学校に到着すると教室へと続く廊下の途中に十数人の人だかりができていた。何事かと外から覗き込めばその中心にいたのは宮永だった。
どういう状況?と首を捻る。
しかしよくよく聞いてみれば「優勝おめでとうございます!」やら「応援してます!」という声が宮永の取り巻きから上がっていた。そこで先週末に麻雀の春季大会あったことに思い至る。
その声を聞けば結果は明白だった。宮永本当につえーなぁ。
などと感心していると宮永と目が合った。俺には分かるぞ、あれは助けを求めている目だ。
だから俺はその意図を汲んだ上で笑いながらサムズアップを返した。ファンとの交流頑張りたまえ、ということである。
俺は宮永からのSOSをスルーして自分の教室へ向かった。宮永が解放されて教室に入ってきたのは約十分後。
席に座った宮永は恨みがましい視線で俺を見る。
「……どうして助けてくれなかったの?」
「
「実際のライオンはそんなことしない。そもそもその諺の獅子はライオンじゃなくて空想上の生き物」
麻雀やってると中国の故事にも詳しくなんの?んなわけねーか
読書家の宮永のことだから大方なんかの本から得た知識だろう。
「まあそう怒るな」
不満げな宮永の頬を指でつつく。やたらぷにぷにしてんな。
依然宮永の眼光は鋭いままだが、さっきの言葉に嘘はない。メディアやファンへの対応スキルは今後宮永にとって絶対必要になってくる。
史上初の個人・団体での三連覇がかかる今年の全国大会。最も注目を浴びる主役は言わずもがな宮永だ。日本の麻雀人気を考えれば報道が過熱するのは目に見えている。
当然インタビューなんかの数も今と比較にならないくらい受ける羽目になるはずだ。口下手無表情ゆえの返答も、宮永のそういう部分を知らない世間から見れば冷たくぶっきらぼうに映ることもあるだろう。
だからいらぬ誤解を招かないよう俺は宮永に「ファンやメディアにはできるだけにこやかにな」と言い続けてきた。ウチにきた時は白夏相手に受け答えの練習をさせることもある。
そのおかげで去年から比べれば改善されてきているし、廊下で囲まれてたところをみると相手の体感温度を氷点下にするような返答はしなかったようだ。
しかし整えられた場でないと営業スマイルを十全に発揮できないのが今後の課題である。テレビカメラがあると上手く猫被れるのに、咄嗟のファン対応だと完璧とは言い難い。さっきも顔は無表情のまんまだったしな。
その辺をなんとか夏までに仕上げておきたいところだが。
……いかん。鹿島先生に宮永の問題任され過ぎてマネジメントの真似事が身に染みつき始めている。俺は宮永のマネージャーでもなんでもないのに。
「……分かった。その代わり話を聞いて」
「おう、いくらでも聞いてやる」
自分の変化に軽いショックを受けていると、宮永の雰囲気がやっといつも通りに戻る。
宮永はカバンの中から一通の封筒を取り出した。茶封筒のような洒落っ気のないものじゃなく、親しい仲の相手へ手紙を送る時に使うようなカジュアルさのあるものだ。
「なんだこれ?」
「ラブレター」
キャッチボール感覚で山なりに放り投げたボールがフルスイングで弾き返されたような衝撃が俺を襲う。
え、ラブレターってあのラブレター?普通このタイミングで渡すか?
「さっき後輩にもらった」
「お前がかい」
まあだろうとは思ったけど。宮永がラブレター書いてる姿って想像しにくいし。
ただ宮永がもらったラブレターを俺に差し出されても困る。まさかのモテ自慢とは言わんよな?
