私には現代の日本社会が、いまだに「マイルドな優生思想」を温存しているように思われてならない。2016年の「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人である植松聖死刑囚に対して、事件直後、ネット上では驚くほど多くの共感の声が寄せられていた。この事実は、意思疎通ができない「心失者」は生きる価値がない、とする植松の考えに同調する人々が少なくないことを意味している。確認は難しいが、植松への賛同者の中には、ごく普通の社会人が多数いたのではないかと私は疑っている。彼の「優生思想」はその意味で、まったくの狂気の産物とは考えにくい。
例が特殊すぎると言うのであれば、2018年8月に公立福生病院で起きた透析中止による安楽死事件の件もある。腎臓病をわずらう40代の女性が、透析中止を希望して亡くなった事件だ。あの事件に対する論評で驚いたのは、「医療の助けなしに生きられない患者はすでに末期」という暴論を、ほかならぬ現場の医師が口にしていた点だ。終末期がこのように定義されるなら、多くの難病患者、腎不全患者、ALSの患者、植物状態の患者などは、全員終末期とみなされ安楽死の対象となってしまうだろう。
あの事件について言えば、透析拒否をする患者に対して医療が第一になすべきことは、透析継続の説得であり、背景にあるかもしれないうつ状態や希死念慮の治療である。精神面のケアを抜きにした意思決定支援は、しばしば形骸化するほかはないであろう。
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