──男は、少女となり……『死に場所』を探していた。
「…………」
彼……いや、彼女の名誉の為に言うが、彼女は別に、女となったから死にたくなったのではない。
むしろ“その姿”になった時は嬉しくすらあった。男でなくなったことは残念だが、それを補って余りある“面白さ”だと。
だがしかし……油断していたのだろう。彼女は捕まってしまった。
この世で最も醜悪で尊い一族──“天竜人”に捕まった彼女は奴隷とされ……度重なる暴力、虐待、辱めを受けてきた。
それはこの世界に生まれ落ちた、ただの少女に耐えられるものではなかった。
幾ら世にも珍しき悪魔の実……おそらく、本来は存在する筈のないであろう実を食べたからといって、精神が鍛えられる訳ではない。
肉体は多少強くなった──が、それだけだ。
少女は壊れにくい奴隷として、凄惨極まる拷問を受けた。
だが、辛うじて残った反骨心。あるいは度重なる拷問が僅かに彼女の成長を促したのか、彼女は悪魔の実の力を使うことで、そこから脱走することに成功した。
そこで一件落着──とはならない。
その時にはもう、彼女は生きることを諦めようと思っていた。
生まれてきた時には親はおらず、世界政府非加盟の荒れた島で孤児として生きてきた。
状況を理解出来るだけの頭脳はあった。だが、そこから這い上がるための才能か努力か……おそらく、根性が無かった。
最初こそ、悪魔の実を食べていきり立った。これで、こんな極貧生活とはおさらばだと。
しかしそう上手くはいかなかった。言った通り、極貧生活だったのだ。
食べ物がない。栄養が足りない。体力が足りない。
つまり──鍛える余裕がない。
彼女は弱かった。悪魔の実……無理やり分類するならば、
薄々分かっていた。いや──気づかない振りをしていた。
幾ら鍛えれば強くなれるとは言っても、言うは易し、行うは難し。
そんなことは誰だって分かっている。分かっただけで出来るなら、今頃誰もが最強で、この世は悪鬼羅刹が跋扈する地獄か、英雄だらけのヴァルハラになっているだろう。
つまり宝の持ち腐れ。彼女には、それだけの器がなかった──いや、ないと思って諦めた。
もしかしたら、いつか才能が覚醒するかもしれない。強くなれるかもしれない。
だが、その為にこれから先も苦しい思いをするくらいならいっそ……と、考えてしまうのは、かつて温室育ちであったただの男であり、数年にも及ぶ拷問を受け続けて病んでしまった少女にはあり得る思考だろう。
「──ん? おい、なんだてめェは?」
「…………」
──
荒くれ者が集う島の、更に荒くれ者が支配する町。自分が幼少期を過ごした島よりも治安の悪い場所。
そこの町を治めるマフィア染みた賞金稼ぎの一団のアジトに──
その手に、能力で木の枝に見せかけたナイフを持って。
「おいおい嬢ちゃん……ここはガキの遊び場じゃねェぞ。帰んな」
「つーか見張りはどうした? 誰が入れやがった?」
「…………」
男達が僅かにざわつく。室内には20人程の屈強で凶暴そうな男達がいた。
だがその言葉は意外にも優しい。腐っても賞金稼ぎで女子供には手をかけないのか、それともただ単に相手にされていないだけなのか……おそらく後者だとは思うが、どちらでも構わない。
少女は右手のナイフを握り込んだ。そして、力いっぱいに近づいてきた男の腹めがけて突っ込んだ。
「──ん? 何、を……ッ!?」
「おい、どうした? 急に倒れ込んで……ははは、酔いつぶれちまったのか……って、あ……?」
倒れ込んだ男を、隣にいた男が茶化すように見下ろす。
だがその表情が途中で驚愕に変化した。
その視線の先にあるのは、ナイフと床に飛び散り、流れ落ちる血液。
