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空っぽっぽの大学生活
私は、大学で友達をひとりも作ることができませんでした。
友達どころか、知り合いすらいません。大学の学生の名前をひとりも覚えていない状態です。当然、飲み会なんて一度もしませんでしたし、誰かと遊びに出かけたこともありません。気分的には、予備校に通っているような感覚でしたね。時間どおり起きて、電車に乗って、大学に行き、勉強をして、家に帰る。
ここまで極端なひとりぼっちは、日本でもそこそこ珍しいのではないか、と思います。大学に入学するまえ、親に「どうせ遊びに使うだろうから、車の保険入ったほうがいいぞ」と言われましたが、残念ながら、入らなくて正解でした。
おそらく、大学時代、友達と飲んだり騒いだりして楽しんだ人(想像力の限界)は、私の大学生活を見て、憐れむか、見下すか、絶望するのではないか、と思います。
しかしながら、意外にも、私は自分の大学生活に、そこまで不満はありません。
むしろ、あの頃に戻りたいな、とすら思えます。
大学での活動は完全に虚無でしたが、家に帰宅してからは充実していました。
毎日、やりたいことがたくさんありました。
お絵描きをしたり、動画を作ったり、小説を書いたり、彫刻をしてみたり、写真を撮ってみたり……、自分の手で何か素晴らしいものを生み出すことができると、震えるほど嬉しくなります。
ということで、私の主観だと楽しい大学生活でしたが、問題となってくるのが就職活動です。
私の対人能力の低さは、自他ともに認めるものでしたので(ここでいう自他とは、私と私の両親のことです)、比較的労働条件の良い就職をするために、面接以外の試験で私を評価して頂く必要がありました。
最終的に、大学生の私は公務員関係の道を進むことに決めました。公務員試験では、筆記の配点率が高いので、面接がダメダメでも採用してくれる可能性があります。もちろん、試験によっては面接を重視するところもありましたが。
私は1年生の頃から、コツコツとアルバイトをして貯金をしていましたので、就職活動において金銭面で困ることは一切ありませんでした。元気に予備校に通い、勉強をして、滑り止めと面接練習を兼ねて民間も受けて、公務員試験に挑戦し、内定を頂き、就職をして、現在に至ります。
私は、大学生活を通じて、「人生は、自分が望んだとおりになる」という法則があるのではないか、と考えました。
ひとりになりたい人は、もちろん独りになりますし、友達とワイワイしたい人は、あちこち声をかけたり顔を出したりするので、自然と友達ができるでしょう。
いっぽう、自分の能力にそぐわない望みを持っている人は、少し特殊です。
友達が欲しいけれど、対人能力がない人。みんなに認められたいけれど、目立てるような特技を持っていない人。一流企業に就職をしたいけれど、それに値する実力、実績がない人。
これらは、非常に不安定な状態ですので、いずれ崩壊します。理想のハードルが下がるか、努力によってハードルを飛び越えるか、はたまた両方か……、必ず、理想と現実のギャップが埋まる方向へシフトします。例外は、埋まるまえに死んでしまう人ぐらいでしょう。つまるところ、ほとんどの人は、自分が望んだとおりになるのです。
なので、ひとりになりたい人は、社会人になってもひとりぼっちになります。
そう、私のように……。
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