素直になりたくない、という素直な願望

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素直になりたくない、という素直な願望

私にはいろんな趣味がありますが、休日になれば必ず遊びに没頭している、というわけではありません。 この日は、なんだかやる気が出ず、朝から布団でゴロゴロ。本棚から漫画やら小説やら見境なく引っ張り出しますが、全然読むことができず、そのまま昼寝。 目が覚めると、すでに12:00頃。さすがに少し焦りまして、ようやく布団から脱出します。 朝ごはん兼昼ごはんを食べてから、散歩がてら外に出ました。適当にぷらぷらしていると、少しずつ元気が出てきます。家に帰ったら、なにをして遊ぼうか……、いろいろ想像しますと、どんどんワクワクしてきます。エンジンがかかってきたようですね。 大学生の頃、私は「やる気」や「気持ち」といった精神的なものを軽視していたといいますか、些細なもの、コントロールが容易なものだと信じていました。 たとえば、「やる気なんていらない。ただ、やればいい」とか、「他人と自分の人生を比べるな」とか、「できないことを望んでも仕方ない。できることだけ求めるしかない」とか……、いろいろと自分なりの理屈を構築していました。 「いやぁ、尖ってたなぁ……(笑)」と恥ずかしさ2割、嫌悪感2割、強がり2割、微笑ましさ2割、その他2割の気持ちで呟いてしまいます。過去の自分の考え方って、ことごとく否定したくなるものばかりなんですよね。まぁ、この話は、またいつか……。 散歩から帰還した私は、部屋に入るなり、すぐにお絵描きを始めました。 散歩中に思いついたアイデアを形にしてみたかったのです。 アイデアといっても、具体的な絵のイメージがすでにあるわけではありません。非常に抽象的な方向性が頭にある状態です。その頭にある曖昧なものをどうやって表現すればいいのか、ひたすら考えます。うーん、うーん、と唸りながら、本を読んだり、練り消しを練って遊んだりして、思いつくのを待ちます。 発想は、遠く離れた点と点を繋ぐ作業です。じっと一点を見つめて集中していると、いつまで経ってもなにも閃きません。リラックスして、視野を広げて、ぼんやりと考えるように心がけています。 この頃には、朝、布団の上でゴロゴロしていたことなんて、すっかり忘れています。 あれほど、やる気が出ないなぁ、体がダルいなぁ、と項垂れていたのが嘘のようです。 結局、「やる気」や「気持ち」とはなんなのでしょうか。 未だによくわかりませんし、おそらく、今後しばらく、ハッキリとはわからないんじゃないか、と私は予想しています。人間の精神の仕組みは、現代の科学でも解明できていません。また、人権や倫理的な側面もあり、なかなか研究が進まない分野でもあります。 ただ、最近になって、私はこう考えるようになりました。 私は、自分の気持ちに振り回されているだけなのではないか……、と。 気怠いからゴロゴロする。危機感を覚えて散歩する。楽しいからお絵描きをする。 やりたくないなぁ、と思いながら勉強することができるのは、理性で自分を律しているわけではなく、将来役に立つかもしれない、という期待、自分をコントロールしたい、という願望、なにもしないことへの不安など、そういった様々な感情に、ただ身を任せた結果なのでは……? 嫌で嫌で仕方ない仕事を続けられるのも、理性による自己管理の結果ではなく、お金や世間体、将来のことなどを想像し、結局は、仕事を続けたい、と私が望んでいるからでは……? ありのままの自分で人前に出たい、と思っていても、上辺を取り繕ってしまうのは、恥ずかしい、恐ろしい、1人でいたい、などといった感情を優先し、最終的には、素直になりたくない、と私が願っているからなのでは……? そんなことを考えていたら、気がつくと夕方になっていました。 気がつくと〇〇になっていた、ってことが私よくあるんですよね。 気がついたら死んでた、みたいなことにならなければいいですが。
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