こんにちは。坊主です。
2021年7月15日、東京オリンピックの開会式において、「コーネリアス」の小山田 圭吾さんの起用が発表されました。
ところが、小山田さんが過去のインタビューで”いじめ自慢”を行っていたことを蒸し返され、世界中から糾弾されています。
ことの発端は、1994年1月号の「ロッキンオン・ジャパン」でした。
このインタビューで”いじめ自慢”をしていた小山田さんですが、彼にインタビューをしていたのが同誌の編集長である山崎 洋一郎氏だったのです。
小山田さんに続いて山崎さんも”いじめ自慢”の問題について謝罪。
しかし、この問題のキーパーソンは”もう1人”いたのです。
それが、「クイック・ジャパン」でインタビュアーを務めた村上 清氏なのです。
実は、村上氏は先のロッキンオン・ジャパンに掲載された”いじめ自慢”に触発されて、「いじめ紀行」なる記事を連載していました。
村上氏はクイック・ジャパンでも小山田さんの”いじめ自慢”の記事を掲載したのです。
一体、「いじめ紀行」を執筆した村上 清氏とは何者なのでしょうか?
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「村上 清のいじめ紀行」のインタビュー内容↓小山田 圭吾の”いじめ自慢”をクイック・ジャパンに掲載
「村上 清のいじめ紀行」について「孤立無援のブログ」では次のように綴られています。
記事によれば、
”いじめってエンターテイメント”ということらしく、いじめた側の人がその後どんな大人になったか、
いじめられた側の人がその後どうやっていじめを切り抜けて生き残ったのか、
という興味から、
いじめた人と、いじめられた人との対談を企画します。しかしこの対談は実現せず、
小山田圭吾への個人インタビューとなります。
※「https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1」より引用
上記の通り、「いじめ紀行」では「いじめ=エンターテインメント」と定義されていたのです。
この記事(企画)では加害者と被害者の”その後”を追う展開となっており、当初は当事者による対談も予定されていました。
事実、村上氏は”いじめ”を受けていた被害者2人と接触を図っており、その家族に取材を行っているのです。
被害者家族に対する取材の様子がこちらです。
村田さん(※1人目の被害者)の家に電話する。
お母さんが出た。
聞けば、村田さんは現在はパチンコ屋の住み込み店員をやっているという。
高校は和光を離れて定時制に。
お母さん
「中学時代は正直いって自×も考えましたよ。
でも、親子で話し合って解決していって。
ウチの子にもいじめられる個性みたいなものはありましたから。
小山田君も元気でやっているみたいだし」
住み込みの村田さんは家族とも連絡が取れないらしい。パチンコ屋の電話番号は、何度尋ねても教えて貰えず、最後は途中で電話を切られた。
沢田さん(※2人目の被害者)に電話してもお母さんが出た。
電話だけだとラチが開かないので、
アポなしでの最寄り駅から電話。「今近くまで来てるんですが……」
田園調布でも有数の邸宅で、沢田さんと直接会うことができた。
お母さんによれば、”学習障害”だという。
家族とも「うん」「そう」程度の会話しかしない。
現在は、
週に二回近くの保健所で書道や陶器の教室に通う。社会復帰はしていない。
お母さん
「卒業してから、ひどくなったんですよ。
家の中で知ってる人にばかり囲まれているから。
小山田君とは、仲良くやってたと思ってましたけど」
寡黙ながらどっしりと椅子に座る沢田さんは、
眼鏡の向こうから、こっちの目を見て離さない。ちょっとホーキング入ってる。
■(小山田と)対談してもらえませんか?
「(沈黙……お母さんのほうを見る)」■小山田さんとは、仲良かったですか?
「ウン」数日後、
お母さんから「対談はお断りする」という電話が来た。
※「https://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1」より引用
上記の通り、村上氏は「いじめ=エンターテインメント」という発想に基づき、無慈悲にも被害者本人および家族に取材を敢行していたのです。
実際のインタビュー内容がこちらです。
当然のことながら、加害者と被害者の対談が成立するはずもなく、「いじめ紀行」なる企画は連載4回で終了となったようです。
いくら過去の出来事とはいえ、村上氏の行為は倫理観の欠如を疑わざるを得ません。
世間の反応
顔画像は?現在は太田出版の編集長
クイック・ジャパンで「いじめ紀行」を連載していた村上氏ですが、一体、どんな人物なのでしょうか?
そこで、この人物について調べたところ、現在は「太田出版」の書籍編集部で”編集長”を務めていることが分かったのです。
太田出版といえば、「酒鬼薔薇聖斗」こと元少年Aが著した「絶歌」を2015年に出版し世間から批判に晒されました。
「いじめ紀行」や「絶歌」も被害者感情を踏みにじる内容であるため、太田出版に対しても批判の声が上がっています。
ただ、村上氏は表舞台に立つ機会がないことから、顔写真は公にされていませんでした。
【7月20日追記】末期癌の患者も笑いものにしていた
複数の雑誌で”いじめ自慢”を武勇伝のように語っていた小山田さんですが、ここに来て更なる余罪が判明しました。
それが「末期癌患者の嘲笑インタビュー」です。
この記事が掲載されたのは、「月刊ギグス」(1996年2月号)でした。
同号に掲載されたインタビュー内容がこちらです。
小山田圭吾、1996年の月刊ギグスのインタビューで、末期患者の心電図が自分のギター音に呼応して(?)ピーと鳴ったのを「また死んだ」と笑いとばしてたらしいんだけど、ここまでくると何か先天的なサイコパスの可能性があるんじゃないかと思ってしまう。ただソース不確定なので、原文を読んでみたい。 pic.twitter.com/Yy93SunXw8
— adff (@aqwr6uw) July 18, 2021
上記の通り、小山田さんは病院でギターを弾き鳴らした上、末期癌で苦しむ患者の”死にざま”を嘲笑っていたのです。
彼は懸命に生きた癌患者に対して「また死んだ(笑)」と嘲笑い、挙句の果てには、人の死を「心暖まる話だよね」と語っていたのです。
これらのエピソードを嬉々として語る小山田さんには、他者への共感力や造像力が欠如しているとしか思えません。
【7月20日追記】「いじめの限度を見極めるのが上手い」と発言
”いじめ自慢”のインタビュー記事が次々と発掘されている小山田さんですが、その中で「いじめの限度を見極めるのが上手い」と発言していたことが分かりました。
問題の発言がこちらです。(写真2枚目)
この発言は「ロッキンオン・ジャパン」(1993年9月号)に掲載されていました。
インタビュー内容から察するに、彼は自分が”いじめ”に関与していても、最終的にはスケープゴートを用意することで自身への批判を回避していたようです。
また、「いじめの限度を見極めるのが上手い」という発言から、過去の”いじめ自慢”も彼の中では限度内ということになります。
ちなみに、3枚目の写真の記事では「万引きを告発された」と記されています。
前後の文脈がないことから断定はできませんが、これが事実であれば犯罪にも手を染めていたことになります。
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