陵墓を守る
2016.07.08
大阪府堺市の百舌鳥古墳群、とくに仁徳天皇陵とニサンザイ古墳を視察しました。
百舌鳥古墳群は、その隣にある古市古墳群とあわせて世界遺産の登録の準備中です。
陵墓は、皇室にとって祭祀を執り行うなど大変重要な場所であると同時に、堺市民にとっても誇りであり、国民全体にとっても国の歴史が詰まっている大切な場所です。
行革事務局では、宮内庁施設を含む国の施設の公開を進めてきました。
陵墓はその対象ではありませんが、宮内庁の施設の議論をする中で、さまざまな専門家から、宮内庁が所管している陵墓の維持管理が難しくなっているという指摘がありました。
宮内庁だけでは、後世にきちんと残すための維持管理をとてもできないので、陵墓については地元の教育委員会をはじめとする専門家や、歴史学者、考古学者などの知見も借りて、オールジャパンで調査、研究を進めていくということで、動き出しました。
そこで、今回、百舌鳥古墳群の維持管理についての視察をしました。
ニサンザイ古墳(東百舌鳥陵墓参考地)は、平成二十六年と二十七年に約1億1800万円をかけて護岸工事を実施しました。
古墳の裾周りが濠の水により浸食がすすんでいたため、護岸工事を行ったものです。
その際、さまざまな遺構、遺物の調査も行われました。
仁徳天皇量(百舌鳥耳原中陵)もやはり濠の水による浸食と繁茂した樹木により、維持管理が難しくなっています。
そのため今年度から水中ソナーによる濠の中の調査を進め、護岸などの対策を講じる検討をします。
仁徳天皇陵の一番外側の濠
二番目の濠
一番内側の濠と仁徳天皇陵、後円部の天辺あたり
仁徳天皇陵前拝所
もともと仁徳天皇陵は、造られた当時は葺石で覆われていたと考えられています。
現在のように、うっそうと生い茂った樹木で覆われるようになったのは、戦後、比較的最近のようです。
これから先の維持管理、あるいは後世に遺していくために、どのような姿で遺していくのがよいのか、きっちりと議論していかなければなりません。
また、皇室の祭祀を執り行う場所としての尊厳と安寧を守りつつも、国内外に、この古墳群の価値を伝えていくためにどうしたらよいかということも、議論が必要です。
世界最大の墓陵である仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古市古墳群が我が国の歴史の中に占める位置付けをしっかりと説明しながら、大勢に見ていただくためにどうしたらよいか、堺市でも検討していただいています。
前方後円墳という形をしっかりと自分の目で見ていただくためには、例えば気球に乗っていただくのか、あるいは一番内側の濠から見てもらえるような場所を確保するのかなど、様々な検討が行われることと思います。
戦後、百舌鳥古墳群には百を超える古墳があったそうです。 しかし、戦後、まず壁土用に古墳が削り取られ、その後、宅地化されて、いまや四十有余しか残っていません。
こうした古墳群をしっかりと後世に、歴史とともに伝えていかなければなりません。
また、現在の陵墓の治定には、専門家が一致して疑問視している継体天皇陵なども含まれています。
古墳時代のものですから、これが間違いなくこの天皇の陵墓であると確認できるような、文字の書かれたものが出ることは期待できません。
ですから、陵墓の治定は常に不確実性を帯びています。
それはやむを得ないことだと思います。
しかし、例えば現在、継体天皇陵とされている大田茶臼山古墳は五世紀中頃のものと考えられており、六世紀前半、531年に崩御したとされる継体天皇とは時代があいません。
継体天皇陵は、現在、陵墓に指定されていない今城塚古墳であろうというのが学界の定説になっています。
陵墓の治定については、さまざまな異説がありますが、学界がほぼ一致している定説がある場合は、治定を見直していくことが、必要だと思います。
我が国の歴史の礎ともいえるこうした古墳群をしっかりと守っていきましょう。