程なくして、他の奴らも気づく。そして、誰かが叫んだ。
「こいつ──刺しやがったァ~~~!!??」
「てめェ……!! このガキ!! おれ達が誰だか分かってんだろうなァ!?」
「生きて帰さねェぞこのガキぁ!!」
「…………」
仲間を殺されたことで男達が外にまで響くような憤怒の声を室内に響かせる──まぁ、当然だ。
そして、勿論自分が何をしたのかも分かっていた。これからどうなるのかも。
「よくも兄貴を……! 同じ目に遭わせてやる……!!」
男達が剣を抜く。その刃の行き先は当然──
そして同時に思う。──初めて人を殺したのに、自分でも驚くほど何も感じない。
やはり自分はもう壊れてしまっているのだろう。
だがそれももう、どうでもいい。
「死ねェ────!!」
「…………」
──そう、彼女は今……“自殺”をしたのだ。
今まで受けてきた仕打ちの腹いせに、関係ない人間を殺し、その仕返しで死ぬという悪質な自殺。
だがそれももはや、彼女にはどうでも良かった。
こんなつまらない世界、生きる価値もない、そう思ってこれから死ぬ少女の名は──
「──ん……?」
──だが、
「ギャ────ッ!?」
「!? 今度は何だ!?」
「…………?」
刃が少女に降りかかるその寸前、別の部屋の奥の壁を壊して、轟音と共にその場に割って入ってきた男がいた。
「な、なんだテメェは……!?」
「────ああ……?」
男は……いや、大男は金棒を持っていた。
おそらく2メートルを越えるくらいの長身。加えて、この場にいる男達にも負けないほどの盛り上がった筋肉。屈強な肉体。頭に生えた二本の角。
少女は察した。おそらく、彼がその金棒で壁を壊し、男達の一部を吹き飛ばしたのだろうと。
そして思う──どこかで見覚えがあるような気がする、と。
だがそれよりも死に損なったことに残念を憶えた。
ある意味では助けられたことになるのか、と男を見続ける。最期に、どうせならこの男の蛮行を見届けてやろうと。
どっちが勝つにしろ、それから死ねばいい。それでこの生も終わる。
しかし──彼を見て、少女は僅かにかつての心を思い出した。
「……おれが誰かだと……? ────そんなことはどうでもいい!!!」
「何……!?」
彼は男達の前でそう言い放った。
そして金棒を肩に担ぎ、凶相を顔に浮かべる。
「さぁ────最高の戦争を始めようぜ!!!」
「!?」
何を言っているんだ、と思った。
それは男達だけではない。少女ですら理解が及ばなかった。
何故いきなり喧嘩を吹っかけてきたのか。分からない。
だが、彼は暴れた。
「舐めやがって……! お前ら囲め!! 相手は1人だ!!」
「おお! 理由は知らねェが、落とし前つけさせてやらァ!!」
「
「…………」
──男は強い。強かった。少なくとも、少女よりはずっと。
だが、直ぐに理解する。それほど、強くはない。少なくとも、この男達全員を薙ぎ倒せる程ではなかった。
しかしそれでも、彼は顔に凶悪で楽しそうな笑みを浮かべ、金棒を振るって多くの男達を倒した。
「ぐああっ!?」
「くそっ……! 中々倒れねェ……! ふざけやがって……!」
「ウォロロロロロ……!! もっと、もっとだ……! もっと愉しもうぜ!!」
男達全員に勝てるほど強くはない──が、中々倒れもしない。
全身に傷を負いながらも、彼は戦い、多くの男を倒し……そして、やがて敗れ、捕まる。
だがその様に、どうしてか、視線が惹きつけられた。
「チクショウ……! 離せ……おれはまだ、負けちゃいねェ……!!」
「うるせェ!! クソッタレが……! 随分と暴れてくれやがって……! おい!! こいつらを閉じ込めとけ!!」
「へ、へいっ!!」
「…………」
