固定されたツイートまろかれ@furunomitama·9月8日今年も大司命節祈祷を行ないます 自分と家族全員で一万円の祈祷料 自分のみだと五千円(別記事) 神様の運命改定の時にこそ、大きな運命変換が出来ます 大司命節の祈祷について(自分と家族)|古川陽明 @furunomitama #note大司命節の祈祷について(自分と家族)|古川陽明|note道教や古神道や神仙道では、人の運命を司る司命神という神々がいることを伝えている。 日本では出雲大社で年に一度、神々が集まり人々の運命を決める神無月の話として漏れ伝わっているが、これは産土神が小司命神であり、幽冥を司る出雲の神々や天照大御神を中心とした神々が大司命神である事を表している。 我が師水位先生は、この大司命節について詳細な伝承を残された。 大司命神は日本の神々七十二神であり、小司命神...note.com1949
まろかれ@furunomitama·4分祈祷への心得や信念などは、羽田先生や甑岳先生から学ところが大きい 密教や修験道は神道と通じるところが多く、表裏一体ではないかと思うことが多々ある 羽田先生のブログからは学ぶことが多い また甑岳先生の祈祷への意気込みや姿勢には敬服する 相手の病状が出るくらい祈れという言葉は衝撃的だった15
まろかれ@furunomitama·11分大司命節の祈祷に関しても、他の祈祷に関してもそうだが、祈祷を受ける側が自分で祈祷を受ける器が必要となる それは功徳や霊験を受ける器とも言える 大司命節の祈祷をいくら受けても、徳を損なうような行ないを日常生活で続けていれば、それはあまり功徳を感じられないだろう 受ける器とは心である115
まろかれ@furunomitama·15分道教の実践に関しては日本では三多先生ほどの方はいないので私も足元にも及ばないので学ぶことが多い 青真少童君(少名彦那大神)は修行するものを「学生」とお呼びになるが、自分も老いたりとはいえ、学ぶことは忘れないようにと心がけている 急に自分を省みたが、これも老いというものだろうか15このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·24分そういう霊能的なものは副産物なので、それを期待して観落陰に参加するのはどうかと思うが、秘伝中の秘伝である観落陰を日本でも三多先生のおかげで受けることが出来るのは非常に有難いことであった 三多先生は私が少年の頃に憧れた本物の道士そのものであり、お近づきになれたのは仙縁の賜物だった129このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·28分毎朝神社に早朝に出社して、社殿の扉を開けて掃除していると本殿からはさすがにほとんどなかったが、末社のお稲荷さんや弁天さんなどを掃除していると、御眷属が待ち構えていたように話してくるので掃除に集中できなくて、「すみません忙しいので後でお願いします」とシャットアウトしていたくらいだ1110このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·32分六甲壇の話は完全に妄想とか脳のバグみたいに思われても仕方ないのでこれくらいにしておくが、この経験が神道的に神々を勧請する時に非常に役に立った 三多道長先生の観落陰に何度か参加したことで、今までは霊的なことを観ることは出来ても、聞いたり話すことは苦手だったのが出来るようになった117このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·36分六甲壇の十二神将は六甲六丁の十二神将であり、六壬などの十二神将とは名前や働きが違うのだが、そういう意味では六壬をたまにやりたくなるのは、十二神将との関わりかもしれない 六甲壇を維持していた時は必ず毎日その日の当番の十二神将を自分の近くに感じていたし、霊能者はそれを観て怖がっていた119このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·43分六甲壇は結構大変な潔斎や毎日の行があるので、家族を持った身としては難しく、実家を引き払った時に壇を動かしたので今は封印している なので十二神将と関わることも今はなく、祭壇の横に封印の布をかけて安置しているのを見ると時々寂しく思う 状況が変わったら、また再度六甲壇の修行をしたい117このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·46分六甲壇の修行をやった時に、ああ正しい法によれば神を降ろすのはある意味ではこんなに簡単なんだと実感したことがあります 自分が関われないくらいの神でも十二神将をその神仏の元に送り、交渉してこちらの招きを受け入れてくださいとやれば、自分単独の祈りでは届かない祈りも即座に届くようになった118このスレッドを表示
