329話 気づき
豪奢な空間。
スクヮーレ第一大隊隊長とペイストリー補佐は、揃ってお城の中に居た。
学校の体育館の倍程はありそうな広い空間に、キラキラを通り越してギラギラと輝く過剰装飾の照明がぶら下がっているかと思えば、壁一面が原色を多用したド派手な布で覆われている。
床一面には毛足の長い絨毯が敷かれていて、おまけに人も多い。ドレスで着飾った女性や、これまた原色揃いの衣装を纏った男性達が会話に華を咲かせていた。
「豪勢なパーティーですね」
ペイスの言葉は、呆れを含んでいた。
彼の装いは、軽装である。薄い赤を基調としつつ、白めの色合いで統一した清潔さを感じさせる衣装。
見る人が見れば、使われている布地が高級品であると気付くであろうが、ぱっと見た印象は地味である。
「そうですね。惜しむらくは、お互いに妻が居ないことでは無いですか?」
傍に居たスクヮーレが、ペイスに同意する。
スクヮーレの衣装は、流石にペイスと違って豪華なものだった。
赤地に、黒と金で装飾を施された衣装。それに、国軍を示すマントを纏い、武勲を示す章飾が胸を飾る。
どこから見ても偉い人に見える格好。高級軍人のそれである。
若さ故か、いささか装飾も過剰に思えなくもないが、流石に慣れたもので完全に着こなしていた。
スクヮーレは、一人である。より正確に言えばペイスと連れ立っているから二人なのだが、気分的には一人。何故なら、普段パーティーに出る時には傍に居る女性が居ないからだ。
「確かに惜しい。しかし、僕はともかくスクヮーレ殿はどうでしょう。ペトラ殿やリコリスが居たら、主役を取られてしまいますよ?」
ペイスが、揶揄い混じりに言う。
このパーティーは、王子殿下率いる外交使節団の慰労を目的としている。ならば、使節団の武力的・実力的な面で最大の力を持つ第一大隊の隊長は、主役の一人と言っていい。
主役を取られるというのは、その辺を踏まえた発破なのだろう。義弟と共に駄弁っていて良いのかという問いかけを、暗に含む貴族的会話である。
「女性に主役を譲るのなら、騎士としても誉れとするところです。それが妻と義妹というならば、喜んで」
「ははは、考えることは同じですね」
ペイスの謎かけに対して、スクヮーレは平然と答える。
会の主役として忙しくするより、脇の方で会場を見渡している方が仕事なのだという、答えを含んで。
ペイスにしろスクヮーレにしろ、生まれ育ちは軍人の家である。現代でもコミュニケーションが社会で必要とされているように、社交というものが貴族社会で無くてはならないものなのは事実。しかし、生来の軍人家系の二人には、社交の為に作り笑顔で愛想を振りまく方が、剣を振り回すより疲れるのだ。
お互いに、苦手なものは同じかと、笑いあう。実に仲の良い義兄弟である。
「ペイストリー殿も社交の場では主役になれますよ。今からでも、
揶揄われた意趣返しなのだろう。
スクヮーレが
王子殿下を筆頭にルーラー辺境伯など、錚々たる面々が居並ぶ空間である。
欲望が渦巻いている様子が目に見えそうなほど、色濃い打算の集まりだ。
「王子殿下、ヴォルフ男爵家の当主と御令嬢がご挨拶したいとのことですが、如何致しましょう」
ルーラー辺境伯が、王子にお伺いを立てる。
会も半ばを過ぎ、こなれてきた辺りでのこと。
辺境伯主催のパーティーで、主賓が王子。身分が低い者は高い者に自分から声を掛けないのがマナーであるからして、王子に挨拶したい者は、主催者を通して挨拶するほかない。
「勿論、お受けしますよ。ヴォルフ男爵家といえば、西部でも頼りになる武勇の家と聞いています」
「左様でございます。王子殿下にも家名を知られているとなれば喜びましょう」
王子殿下の許しを得て、ルーラー辺境伯の傍からずいと進み出たのは壮年の男性。
背も高く、口ひげを生やす様はダンディズムを思わせる。
傍には年若い女性が二人。手の込んだ衣装を着こんでいることから、相当に気合を入れてきていることが分かる。
「ヴォルフ男爵家当主のサントース=ミル=ヴォルフでございます。王子殿下にお目にかかれましたこと、一生の誉れと感謝申し上げます」