──気がつくと、その彼と一緒に自分は捕まっていた。
とばっちり……という訳でもない。むしろ、先に仕掛けたのはこちらだった。
結局、死に損ないながらも、海軍か人身売買の組織にでも売り飛ばすつもりなのか、地下牢の様な場所に鎖で繋がれた。
だが、その時には自殺のことは忘れていた。
それよりも、彼のことが気になった。暗い地下牢で、おれは彼に話しかける。
「……捕まっちゃったね……」
「ア゛ァ゛……!? それがどうした……!?」
──見た目通り凶暴……という言葉を飲み込んだ。
独り言のような言葉。そもそも、声を出すのが久し振りだったため、ちゃんと聞こえただけでも御の字ではあった。隣では彼がガチャガチャと暴れて鎖を引きちぎろうと足掻いているため、ひょっとしたら聞こえない可能性もあった。
会話が成り立つかどうかの心配もあった──が、しばらくすると彼のその怒りも収まった。
「……あァ~~~……酒が飲みてェ……すっかり酔いが醒めちまった……」
「……酔ってたの……?」
「あぁ……? なんだテメェは……?」
「今気づいたの……?」
ツッコむ気力は無かったが、一応そう口に出した。勢いはないので普通に聞いたような形になった。
だがその後からだ。話が通じる様になったのは。
「……あなた、なんであんな危険な場所に来たの……? あいつら、結構ヤバい奴だって知らなかったの……?」
「ウォロロロロ……そりゃお前もだ……おれが来る前に1人殺してやがっただろ……」
「……それは……でも……私は死にたかっただけだし……」
そう、だから別にあいつらを殺したかった訳じゃない。
改めて述べてみると酷い理由で殺したものだが、それが嘘偽りない真実だった。
別に彼の様に、暴れたい訳ではなかった。
だが彼は、それを聞いて口元に笑みを浮かべると、
「
「……え……?」
それは予想外の言葉だった。
てっきり、彼はあの中にムカつく奴がいるとか、何か狙いがあるとか、そういう何か上を目指すような理由があるのかと思っていた。
だが彼は言う。随分と、愉しそうな表情で、
「お前も暴れたいんだろう……? おれもそうだ……死んじまえるぐらいの、最高の戦いがしてェ……!」
「……別に、そういう訳じゃ……」
「嘘だな……顔に“退屈だ”って書いてやがる」
そう言われて、ウォロロロ、と特徴的な笑いをする彼に微妙な視線を向ける。
……そういえば、確かに最初の頃は、この世界をどうにかこうにか楽しもうとしていたな、と。
かつて記憶にあった世とは全く違う世界に、ワクワクしなかったと言えば嘘になる。
だがそれが現実ともなれば楽しむのは難しい。新しい世界には直ぐ慣れる。
少し世界観が変わったくらいで、日々の生活だけで精一杯になる。
外に目を向けることなんて叶わなかったし、僅かにでも関わってみようとした結果が奴隷としての日々だ。
──ああ、うん。そうだろう。確かに……非常に、面白くない。
それは事実だった。認めざるを得ない。
退屈で楽しくなく、苦しいだけ。だから死のうとしたのだ。
だが彼は、この様な状況でさえ、自分が死ぬとは露とも思っていない様子で、
「おれはここを出て最強の海賊になる……! そして、最高の喧嘩をしてやるのさ……!」
「……海、賊」
海賊。この海だらけの世界で生きる無法者達。
世界政府に縛られることなく、良くも悪くも自由に生きる者達だ。
彼はそれになるという。何の脈絡もない宣言だったが、彼ならばそうなるのだろうと頷けるだけの器が見える気がした。
だが、自分には──
「──お前、おれと同じで変な実を食ってんだろう」
「……えっ……」
不意に、それを言い当てられる。間の抜けた声を出す。
おれと、同じ?