「……ただ、くれたのは女の子だった」
「なるほど。問題は把握した」
超速で。これはつまり百合な展開か。
確かにクールビューティーで通ってる宮永は同性からも人気があるのは事実だ。身長も女子の中だと比較的背も高いし、凛とした雰囲気も相まって王子様的要素も揃っている。
なんか宮永が女子から告白されるのって当たり前のような気がしてきた。
「私は女の子とは付き合えない」
まあ同じ立場なら俺もそうだ。
同性愛を否定するつもりはないけど自分がそこに踏み込めるかと言えばそれはまた別の問題である。
「中身はもう読んだのか?」
「まだ」
「とりあえず読んでみろよ。もしかしたら手の込んだいたずらかもしれないぞ」
「そんなことをするのは見汐君だけ」
お前俺のことをなんだと思ってんだ。そこまで悪質なことはしねぇよ。
そう反論したかったが宮永がラブレターを読み始めたので押し黙る。時間にして一分足らず、宮永が顔を上げた。
「『お話したいことがあります。今日の放課後、B棟三階の空き教室で待っています』だって」
「本気っぽい?」
「……たぶん。どうしたらいいかな?」
「付き合えないならきっぱり断るしかないだろうな」
「そうしたら彼女は傷付く」
「それでもだ。曖昧な返答で期待を持たせるのは酷だし、相手が本気ならなおさら誤魔化すのはなしだと俺は思うね。特にこの送り主は相当の勇気を出したはずだし」
同性愛は未だにマイノリティーだ。本人すら自分の恋愛感情に葛藤することもあるらしい。
この手紙の女の子はそれでも一歩を踏み出した。その勇気と覚悟には嘘をついたり逃げたりせずにぶつかるべきだろう。
まああくまで俺個人の持論だけど。
「……逃げずに、ぶつかる」
何か思うところがあったのか宮永は俺の言葉を反芻する。
宮永も唐突な出来事に困惑しているんだろうと思う。この反応からして同性から告白を受けるのは初めてみたいだしそれも当然と言える。
それでもいざ放課後を迎える頃には自分の中で決心がついたのか、毅然とした足取りでB棟へと向かっていった。あの辺の度胸の座り具合はさすが全国王者である。
女子に告白される宮永というのも俺の興味をそそる光景だが、それを覗き見るのはいくらなんでも無粋だろう。明日本人から結果を聞けばいいか。
そう思い教室を出たところで弘世とバッタリ出くわした。
「よう弘世。今日も部活か?」
「ああ。お前はどうする?」
「部員じゃねぇんだからナチュラルに誘うなよ。自主的に行くわけないだろ」
「いいじゃないか。見汐はほとんど身内みたいなものなんだから」
「何その身内認定」
確かにちょくちょく顔出してるけど。部内の雑用仕事もマニュアル化して、あまつさえ麻雀部のマネージャー募集もかけてるけど。
……あれ?俺本当に部外者か?自信なくなってきた。
「それにあの話についても詳しく聞きたいしな」
弘世がニヤニヤとしたいたずらっぽい笑みを浮かべる。
コイツがこんな表情をするのは珍しいが、俺に心当たりはない。
「あの話?なんのことだ?」
「とぼけることはないぞ。照からラブレターをもらったそうじゃないか」
ああ、そういうこと。まあ確かに今朝の一場面だけ見たら俺が宮永にラブレターを手渡されたように見えるか。俺も一瞬勘違いしたしな。
弘世は「じれったく思っていたがようやくくっついたか」などと感慨深げに頷いているが、残念それはまやかしである。
「なあ弘世」
「なんだ?」
「俺が宮永からラブレターもらったんじゃなくて、宮永が後輩からラブレターもらったんだぞ」
その一言に弘世が硬直した。それはもうダンサーかパントマイマーかと見まがうほど素晴らしい停止っぷりだった。
弘世は錆びたブリキのようにぎこちない動きで振り返る。
「今、なんと言った?」
「だから宮永が後輩からラブレターもらったんだって」
「それで?」
「あん?」
「それでお前はどうしたんだ?」
「どうも何もないだろ。告白を受けるにしろ断るにしろ相手の気持ちを正面から受け止めろよって――」
「バカなのか?」
唐突に罵倒された。
弘世の目が驚くほど冷たい。
「いや、疑問に思う必要はないな。見汐、お前はバカだ」
「おいおい、知らないのか?バカって言ったやつの方が……」
「そんな下らないこと言ってないでこい!」
今度は怒り出した弘世に襟首掴まれて麻雀部まで連行される。
頭の中でドナドナのメロディーが流れる俺が連れ込まれたのは麻雀部の監督室だった。俺自分の意思とは無関係にここにきすぎだろ。
弘世はノックもなく扉を開いた。中にいたのは鹿島先生に大星、渋谷、亦野の三人。弘世も入れれば宮永を除くレギュラー陣勢揃いだ。
何これ?レギュラー陣の集会?その割にはお菓子つまんでお茶飲んでるけど。
「あ、やっときた!」
「遅いですよ先輩」
「お茶用意しますね」
「ん?宮永はどうした?」
各々好き勝手にしゃべっているが、どうやら俺がここにくる前提で待ち構えていたらしい。これはあれか、ラブレターの一件で俺と宮永から根掘り葉掘り聞き出そうって魂胆だったな。噂広まるの早すぎ。
つーか監督室で何やってんだよコイツら。全国一位の強豪校が部活時間にこんなんでいいのか?
