現代社会に生きる私たちのほとんどは、能力の高い人を優遇し、低い人を冷遇することに何の疑問も抱かず、後ろめたさを感じない。
たとえば、知的能力・学力の高さで、人を序列化することを当然視している。性的魅力の高い人のパートナーシップ形成を肯定するが、そうでない人がパートナーを求めようとすることは「キモい」「ハラスメントだ」と排除する。育ちがよくて品行方正な人には自分の暮らす街の住人になってほしいが、精神障害者施設や児童相談所は自分の近所につくってほしくないので「住民の安心安全のために」「街の品位のために」などと反対を表明する。*1
ホームレスの集まる物騒な公園など潰して、「すべての人にひらかれた」商業施設に変えてしまうのが望ましいと考える。彼らが寝床を作りそうな場所には、行き交う人びとの目を楽しませるアーティスティックなオブジェを設置し、景観を「美化」する――。*2
こうした社会的・人間関係的な選別とそれに共起する排除は、DaiGo氏の主張とそれほど距離があるものではない。
いま「望まない他者」を自分のもとから遠ざけることによって「自由で安全で平和で快適な社会」を享受している者――つまり私たち全員――は、自分が排除や疎外に加担しているという「加害者」としての側面を打ち消し、ある種の「後ろめたさ」や「罪悪感」を帳消しにしてくれる方便として「小さなノーサンキュー」を都合よく駆使している。
しかしこれらに「優生思想」や「差別主義」といったラベルが貼られることはほとんどない。それどころか「個人の自由」「個人の権利」の名の下に美化され、正当化さえされている。
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