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「自分」の研究の第一人者は、自分
研究者は、研究が本当に大好きです。
楽しくて仕方ないので、研究をさせてくれるのなら、ほかになにもいらない、とすら考える人がいます。
世間では、1日12時間も働かされると、勤め先の会社を恨む人が出てくるでしょう。
いっぽう、大学の助手などは、1日15時間ほど働くのが珍しくありません。昼休憩をするのすら惜しいので、食べながら研究をします。職場に寝泊まりします。休日出勤を進んでやります。
恐ろしいのが、誰一人としてそのことに文句を言わないことです。自分から嬉々として研究をしています。おそらく、研究を好きになれない人は、あまりの忙しさに辟易して、研究者になるまえに淘汰されるのでしょう。結果的に、研究者=研究大好きという等式が成り立つのです。
研究は、上司から「これをやりなさい」とドサッと書類をデスクに置かれて、それを黙々と処理する、といった仕事ではありません。自分で謎を見つけて、自分で謎を解き、論文を書いて提出し、再現性、新規性が認められると実績になります。そして、実績があるとより多くの研究費がおりるので、さらに研究ができる……、という無限ループです。
自主性が尊重されている、というよりかは、専門性が高すぎて、上司が部下の研究に口出しできない、という表現のほうが事実に近いのかな、と思います。
それを良いことだと思うか否かは、人によりますよね。そこまで極端に仕事を任されると、私なんかは嫌になると思います。あくまでも仕事なので、責任がありますからね。そういったシガラミがなければ、喜んでやりたいですが。
つまり、なにが言いたいんだ?と思われた読者がいるかと思われます(1人ぐらい読んでいるだろう、という驕りです)。長々と申し訳ありません。つまり、研究は楽しいんだよ、と私は言いたいのです。
研究のイメージとして、最先端の機械に囲まれて、試験管に入った液体の反応を観測する、といった印象が世間にはあるような気がします。もちろん、そういった研究もありますが、全部が全部そうではありません。
研究とは、正体の明らかになっていない対象を調べ、分析し、結論を出すことを指します。研究施設は必須ではありません。論文を書かなければ研究じゃない!なんてこともありません。
とはいえ、なにか特段専門的な知識があるわけでも、設備があるわけでもない私のような人は、研究してみようか、となったとき、「でも、なにを研究すればいいの?」と途方に暮れると思います。そう、まず、なにを調べればいいのかを考える、そこからすでに研究なのです。
私の場合、もっぱら自分を研究しています。
「自分を研究ってどういうこと?」と当然疑問に思われるかと思います(1人ぐらい読んでいるだろう、という驕りです)。ちょっと恥ずかしいですね。もう1000文字ほど書いてしまったので、最後までやりますが……。
自分を研究するとは、自分の性質や能力を分析し、傾向を出すことを指します。たとえば、お絵描きをしていて楽しいと思ったとき、どうして楽しいと思えるのか分析して、自分の趣味嗜好を予想してみたり、読書が捗らないときに、なぜ捗らないのかを考えて、自分の生活習慣を評価したり、他人の言動や態度に腹が立つ自分を観察して、感情が発生するまでの経緯を理屈にしたりします。
はい、なんだか全然科学的でもないし、レベルも低いですよね。申し訳ございません。
ですが、やってみると、これがけっこう楽しいのです。どう楽しいのか、言葉で説明するのは非常に難しいのですが……、たとえば、自分の趣味嗜好がなんとなくわかると、ちょっとした全能感といいますか、自分をコントロールすることができる、という明らかな幻想を抱くことができて、嬉しくなります。ほかには、自分の仕組みに対する斬新な解釈を思いつくと、お、そういうふうに考えることもできるのか、と自分の発想に驚いて、満足感を得られます。なにを研究しようかな、と考えるときは、あれでもない、これでもない、と思考を巡らせ、なにか思いつきそうになるたびに、心の底からワクワクします。
また、やはり、私のことを一番知っているのは私であり、新しい私の情報を得やすいのも私であるため、この研究が世界最先端である、という確かな実感があり、ちょっとした優越感を得られます。
私より前に私が生まれたことはありませんし、私より後に私が生まれることもありません。
この1秒1秒が最先端であり、未知の領域であり、唯一無二なのです。誰も答えを知りません。誰も助けてはくれません。自分で考え、悩み、答えを出すしかない。そう、人生とは、研究そのものなのです。
格好いいことを言おうとしちゃってるな、と書いていて思いました。
後々、赤面することにならなければいいのですが。
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