生きることが耐え難い苦痛であり、だから積極的安楽死を合法化せよという多くの声がある。ただし、そこには終末期や難病といった立場の人のほかに、精神的苦痛からそれを望む声も多いという印象がある。しかし私は、安楽死を合法化する場合でも、精神的な苦痛については適用外にすべきであると考えている。
医師ががん患者に塩化カリウムを注射して死に至らしめた東海大病院事件の横浜地裁判決(1995年)では、積極的安楽死を認めるための4要件を示したが、この要件を守るのであれば、精神的苦痛のみでは安楽死の対象にはならない。当事者の絶望がいかに深くとも、精神的苦痛は可逆的であり、それを除去することが絶対に不可能とは言いきれないからだ。以下に、その4要件を示す。
【1】患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいる。
【2】死が避けられず、死期が迫っている。
【3】肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない。
【4】生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある。
積極的安楽死を合法化するのであれば、私はここに、さらに社会的条件を追加したい。すなわち、その社会が成熟した近代市民社会であるということ。この時点でわが日本社会は、安楽死について云々できる段階にない。「生の平等性」や「個人主義」といった価値観が十分に尊重・実践されていない社会で、そうした原則の臨界点であるような「積極的安楽死」の議論をすることは、クルマが存在しない世界で自動運転の是非を論ずるような茶番にしかなるまい。
日本においては、憲法上はともかくとして、世間的価値観においても制度運用上においても、近代市民社会の原則が尊重されているとはとうてい言えない。生活保護の水際作戦、入国管理センターにおける不法残留外国人の長期収容や処遇の問題、なによりわが精神医療における収容主義と身体拘束の濫用ぶりをみるにつけ、このような場所に安楽死のような「高級品」は百年早い、と言いたくなる。
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