「ヴォルフ男爵家第一女、リプラニーヤでございます。ルニキス殿下の御尊顔を拝し、光栄でございます」
「同じくヴォルフ男爵家第二女、カプラーヤでございます。殿下におかれましてはご機嫌麗しく存じます」
深々と腰を折り、最敬礼で挨拶する男爵と、同じく深く腰を落とし、女性礼をする令嬢二人。
その三人に対して、軽く頷いた王子が、男爵ではなく辺境伯に声を掛ける。
「ルーラー伯、ヴォルフ男爵家は伯と親しいと聞くが、誠か?」
ここで、わざわざ確認するまでもなく、ヴォルフ男爵家はガチガチの西部閥である。
今回初めましてと挨拶するということは、普段は王都に行くことが無い、生粋の領地貴族ということであり、更には王都で社交をするよりは辺境伯の顔色を窺った方が利益に繋がる地方閥ということ。
王子がルーラー伯と親しいかどうかを確認したのは、陪臣に近い相手に対して王子が直接言葉をかけることを避けたという、政治的配慮である。
「はい。西部も広うございますれば、どうしても多くの人手が要ります。ヴォルフ家は当家にもよく協力してくれておりまして、西部の中でも特に重要な場所に目を光らせてくれております」
「なるほど、良く分かった。男爵、勤めご苦労だな」
改めての確認が終わったところで、王子は男爵に声を掛ける。
「勿体ないお言葉でございます。これからも王家の臣として、忠義を尽くす所存でございますれば、宜しくご指導を賜りますよう伏してお願い申し上げます」
「うむ」
男爵が『会えて嬉しいです』という言葉を伝え、王子が『ご苦労』と労う。
これだけのことではあっても、男爵にとっては意味が大きい。
国のトップとなる相手に、顔を売り込めたのだ。いざという時にはか細いながらも伝手にはなるだろうし、王子としても全くの初対面よりかは、一度でも顔を合わせている相手の方が話をしやすいだろう。
社交を政治にフル活用している者たちの、よくある光景だ。
「王子殿下、次に控えますのは……」
更に間を置かず、次の人物を紹介しようとしたルーラー伯の言葉を、ルニキス王子が遮った。
「いや、ルーラー伯、少し待っていてくれ。是非とも声を掛けておきたい者が居た」
「はい、勿論でございます。ここで殿下をお待ちしております」
ルーラー伯としても、王子に待てと言われれば待つしかない。
次に紹介してもらおうとしていた人間は憮然とするが、それはそれで仕方の無いことである。
王子が近習と共に、目ざとく見つけた人物に歩み寄る。
周りを、ぞろぞろと金魚の糞がくっついていることはご愛敬だろう。
「カドレチェク卿、ここに居たか。おお、龍殺しも一緒だったか」
「殿下」
近づいてくることが遠目からでも分かっていた軍人二人。
片膝をついて、王子に敬礼する。
「よい、楽にしてくれ」
「それでは」
楽にしても良いという許可を貰うや否やさっさと立ち上がり、あからさまに弛緩した空気を醸成するペイスは流石である。
スクヮーレなどはそこまで露骨にだらけた態度をするのは憚られた。かなり厳しく躾けられてきた故の、お育ちの違いもある。勿論、生まれ持った生来の気性の違いも有るだろう。
傲岸不遜で緊張や緊迫とは縁遠いのが青銀髪の青年。生まれ持って真面目な気質で、礼儀作法をきっちり踏襲するのが公爵家の嫡子である。
「旅程ではじっくりと話すことも無い。こうして言葉を交わすのも、大事なことかと思い声を掛けさせてもらった」
「光栄です」
取り巻きに囲まれて、ゆっくり話すも無いものである。
王子から声を掛けねば話すことも無いわけで、わざわざ話しかけたのは本当に話したかったからなのだろう。
「どうかな、西部は。卿らにはあまり馴染みの無い土地だろう?」
「そうですねえ、色々と珍しいフルーツや食材がありそうで、仕事でなければ是非散策したいところです」
飄々と、仕事なんて面倒くさいと言ったも同然の発言をするペイス。
横で聞いているスクヮーレなどは、ため息を堪える。
「ははは、ペイストリー=モルテールン卿が食道楽というのは聞いていたが、噂に
「恐縮です。何でしたら、殿下の護衛もスクヮーレ殿に任せて、僕だけでも自由に動けるよう、命じて頂ければ嬉しいのですが」
