今から12年前リーマンショックの起きて、派遣切りという言葉が流行った。
現在、全世界が同時に不況へと向かっている。
もちろん日本も例外ではない。
おそらく多くの会社が倒産し、多くの人が露頭に迷うだろう。
これを不幸だと決めつけるのは時期尚早だ。
派遣切りにあったからこそ自分の人生を見つめなおし、理想に近づけた人もたくさんいる。
それとは対象にリーマンショックが原因で、いまだに非正規雇用で苦しんでいる人たちもたくさんいる。
12年間でこの違いをわけたのは、能力でも運でもなく、チャンスと捉えたか、ピンチと捉えたかの差だとわたしは思う。
2020年は仕事を失う人が多数
現在は2020年の3月。
コロナショックとすでに名づけられているが世界中にコロナウイルスが広がり、WHOもパンデミックだと認めたことで世界的に外出を控えたり、イベントが中止が決まっている。
このおかげで飛行機はほぼ貸し切り状態、外食業界や旅行業界はダメージを受け、インバウンドをあてにしていた業界もかなり辛い状況だろう。
こうなると人々はお金を使う機会がなく経済は滞る。
企業は赤字を埋めるためコストカットをするが、非正規雇用者はカットの対象になる。
そしてギリギリの資金で運転していた企業の倒産も相次ぐだろう。たくさんの職を失う人が出てくるのは間違いないはずだ。
「派遣切り」のおかげで、今の生活を手に入れられた
わたしは今、フリーランスとして生活している。
会社に属さず、好きな時間に起きて、好きな時間に、好きな仕事をする生活を手にいれられた。
これは12年前の派遣切りがあったからこそだと思っている。
- 大学中退
- フリーター3年
- 会社員2社目
- 24歳
であったわたしは、結婚を機に落ち着こうと思っていた。
自由な人生を追い求めていたのに、真面目に社畜に成り下がるのが大人なんだと言い聞かせた。年収は下がってもいいから正社員の仕事を探し出し、しかも憧れだった自動車業界へ就職した。
そこからたったの半年でリーマンショックを迎える。当時自動車業界は世界的に落ち込み、派遣切りというワードは誰しもが口にしていた。わたしはトヨタの子会社に派遣契約で出向し働いていたが、まだ新人なのもあって次の契約更新はされなかった。
ただ雇用元は正社員雇用なのもあって、給料はもらえる。本社に戻り用意されたPCに向い技術の学習をする。全く利益は生んでいないことは誰が考えてもわかる。社員数50人程度の会社だったが、そこには15人ほど派遣切りに遭った人が集まり、暇を持て余していた。
わたしはそこで景気が戻るまで、技術を学び再起にかけることもできたが、それはなにか違うと思い辞表を提出した。
当時わたしは自覚していなかったが、ここで真面目な社畜に成り下がって人生を誰かに任せるのをやめたのだと思う。そこからtwitterを始めた。twitterはすぐにやめてしまったが、まだ日本語対応していなかったfacebookを初めて、1000人以上のコミュニティも運営した。今でいうオンラインサロンのようなものだったと思う。
結局facebookはマネタイズができなかったが、契約社員でなんとか飯を食いながら、必死で自分で稼ぐことにフォーカスして過ごした。結果、出会ったのがアフィリエイトだった。これで自分は自由になれると確信し、アフィリエイトを副業で死ぬ気でやって、今の自由な生活を手に入れることができた。
派遣切りはピンチなのか?
いまだに非正規雇用の問題は終わっていない。むしろ拡大し社会問題になっている。
当時、会社をやめざるをえなかった人たちの多くはいまだに非正規雇用で苦しんでいると思う。そして2020年には多くの非正規雇用者が路頭に迷うだろう。
そちらがわに人間になる人は増えるはずだ。とはいえ日本で、餓死することはない。それなりに生きてはいける。
この差はなんで起きたのかと考えた。
答えは目の前に起きたことを、チャンスと決めつけるかどうかだと思う。
ピンチなのかチャンスなのかを迷う必要はない。どんな不幸だろうと、誰かのせいで露頭に迷っても、チャンスだと決めつける。
そして自分にとってなんのチャンスなのか必死で考える。
チャンスだと捉えた人は、考える機会が与えられその経験を生かし人生を理想へと一歩近づける。
しかしピンチだと捉えたひとは、足がすくみ立ち止まり抜け出せなくなる。
チャンスだと決めつけろ
なにか人生で変化が起きるとき、大抵そいつはピンチの顔をしてやってくる。
でも実はそれは仮の姿で、化けの皮を剥いでやれば、ほとんどの場合チャンスになり得る。
そのためにはどんなに辛い状況でも、チャンスだと決めつけてればいい。そいつは僕らの人生にとって味方のはずだからだ。