもの」の中から「好きなもの」を考えているから見つからないんだと思うんです。

自分の本当に好きなことが見つからないのは、子供の頃からの「それらしい理由を考える」って癖のせいでフタしちゃってるんですよね。だから、徐々に「それらしい理由を考える」のを辞める。そのうえで「じゃあ本当に自分の好きなことってなんだったっけ」って10分でも20分でもいいから考える。もしくは「それらしい理由を考えなきゃ」ってなったときにハッと気づいて、「あれ、俺って本当は何がしたいんだっけ」ってちょっと考えてみてみると、人生がちょっと好転していくんじゃないかなって思います。

もちろん、好きなことばっかやっていく人生の中では、やりたくないことを徹底的にやらないといけない日っていうのは絶対あるんですけど。でもそれも好きなことをやるために繋がってると思えば結構やれるんですよ。

僕もこうやってラジオをやってますが、別に毎日更新したいわけでもないし、話すことを頭の中で整理するのでエネルギーだって使ってる。でもその先に、実現したいライフスタイルが待ってるから毎日やってるんですよね。

なので、社会的にはそんなこと思ってたら”ダメな大人”になるような自分の欲求と、ちゃんと向き合うこと。それらしい理由を考えてフタをせずにね。

「学校行きたくなかった」「会社行きたくなかった」「この仕事をしたくなかった」「子供がいるからガマンして仕事してる」って思ってる人は、いつもやってる我慢を一旦ふりほどいてみて「自分が本当に何をしたいのか」って考えないといつのまにか人生終わってるってことになるよってことが言いたかったんですね。

ということでまとめると、僕たちには「それらしい理由を考える」癖があるけど、それらしい理由を考えてしまったとき、ちゃんと逃げずに自分の欲求と向き合った方がいいよってお話をさせて頂きました。

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