王子の命令が有るのなら、護衛などは放ったらかして、街でショッピング三昧と行きたいところだとペイスは言う。
所変われば品変わると言うが、この街には南部や東部ではあまり見かけない食材が色々とあるようだった。
新しいスイーツの可能性に、心惹かれないペイスではない。真面目にパーティーに出て護衛を務めるだけ偉いと褒めて欲しいぐらいだと、内心では思っている。
「ふ、中々率直な物言いをするな。“友人”の頼みだ、聞いてやりたいところではあるが……私はどうやら嫉妬深いらしくてね」
「はい」
王子が、意味ありげに微笑を浮かべる。
「友人が、自分の知らないところで一人だけ楽しむというのは、許せない
「仕方がありませんね。ご命令とあれば、微力を尽くします」
改めて、頭を下げるペイスとスクヮーレ。
うんうんと王子は頷いたところで、極々自然に距離を詰める。
頭を下げた二人の傍に顔を寄せれば、自然と耳打ちの姿勢になった。
「卿の微力とやらが頼もしいのは間違いない。……ルーラー伯領を出てからが本番だ」
さっきまでのふざけた雰囲気はなりを潜める。
王子とて、自分の仕事は忘れていない。
何かあるとするのなら、ここからが危ない領域になってくる。神王国王家の権威というものが、通じなくなっていくこれからの旅程。頼れるのは、若い二人。
「頼むぞ」
「お任せください」
ペイスとスクヮーレは、至極真面目な態度で敬礼をした。
幸いにして、取り巻きたちには耳打ちした言葉は聞こえなかったようだ。
「では、私はルーラー伯の元に戻る。伯の茶番に付き合うのも、私の仕事だからな」
王子は、軽く“ペイスの肩を叩いて”から、ルーラー伯の元に戻っていった。
周囲の視線が集まる中で、親し気に肩を叩かれたのだ。王子の信頼が何処に有るのか、誰の目にも明らかになる。
「ふう」
王子が去ってより、ペイスは大きく深呼吸をした。
「お疲れですか?」
「スクヮーレ殿は王子との会合も慣れているでしょうが、僕は元々下級貴族です。緊張の一つもしますよ」
「そうですか」
緊張しているようには欠片も見えなかった。
などと言う言葉を素直に口にするスクヮーレではない。
ついうっかり、口に出しかけたのは事実だが、場の雰囲気がそれだけ緩かったという意味でもある。
戦場で命がけの戦いをしていても冷静なペイスだ。この青年が緊張する場など有るのだろうか。甚だ疑問であると、スクヮーレは内心で愚痴る。
「それにしても、先ほどから王子も引っ切り無しに挨拶を受けていますね。あれは疲れそうです」
二人から離れた王子は、とりまきを引き連れてまたルーラー伯の元に戻っている。
さっきの続きとばかりに、色々な人間が王子に頭を下げに行く様子が遠目からだと良く分かった。
「ルーラー辺境伯も必死だからでしょう」
「と言いますと?」
スクヮーレの言葉に、疑問をぶつけるペイス。
「ルーラー伯は、先ごろ王太子妃を決める政争に負けました。ここで派閥に対して結束を強めねば、足元がぐらつきかねない。王子殿下との面通しという“餌”を、出来るだけ多くに与えたいのでしょう」
「王子殿下の不興を買っても、ですか?」
「背に腹は代えられないと言ったところでしょうね。どうせ中央では負けたのだから、西部を固めることを優先しているのでしょう」
「なるほど、流石の見識です」
ペイスは、スクヮーレの政局眼に感心する。
伊達に公爵家の跡取りとして教育を受けていない。
少なくとも、目の前の現象を過不足なく説明できているのだから、一面の真実は含まれていそうだと頷くこと頻りである。
「おや、珍しいですね」
二人が注目している中、辺境伯が新たな人物を王子に引き合わせている。
それが司祭服を着ている人間であったことがペイスの目に留まった。
「聖職者が挨拶することがですか?」
「聖職者なら、独立独歩で動きそうなものですが、ルーラー伯の紹介で挨拶しています」
「確かに、珍しい……」
司祭も歓談している。
ペイスは、華やかさの中にも蠢く何らかの意思を、感じたような気がして考え込んだ。
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