ちょうど一年ほど前になりますが、ミャンマー人仏教徒のムスリムに対する印象を、聞いたままに連続ツイートしたものがありますので、この機会にこちらでまとめておきます。
なお、言うまでもありませんが、タイトルにもあるとおり、これは私が個人的に聞いた範囲で把握した、「ミャンマー仏教徒のムスリムに対する印象、に関する印象」に過ぎません。したがって、「ミャンマー仏教徒の中には、ムスリムに対するこのような印象も存在している」くらいの、あくまで「参考程度」の情報としてお読みいただければ幸いです。
ミャンマーに居ると、ムスリムの悪口を耳にすることが多い。バックパッカーの体験談などでは彼らの過剰なまでの「いい人」ぶりが強調されることが多いから、ちょっとびっくり。仏教の人の話ばかり聞いてるからだろうと言われそうだが、人口ならより多いはずの、キリスト教徒の悪口を聞くことは少ない。
いろいろ聞いてみると、原因はどうやら彼らが極端に「同化しない」存在であることにあるらしい。彼らは他所からやってきてムスリム同士のコミュニティをつくり、その中で経済を回し、どんどん富裕になっていく。彼らは仏教徒相手にも商売はするが、自分たちはムスリムの店でしか買わないとか。
特に多数派仏教徒の不満の種になっているのが結婚問題。仏教徒の言い分によれば、ムスリムは金にものを言わせて仏教徒の女性を娶り、次々とムスリムに改宗させてしまう。当然、子どももムスリムになるし、彼らは自分の子どもの改宗は許さないから、結果としてムスリムはどんどん増えていく。
中には「改宗しなくていいよ」と言って結婚し、子どもができて逃げられなくなってから改宗を迫る例もあるとかで、仏教徒の多数派一般国民の憤激をかっている。また、イスラームでは妻は一般に四人までとされているが、それ以上の人数を娶ることも、現実には少なくないらしい。
そうやって、いつの間にか「同化しない」ムスリムたちが増殖してゆき、街にスカーフの女性が溢れることが、仏教徒たちにとってはたまらなく不気味に思えるようで、ムスリムの話題になると、それまで穏やかだったミャンマー人仏教徒が、途端に顔を歪めてムスリム批判をはじめることはよくある。
キリスト教徒の場合、そこまで悪口を言われることが少ないのは、彼らは仏教徒と基本的に融和的だからだろう。例えばカレン族の多い村などでは仏教徒とキリスト教徒が半分ずつだったりすることがあるが、キリスト教徒が仏教の和尚の誕生日を祝いに来たり、仏僧の托鉢を受け入れていたりする。
ムスリムの場合は、たしかにそういったキリスト教徒のような他宗教に対する妥協を、一般にあまりやらない印象がある。基本的には「我関せず」の態度でやっているようだが、時には上述のような事情で感情を逆撫でされた仏教徒たちとの間で、口論や殴り合いといった争いに発展することもある。
このようなムスリムに対する不満はミャンマー仏教徒一般に共有されており、一人や二人の個人的な意見ではない。とはいえ、もちろんこれはあくまで多数派仏教徒からの見方であって、ムスリムにはムスリムの言い分があるだろう。機会があれば、ぜひ彼らの意見も聞いてみたいものである。
いま起こっている「暴動」については、「民主化」によってタガが緩んだ結果、これまで溜まりに溜まっていたものがついに噴出したような観があります。正直なところ、簡単に収拾できるような性質のものではないように思われる。ラカイン(ヤカイン)州の「暴動」の頃から、「(あの件はムスリムによるレイプが引き金だったので)当然だ、このままムスリムは全部追い出せばいい」というミャンマー仏教徒の声は、しばしば耳にすることがありました。
とはいえ、「怨みによって怨みに報いるな」、「怒らないことによって怒りに打ち勝て」というのが仏教の教えですから、現在行われているような暴力行為が仏教的にも許されるものではないことは当然です。
個人的には、(ツイートにあるとおり)ムスリム側の見方ももっと聞かないとな、と。なんとかその機会をつくりたいと思っています。
-
次の記事2013-05-31 23:57:15無為而有不為
-
前の記事これより過去の記事はありません。