「さっき一瞬、身体の形が変わってやがった……つまりお前も、俺と同じで変身出来る訳だ……」
「……そう、だけど……」
確かに、そうだ。
悪魔の実。それを食べたおかげで、自分はこの姿になり、特殊な力をも手に入れた。
そして、彼もそうだと言う。
「ならいつでも出れるだろう……おれはもう出る」
「え……あ──」
その瞬間、彼の姿は変わった。
人間ではない──和風の、青い龍に。
大きさも僅かに変わり、この牢屋いっぱいにその龍の身体が広がる。
そして鎖も、繋ぎ止めていた腕の太さが変わったことで引き千切れた。
するとまた、人型に戻ってこちらを見ることもなく、
「……出ないのか?」
「え、あ……」
「こんなとこで死ぬのはつまらねェぞ」
と、それだけを言って彼は牢屋の扉を力ずくでぶち破った。
そうして出ていく彼を、私は──
「……っ、待って」
「!」
私は能力を使い、身体を変形させる。
そしてさっき彼がやったのと同じ要領で、枷から逃れ、人型に戻って彼の下へと進むと、
「ウオロロロロ……! 面白ェ能力、持ってるじゃねェか……!」
「……そっちよりは普通……でもない、か」
言い返そうとして、否定出来ないと口籠る。同じ動物系幻獣種とはいえ、こちらは明らかに普通じゃないのだから。
だがそれよりも重要なのは、これからのことだった。
「……あなた、名前は?」
敢えて、問う。薄々気づいていた。
しかし彼の口から聞かねばならない。確証を持つためには。
「────
「……!」
──やはり、と思う。
彼は“カイドウ”と名乗った。
そして私が知る限り、この世界でカイドウと言えば、1人しかいない。
「お前も名乗れ」
「……私、私は──」
カイドウに、そう言われる。
何気ない当たり前の質問だが、私にとっては少しややこしい。
名前。かつての名前。親から付けてもらった名前。その全てを思い出せないのだ。
だから私はこう名乗っている。この姿の名を、この姿こそが今生の私だと、
「────
──そう。それもまた、かつていた場所とは別の世界の名だった。
だがこの艶のある黒髪のショートボブ。後ろ髪が外に跳ねた左右非対称の髪型や、真紅の瞳、ほんの僅かに尖った耳や、背中から生える赤い鎌のような三枚の右翼と矢印状の三枚の左翼は、どう見てもそれだ。
──バケバケの実幻獣種モデル“鵺”。
それが私の能力であり、正体不明である私の正体であった。
そんな私と、私の能力を見て、カイドウは言う。
「ホウジュウ……変な名だ」
「……よく言われる」
変、とまで言われると若干傷つくが、この世界では馴染みのない名前だからしょうがない。この名前が違和感なく通じるのは確か、鎖国国家とかそんな感じだった筈だ。
だがそれはいい。とりあえず、私は言ってやった。
「──ついていくから」
「……あァ?」
カイドウは何を言ってるんだと言う風に頭に疑問符を浮かべた。が、それに構わず私は言う。
「……ちょっと、気が変わった。あなたとなら、海賊ってのも面白そうだし、もう少し楽しめるように頑張ってみることにするわ」
「……そうか。好きにしろ」
フン、と愛想も全くなく、カイドウは牢屋から出ていく。
それに続いて、私も牢屋を出た。
寄ってくる相手まで吹っ飛ばしたりはしないのだろうか、と私はそんなことを考える。
なにしろ彼の凶暴性は理解っているのだ。
何しろ彼は────“百獣”のカイドウ。
──いつしか、陸海空、全ての生きとし生ける全てのもの達の中で、“最強の生物”と呼ばれるようになる海賊である。
そんなカイドウの若かりし頃を見て、思わず心に生気を取り戻してしまった。
現金なものだと思う。気まぐれすぎる、とも。
だが、
だが未だにこうも思う。
……どうせ死のうと思ってたんだし、このカイドウについていって色々してやるのも……乙なもんでしょ。
それで死んでも、どうせ死ぬつもりだったのだから別に構わないし、どうなろうとももう心も傷まない。
人を殺した時に思った。もうすでに、ある意味で妖怪らしい心となっているのだ。
ひょっとしたらもう何が起ころうとも、何をしようとも、心が痛むことはないのかもしれない。
あるのは面白いか、面白くないか。楽しいか、楽しくないか。それだけだ。
勿論、苦しいのも痛いのも嫌だが……今は辛うじて、こっちの興味の方が勝っている。
だから最期に一旗上げるつもりで、ぬえは今一度立ち上がった。今はまだ血気盛んな青年でしかないが、後に“四皇”に数えられる海賊と共に。
そして、ぬえは問う。ここを出る前に1つ、確認しておきたいと、
「……そういえばカイドウ。あなたって幾つ?」
「歳は数えてねェが……多分、10幾つかだ」
「えっ」
若いとは思っていたが、めちゃくちゃ若かった。私と殆ど変わらない……。
──若かりし頃のカイドウは、本当に若かった。ひょっとしたら彼についていく道は、かなり混迷を極めるかもしれないと、ぬえはこれからのことについて久し振りに思いを馳せるのであった。