「緊急事態だ。それどころではなくなった」
弘世がそう切り出して、先ほど俺が話した事の真相を暴露する。それが終わると一様に全員が弘世と同じような目を向けてきた。
生意気だな、大星、亦野。渋谷?お茶ありがとう。
「太陽先輩最悪っ!」
「サイテーですね」
「照先輩が可哀想です」
「この愚か者め」
「なんで俺がここまで責められなきゃなんねぇんだよ……」
「それが分かってないからバカだと言ったんだ」
とりあえず弘世からの風当たりが一番キツイ。
でも宮永が告られたら俺が怒られるとかそのシステム理不尽すぎるだろ。
「大体見汐はそれでいいのか?」
未だ怒りは収まっていないようだが、それでも弘世が少し感情を押さえてそう尋ねてきた。
「それでって?」
「もしかしたら照に彼氏ができるかもしれないんだぞ」
弘世がそう言った瞬間、ようやく重要なピースが抜けていたことに気が付いた。
そういや宮永が後輩の子からラブレターを渡されたとしか言ってなかったな。そりゃ相手が男だと勘違いするか。
だからって俺を責める正当な理由にはならないと思うけどな。
「いや、それはねーだろ」
「なぜだ?今の関係に安座しているなら……」
「ちげぇわ。彼氏になるなら宮永の方だろ。ラブレターの送り主は女子だからな」
再び弘世の動きが停止する。というか監督室の空気が凍った気がした。
普段ちょっとレズっ気がある感じのコイツらでもガチレズ展開は衝撃なようだ。
まあいいや。これ以上ここに留まるとさらに面倒なことになりそうだしさっさと退散しよう。
「そういうわけなんで。じゃ、お疲れっしたー」
全員が言葉を失っている間に適当な挨拶で監督室から姿を消す。
この対応は明日以降が怖い気もするがすべては宮永が出す結果次第だろう。それに相手は女子だし宮永は断る感じだったから俺も心配しないで送り出したわけで……って心配?
「あ」
そんな思考に沈みかけた時、廊下の曲がり角から宮永が現れた。その隣や背後を確認してみるが一人だけのようだ。
「どうしたの?」
「もしかしたら後輩といい関係になったかもと」
「なってない」
食い気味で否定された。別にそこまで力強く否定する必要なくねぇか。
それにしても俺を見る宮永の目力がかつてないほど強い。いや、いつも通りの無表情ではあるんだけど、何かを訴えるような視線だった。
「なんかあったのか?」
「相手は本気だったみたい」
「ってことはマジ告白されたのか」
「うん。だけど断った」
まあそれも仕方のないことだ。
相手の気持ちを尊重して、ってわけにはいかない話だしな。
「ありがとう」
「何が?」
「全部本当の気持ちで答えたから、相手も分かってくれた。見汐君のアドバイスのおかげ」
「そうかい」
アドバイスってほど大したものじゃなかったけどな。拗れずに済んだんならそれに越したことはない。そのお礼は素直に受け取っておこう。
しかしラブレターの相手が普通に男だったらどうだったのかね?異性に興味が薄いというか、今は麻雀が恋人って感じの宮永が誰かと付き合うってのは今のところ想像しにくい。
「ってさっさと部活行かなくて大丈夫か?」
通常ならもう部活が開始されている時間帯だ。
まあ監督とレギュラー陣があれだから多少遅れても問題なさそうではあるけどな。
「今から行く。今日はありがとう」
「どう致しまして」
「じゃあまた明日」
「おー」
宮永が麻雀部の部室に入っていった。
さーて、俺も帰るか。ああ、なんかすげー疲れた……。