男性が女性よりも社会的・経済的にいまよりずっと大きな優位性を持っていた時代には(現在もそうだ、という向きもあろうが)、女性は男性とのパートナーシップを(たとえ女性本人が本心からは望んでいない場合にも)形成することがなかば必須となっていた。実際に1980年代まで日本女性の未婚率は、年齢階層にもよるが、概ね現在の半分以下だった(内閣府資料「未婚化の進行」:https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/data/mikonritsu.html)。
これによって不幸な人生を歩んだ女性も、少なからずいたことだろう。しかし時代が変わり、社会進出や経済的自立を獲得した女性は、必ずしも男性の庇護を得る必要がなくなりつつある。これは裏を返せば、「すべての男性が必要なわけではない社会」の到来を意味する。
女性が自分ひとりで子どもを産み育てられるような稼得能力を得たとき(また精子バンクが普及して必ずしも出産にパートナーシップが前提とならなくなったとき)、「養ってはくれるかもしれないが、一方で女性を抑圧し不幸にもしうる存在としての男性」を、社会が包摂する必要はなくなるだろう。
男性が必ずしも求められなくなった社会において、それでも女性が男性をあえて選ぶのだとしたら、いわゆる「ハイスペック・エリート」と呼ばれるような社会的・経済的に上位の男性や、あるいは前述したような「遺伝的に優秀な男性の精子」に人気が集中するのは想像に難くない。
皮肉なことかもしれないが、リベラルな社会は、「ポジティブな優生思想」によって男性があからさまに選別される未来をもたらすかもしれない。
――もっとも、そのような未来において、男性の選別は「優生思想」というパッケージングではなく「すべての人の幸福追求権を充足するために必要なこと」という文言とともに推進されるだろう。
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