それでは、優生思想の何が悪いのか。良き生と悪しき生がある、と考えるのはなぜ問題なのか。より良い人生を望み、家族にも社会にも遺伝性の疾患で苦しむ人が減ることを願い、悪い遺伝子を淘汰して国民全体の健康レベル向上を目指すことの、一体どこが間違っているのか――。この問いにまともに答えるのは、案外むずかしい。いまさら「いのちは平等だから」などというお題目で説得される人は多くはないだろう。
私の考えでは、つきつめれば「生についての価値判断は不可能」ということになる。あらゆる価値の基盤が生命である以上、生そのものについてはそもそも論理階梯が違うため、価値判断ができない。なにかの価値を論じたければ「生の平等性」という前提から始めるしかないのである。つまりあらゆる思想と哲学の大前提が「生の等価性」ということになる。
人間の生の上位に神を置く宗教の中には、生の等価性を認めない選民思想もあるが、キリスト教のように「神の前の平等」(「コリント人への第一の手紙」)を明示する宗教もあるし、イスラム教や仏教にも平等の教えはある。
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