-ワクチンを巡る虐殺とレイシズム(雅子皇后も接種忌避?)-
テーマ:社会・時事一般
・ワクチン接種券という名の 『赤紙』
2021年9月9日号 『女性セブン』記事より
はてさて、ファイザー元副社長のマイケル・イェードン氏が、治験未完了のコロナワクチン(スパイクタンパク生成剤)は「危険である」と内部告発という形で警鐘を鳴らされた事実は、極めて重大な案件である。
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1405395892622958598/pu/vid/854x480/JxfnKzKX1DXgo5o_.mp4?tag=12
※改めて記事を確認したが、Youtubeの削除検閲が酷い(このような言論の自由や民主主義を否定するGoogleは完全に確信犯である)。
ゆえに外野の医者もどきや、どこの馬の骨かもわからない同調圧力に屈する理由はひとつもない上に、まさに現在が『戦時中』と同じ様相であり、勝てもしないコロナウイルスとの戦争に協力しない者たちは、もれなく「非国民」「アカ」「不逞鮮人」のレッテルを貼られる。
こうした“極限状態”の中で、戦える『個人たち』こそが、真のリベラルや民主主義者であり、現在のエビデンス無しの「マスク」や「ワクチン」信仰は、大政翼賛会の教条主義のごとく、そこで掲げられた『一億火の玉』のスローガンと一切が合致するのだ。
コロナ自殺、ママ友いじめを誘発した者は誰か? | ゴー宣ネット道場 (gosen-dojo.com)
たとえば、ワクチン未接種における『ママ友いじめ』は、以前に起きた「感染者差別」で誘発された殺人行為を想起するし、このような大日本国防婦人会が「お宅の息子や夫をちゃんと戦地へ送りましたか?」という問いかけは、現在の「ワクチン接種をしっかり受けましたか?」と・・・すなわち感染者は「敵国の捕虜となった者」であり、対策への不参加は「赤紙を拒否した者」と置き換えが可能なのです。
腐っても歴史を学んだ端くれとして、“過去の事例”を知っていれば、現在のペテンにも十分対抗できる基礎的教養は確保しえます。
いずれもこの両者に共通していることは、前回の記事で倉持弁護士がお話された「弱い国家」と「強い世間」と「弱い個人」もしくは「強い国家」と「強い世間」と「弱い個人」の命題です。
欧米のロックダウンの前提には強い「個人」と強い「国家」との対抗関係が存在していると思います。日本は「弱い個人」と「弱い国家」の間で「強すぎる世間」が増幅し、個人を飲み込み、弱い国家をも動かし、全体主義に陥っているのではないでしょうか。それを、ロックダウンの権限や個人の行動制限のための法制化などしてしまったら、ますます全体主義や権威主義を追認してしまうだけです!
ロックダウン/個人の行動制限は憲法上可能か? | ゴー宣ネット道場 (gosen-dojo.com)
『ワク◯◯を強要する同調圧力殺人共犯者に質問してみた2021.04.26』
※モザイク処理がされてますが、ショッキングな映像が流れるので御注意下さい
つまり『真犯人』は世間にあり、この諸悪の根源を叩き潰さない限り、永遠にこの“地獄ループ”が繰り返されるディストピアです。
建前上「接種は個人の自由」と称しておきながら、未接種者に対して当たりの強い態度を取ったり、仲間外れにしたりと、逆に「その程度の関係」なら、こっちから願い下げだと、さっさと切り捨てた方がよろしいでしょうが、これが家族や近しい関係の場合・・・なかなかそうはいかない方も多くいらっしゃると思います。むしろ分断を助長し、より個人を細分化させて「無力な存在」へと落とし込もうという試みのような気もします。
何よりも「雇われの身」として、雇用という名の『生殺与奪権』を握られた大多数の弱者は、その掟に背けばパージや左遷、ひどい場合は失業という、この資本主義システムの『経済的合理性』からはじかれた「非生産者」の立場に追いやられ、コロナ差別と二重で苦しむでしょう。
もうこの時点で民主主義など「存在していない」と考えるのが適切じゃないでしょうか。
そもそも論として、本システムとお金で人を支配する資本主義の「相性が最悪」だと言うことが指摘できます。
2021年9月2日号 『女性セブン』記事より
一説では、皇后の雅子氏が「ワクチン接種をされなかった」話題や、全体主義的なワクチンパスポートの話について認識を深めていきたい。
概ね後者については、漫画家の小林よしのり氏が極めて明快に解説されている。
『千葉真一の美学、尾身会長の承認欲求「よしりん・もくれんのオドレら正気か?」#75』
あれだけ熱を出す副反応を経験したり、将来に爆弾(血栓症リスク)を抱えた体になったとて「3度目のワクチン接種」を懇願する“家畜精神”なるものは、一種の『学校教育の洗脳』にあるのかなと、日に日に自覚しつつある。
『辛い練習しても絵は上手くなりません!!』
無論、そのすべてを否定するつもりはないが、ただ念仏のように繰り出される「辛い経験の礼讃」というものは、為政者にとって都合の良い方便であり、民衆同士でそうした価値観を共有させて、あらゆる不条理や矛盾を呑ませる体質がすでに組み上げられているとも感じます。
<参考資料>
・2021年9月9日号 『女性セブン』記事
・2021年9月2日号 同
・ゴー宣ネット道場 『ロックダウン/個人の行動制限は憲法上可能か?』(2021.8.26) 倉持麟太郎
・Youtube動画 『千葉真一の美学、尾身会長の承認欲求「よしりん・もくれんのオドレら正気か?」#75』
・同 『ワク◯◯を強要する同調圧力殺人共犯者に質問してみた2021.04.26』
・同 『辛い練習しても絵は上手くなりません!!』
<ツイッター>
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