一度でも失敗すると、信用も資産も家族も失うと考えられている起業。近年は起業環境も変わり、日経ビジネス4月8日号「起業、失敗の後」では、事業に失敗しても簡単には破滅しないという結論に達した。しかし、破滅まではなくとも、無傷ではいられない。26歳で脱サラ起業した借金玉氏(芸名)は、借金返済のために自殺を考えていたという。
あわや「生命保険で返済を……」
「これだけの額の借金を返すことは僕にはできない。せめてもの償いに自殺して、生命保険の死亡保障の5000万円で報いるしかない」。2016年冬、借金玉氏は極限状態に追い詰められていた。
飲食業と貿易業を営んでいた同氏は、雇用した従業員の裏切りにあい、窮地に立たされた。今でこそ文筆業で生計を立てるが、同氏は廃業直前に鬱病を発症。自ら命を絶って合計7000万円の借金を返済しようとすら考えていた。
一般的に、起業家は高い志を持って事業に挑むケースが多い。しかし、借金玉氏が起業したのは、比較的ネガティブな理由からだった。
大学を卒業後、大手金融機関に就職した同氏が任された仕事は事務作業だった。「とにかく細かい作業が苦手で集中力が続かない」という借金玉氏は、業務時間中に居眠りすることもしばしば。営業のような人と交渉する仕事は得意だったが、重要な書類を紛失したり、約束を忘れたりとミスも目立った。
実は借金玉氏は学生時代にADHD(注意欠如・多動性障害)と診断されていた。タスクの整理や、場の雰囲気を感じ取ることを昔から難しいと感じており、医師から診断された時は「これが自分の人生が上手くいかなかった理由か」とむしろ納得したという。
こうした背景から職場になじむことができず、入社からわずか3カ月後には周囲から「仕事ができない」とレッテルを貼られてしまう。必要な情報を回してもらえないなど、業務の遂行が難しくなっていった。「会社員として働き続けていくのはもう無理だ」。仕事上の人間関係に悩んでいた借金玉氏が起業を決意したのは、就職して2年目の2012年のことだった。
選んだ事業は飲食店経営だ。もともと飲食業界でのアルバイト経験が長く、料理を作ることが得意。「アーティスティックな高級レストランバーにしたい」と構想を練っての起業だった。
「飲食店経営は修羅の道」とも言われるが、借金玉氏には勝算があった。競合他店と差異化できるだけの内装を実現する資金を拠出してくれるエンジェル投資家A氏がいたのだ。不動産経営で財を築いたA氏は、借金玉氏のアイデアと熱意に共感し、3000万円を個人的に用立ててくれた。
この他、地方銀行から4000万円の融資を受けて、合計7000万円の資金を調達した借金玉氏は、高級感あふれる内装にとにかくこだわった店舗を都内に構えた。調理技術を活かして自身は社長兼コックに転身。従業員を雇って数人体制の小規模店舗でスタートした。
出だしは好調だった。決して大きくない店舗ながらも、流行に乗ったメニューを取り揃えたことからメディアの取材が相次ぎ、予約の電話が押し寄せた。右肩上がりに成長を続け、毎月350万~400万円を売り上げるまでになる。
「コンセプトは正しかった」と確信を得た借金玉氏は、ここで多店舗展開へのアクセルを踏む。2店舗目は、扱う商品をそのままに、より小規模の立ち飲みスタイルに切り替えた。6坪の物件を借りたため家賃は8万円に抑えられ、店舗スタッフも2名で済んだ。月の売上は130万円程度だったが、利益率は最初の店舗よりも高かったという。さらに、3店舗目として同様の立ち飲みスタイルのバーを構え、全体での売上高は月700万円になった。