まろかれさんがリツイート西洋魔術博物館@MuseeMagica·13時間厄除けの伝承 ・蛇の抜け殻を携帯すると厄除けになる ・銀貨を枕の下に入れて寝る ・帽子を前後逆にかぶる ・野宿する際はフォーク状の柳の枝で周囲に二重円を描く ・寝室に「ふるい」を置く 悪霊は「ふるい」の目をひとつひとつくぐる習性があるため、朝までかかりっきりになるとのこと。85011,423
まろかれ@furunomitama·51分返信先: @tenra_kukeiさんありがとうございます。若い時は武術気功をしていましたが、今は医療気功とか導引とかゆるめというかふわっとしたものを中心にしてのんびりやっています 仙道も高藤さん系のパワー系はもうとても出来ないので、瞑想系のものしか出来ないと思います そういう意味でも自分の実感とご助言がしっくりきます2
まろかれ@furunomitama·56分大司命節の祈祷にしても、慰霊修法にしても、自分や家族や関係者のみならば問題ないだろうが、毎回百人単位の祈祷をすることになり、これは自分の意思でやってたら即死だなと思って毎回襟を正して祈っている おそらくコロナも含めて、神様からの特別な許可があってこそもう三年も許されているのだろう1119このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·59分50歳までは祈祷を主にと35歳の時に思って頑張ってきたけど実際にはかなり生命を削っている実感もあり、あと数年で迎える50歳で神上がりするか祈祷をセーブするか後進を育てるかと思っていたが、力不足でどれもできそうにはない ここ数年で今までの不惜身命的な祈りから神仏に丸投げする祈りにはなった1121このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·1時間一度捨てた仙道や気功をやり直したり、毎日の自分の状態をチェックするためにも人相をやろうとしたり、自分がやるべきことを毎日ボチボチと重ねつつ祈祷をすることで、祈祷だけに専念している時よりも身体は楽になってきた ただまだまだ身体が回復しきれないので、無理もしないし気力も蓄えモードだ2123このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·1時間この十年は神社への御奉仕や他者への祈りだけに専念しすぎ自行を疎かにして身体の不調を招いたので、今年は徐々に自行をゆるやかにだが取り戻している それでも急に全てが好転するわけではなく、三歩進んで二歩下がるような牛歩の歩みだが、若い時には敬遠していたような養生の道の意味もわかってきた1329このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·1時間利他行に徹することによって、自利行で得た様々なものを失い、ある意味で凡俗に戻り、社会に深く関わるようになり、今までとは違った苦労を重ね、妬み嫉みを受け誹謗中傷にさらされてきたが、それも人と深く関わるならば避けて通れないと思い甘受してきた それ自体が禊(身削ぎ)であるからだ1442このスレッドを表示
まろかれ@furunomitama·1時間私は35歳の時に自分でやりたかった修行をだいたいやり修えて、これ以上の望みは今生ではないと思い肉体から離れるのもいいなと思って祈っていたら「経世済民」を示され、35歳までは自利行だったがこれから50歳までは利他行に生きようと思って、祈祷や占いや雑誌の記事や本の出版や講座をやっている1982このスレッドを表示
まろかれさんがリツイート東方書店 東京店(神田神保町)|短縮営業中12-18時@toho_jimbocho·3時間【国内書】2021年6月 『西王母と女媧:二人の神』 重信あゆみ 著/ビイング・ネット・プレス/税込6,050円 https://toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=4908055263&bookType=jp… 中国古代の同時代に存在した二人の女神、西王母と女媧。文献資料と出土資料を、戦国時代から漢代を中心に整理し、西王母と女媧の源流と変遷を探る!3365
まろかれさんがリツイート劔御子寺@turuga7000·5時間返信先: @shinko11jpさん福井県丹生郡越前町の八坂神社に伝わる牛頭天王像とよく似ていますね。絵画では大阪の志紀長吉神社の牛頭天王曼荼羅に近いです(志起長吉神社の方は牛に乗っていますが)1118
まろかれさんがリツイートbunkansyo@shinko11jp·10時間春日大社の国宝館で公開されてる水谷神社の牛頭天王曼陀羅、実に興味深いのですが、専門家の意見を聞いてみたいところです。21452このスレッドを表示