別の視点から批判しておけば、優生思想が依拠する遺伝学そのものがほとんど古色蒼然とした前時代的なものだ、という問題もある。「優秀な遺伝子」を云々する人々の多くは、遺伝子の特性はそのまま心身に発現されるという、メンデル並みの古臭い議論に固執しているようにしか見えない。現代の遺伝学では、遺伝子型と表現型との間には環境因などを含む複雑な関係があると考えるため、単純素朴な「優秀な遺伝子」的な発想がますます難しくなっている。表現型レベルで人間を選別し、人工的な淘汰圧をかければ優秀な遺伝子のみが生き残る、という発想自体が遺伝学的にはもう古いのである。
「それでは出生前診断はどうか。あれは優生思想ではないのか?」という疑問もありうるだろう。こちらについては、いまだに議論が決着していないという現状は承知しているが、私の考えはシンプルである。避妊や中絶が女性(母親)の権利であるように、その妊娠を継続するかどうか、胎児の遺伝負因を確認してから決めるのは、母親の当然の権利である。胎児に独自の命があると考えるのは自由だが、私は胎児は誕生するまでは母親の臓器の一部であると考える。だから出生前診断で中絶を選ぶことは、生命の価値判断ではない。その決定権は母親に帰属する。
閑話休題、一部の安楽死推進派の「このような生には価値がないので積極的安楽死を選択すべき」といった発想は、優生思想ときわめて親和性が高い。ここで「安楽死」を「断種」に置き換えてみれば、この点は容易に理解されるであろう。
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