仕事=苦痛=賃金

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仕事=苦痛=賃金

これまで私のエッセイでは、自分の趣味に関することばかり書いてきました。 そろそろ読者様に「この人本当に働いてるの?」と思われそうなので、今回は、仕事について書いていこうかなと思います。 「簡単な自己紹介」や「空っぽっぽの大学生活」でも書きましたが、現在、私は公的機関に勤めています。 公的機関といっても、なにか最先端の研究をしているわけでもなければ、特別な才能が必要な仕事をしているわけでもありません。いたってふつうな社会人です。 そんな珍しくもない仕事の様子を詳細に書いても、おそらく、面白くありませんよね。私が苦しんでいる様子を見たい、という人は別ですが……。 ということで、ここでは、私が仕事をしていて感じたこと、考えたこと、思いついたことを書きたいと思います。 まず、仕事をしていて思うのは、「給料はモチベーションに繋がらない」ということです。 学生の頃は、仕事とはお金を稼ぐための手段であり、それ以上でもそれ以下でもない、といった考え方を持っていました。 なんでもそうなんですが、私は、まず極端な思考をして、現実に打ちのめされて、いろいろ妥協する、といった工程を繰り返して生きている気がします。 話が逸れました。 実際に働いている最中に、「お金のためなら頑張れる!」といった気持ちは、ほとんど湧いてきません。どちらかというと、クビになりたくない、皆に迷惑をかけたくない、怒られたくない、といった逃避的な気持ちで働いている気がします。 お金のために働いているはずなのに、可笑しいですよね。 なぜお給料のために頑張ろう!という気持ちにならないのか……。 こういった心理的矛盾は、私にはよくあることなのですが、今のところ上手く説明できそうにありません。 次に思うのは、意外にも社会は多様性に寛容だと言うこと。 まぁ、これは、表面上といいますか、ただの社交辞令の可能性が高いのですが、私の孤独な生き方に対して、あまり口を突っ込む人は職場にいません。 むしろ「全然そういう生き方もアリだよねぇ」とすら言われます。 私なんか、職場の人が結婚するだけでビクビクして、謎の焦燥感に駆られるのですが……、本当にみんな大人だなぁと思います。 生き方に正解なんてあるわけないのですが、それでも、やはり……、自分と違う生き方をしている人を見ると、不安になるわけです。 私は間違っているんじゃないか、後々後悔するんじゃないか、と……。 インターネット上で、他人の人生に口出しをしたり、否定したりする人がいますが、そういった人は、私と同じように、自分の人生に対して自信がないのかなと思います。 つまり、他人の人生を肯定することは、自分の人生の否定になる、といった幻想・錯覚があるのでしょう。正直、そういった気持ちは私にもわかります。 まぁ、自分の人生に不安を感じながらも、結局は生き方を変えないということは、少なからず今の生活に満足しているのでしょう。 これからも孤独を極めていきたいですね。
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