DaiGo氏を非難したのと同じテンションでもって、自分たち自身が他者に向けている「慈悲」や「同情」が正当なものか自己批判しろと要求しているわけではない。
氏の明け透けな言動に含まれる差別や侮蔑、排除や疎外の成分は、まぎれもなく私たちの「慈悲」や「同情」、「自由」や「権利」のなかにも多かれ少なかれ含まれている。せめてそのことについて、いまこそ私たちは少しでも思いを馳せるべきだろう。
自分の中には、自分が所属し構成するこの社会には、メンタリストDaiGoや、あるいは「相模原障害者施設殺傷事件」の植松聖死刑囚のような思想は一片たりとも含まれていないと断言し、彼らを「パブリック・エネミー」として糾弾して世直し気分にひたり、自分たちの小さな「加害者性」に蓋をする――この営みを、いったいどれくらい繰り返してきたのか。その繰り返しで、いったいなんの問題が解決してきたのだろうか。
うっかり口を滑らした思慮の浅い「差別主義者」を炎上させて社会から追放したところで、根本的な部分はなにも変わりはしない。
かれらはこの社会にある排除や疎外や憎悪や分断の「首謀者」ではないからだ。
かれらはこの社会に「すでに」蔓延しきっている暗黙の合意を――自らの言説を支持する人がいることを見越した上で――あえて言葉や行動で強調的かつ露悪的に表現して見せているだけだ。
かれらはこの社会に蔓延する差別や疎外の原因ではなく、数ある結果のひとつでしかない。
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