「勧銀のシステムの一部に、'71年に第一銀行と日本勧業銀行が合併した時に作られたとみられる部分が残っていたのです」
この部分は、'80年代まで盛んに使われていたプログラム言語「COBOL」で書かれていた。'00年代には使いこなすエンジニアが激減し、「化石」と呼ばれた言語である。
「当時ですら、わかるエンジニアが現場にいなかった。もちろん設計図や手引の類いも見当たりませんでした」
たとえるなら、古い時計を部品交換のため開けてみたら、交換したい部品が古すぎて替えが利かず、やむなく油を差して閉めた、というような話だ。だがこの時は、気に留める者もいなかった。
2度目の大規模障害が起きたのは'11年3月15日、東日本大震災の直後だ。災害義捐金の振り込みがひとつの口座に殺到し、システムが一度に対応できるデータ量の上限を超えてしまった。
エラーに対応しているうちに、他の取引のデータも渋滞を起こし始め、遅れてゆく。際限なく積み上がる未送信データを処理するため、ATMの全面停止を繰り返し、行員たちは夜を徹して手作業で数字を入力した。未処理の金額は一時、8300億円分にも達した。
「当時のみずほのシステムは『バッチ処理』といって、夜間に取引データをまとめて自動処理し、朝に各支店へ送信する仕組みをとっていましたが、これが機能しなくなった。
バッチ処理自体、とっくの昔に時代遅れになった手法ですが、みずほは何らかの理由でこだわっていたのです」(ITジャーナリストの佃均氏)
データの手入力が終わったあとでシステムが予期せず再起動し、振り込みや引き落としが二重に発生するミスも多発。結局、沈静化するまでに1週間もかかった。
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