さしずめ出生前診断が「劣ったものを排除したい」というネガティブな優生思想を動機に含むものであるのなら、遺伝子編集は「優れたものをつくりたい」というポジティブな優生思想ということになる。
とりわけ生命科学の現場においては、かつてナチスがユダヤ人殺戮の根拠としたような優生思想に染まらないように、研究の領域でも臨床の領域でも、ひじょうに慎重な態度がとられている。自由と人権を尊重する西欧文明圏が発展させてきた現代科学は、パターナリズムや優生思想との距離をきびしく保っている。
しかし、このような科学と倫理の緊張関係は、「リベラルな社会」が内包する人権意識や規範意識が加速することによって論理矛盾が生じ、自壊する可能性がある。その一端はすでに見えている。
なんらかの事情でパートナーがいない、あるいはパートナーを必要としないが、ただし子どもは欲しいと願う女性のニーズにこたえるサービスとして、「精子バンク」が近年注目されている。
国際規模の精子バンクを提供するデンマークの企業CRYOS(クリオス)社は、その最大手の一社である。
クリオス創業者Ole Schou氏は、「パートナーシップの状況や性的指向などによらず、望む人すべてが子どもを得るという希望を叶えることが経営の理念である」と語る。同性カップルであろうが、ソロであろうが、女性がどのような生き方をしているかによらず、子どもを産み育てたいという願いを等しくかなえる――まさに「リベラルな社会」のあり方を体現している事業内容といってよいだろう。
精子バンク事業者のほとんどは、たんに保存された精子を提供するサービスだけを行っているわけではない。精子の提供を受けたい顧客が精子提供者(ドナー)の条件を事細かに設定することができるのだ。
上述したクリオス社の場合であれば、国籍や人種は当然のことながら、身長や体重や目の色、果ては声や顔立ち、知能指数や精子そのものの運動性能(受精しやすさにかかわると考えられている)までをも条件として見ることができる。
デザイナーベイビーが誕生したり、ダウン症を出生前診断で中絶したりするときには大きな論争を招来していた「命の選別」や「優生思想への接近」が、リベラルな社会のあり方の前では素通しされつつある。
ウォール・ストリート・ジャーナルは、自立した裕福な独身女性やレズビアンカップルを中心として、ブラジルでも精子バンクのニーズが高まっていると報じているが、そこで選ばれるのは「白人」の遺伝子のようだ。
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