渋谷川暗渠観測記

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最終更新日:2021/7/10

<2021.07.07>

「記録をつけていくことにする」などと曰ってから長い時間が開いてしまった。あの後何度か仕事終わりの夕暮れ時に、あの場所へ行って暗渠の入り口を眺めたりもしたが特段変わった発見はなく、ただ日によって流れる水の量や色合いが異なることを知るだけだった。また、酒の席で何人かの知人に私が見たものの話をしたが、耳を貸してくれる者はいなかった。旧知の友人に至っては、私が幼い頃より冒険小説やSF小説に熱を上げていたことを引き合いに、空想に取り憑かれた老人だなどと冷笑した。人間の記憶というのは大変に頼りなく、否定されればされるほど私の思い込みだったような気がしてくるもので、次第に暗渠への興味は薄れていった。加えて妻の体調が優れず、彼女を置き去りに暗渠を覗きにいくということが難しくもなっていた。若い頃に得た知識を総動員して作ったこのホームページが2年近くも放置されたのはそのためである。言い訳じみているけれど。

そして本日これを再開するに至ったのにもまた理由がある。

7月に入ってから毎日雨が続いている。新型コロナウィルス感染拡大防止措置としての緊急事態宣言が常態化した東京でオリンピックの開催が近づき、皆がピリピリしている。私が管理するマンションのエレベーターホールに設置した意見交換用ホワイトボードには、「マスクをせずにゴミ出しするのはやめて」「テレビの音が大きすぎる!」「ベランダからタバコの吸殻を捨てるな」などと語調の強い言葉が並び始めた。雨続きで水をやっていなかった花壇には、缶チューハイの空き缶が捨てられていた。先行きの見えない中で閉じ込められたら、みんな心がささくれだってしまうのだろう。住み込みの管理人としても気の抜けない日々が続いている。

今月に入って妻が入院した。長く抱えていた持病が緩やかに悪化の一途を辿っていたから、想定の範囲内であった。とはいえ、二人で暮らしていた管理人室にぽっかり空間ができてしまったような気がした。亡くなったわけではないけれど、これまで離れて暮らしたこともなかったから、強い違和感がある。離れたとて寂しさなど感じないと高を括っていたが、40年連れだった人間の存在は大きかった。もともと体が弱く、疲れやすかった妻が担っていた役務は家事にしろマンション管理の業務にしろそう多くないと思っていたけれど、いざ失ってみれば飛んだ思い違いだと知った。あっという間にトイレットペーパーのストックが切れてえらいことになった。妻が定期的に注文してくれていたという当たり前の事実に、恥ずかしながら初めて気がついた。

今日、昼休憩でマンションを抜け、妻を見舞に病院へ行った。病状は落ち着いており、いつもの妻らしく気丈に振る舞ってはいたが、食欲は少し減退しているようだった。明日は何か食べやすいものを持ってくると言い置いて、13時には管理人室に戻れるようにいそいそと病院を出た。その帰り道、嫌な長雨がそぼ降る中を歩いていた。最近の東京は東南アジアみたいになってきたなと思う。20年ほど前に、勤めていた家電量販店の社員研修で訪れたベトナムにそっくりだ。生暖かく体にまとわりついてくるような風。まっすぐ落ちてくるように唐突に降り始める雨。渋谷川を渡るとき、足下から耳慣れない水流の音が聞こえてくるのに気付いた。川面を覗き込むと、茶色く濁った水が勢いよく流れている。

2年前のあの日に見たのと同じだ、と思った。

あの日依頼、渋谷川の近くを通るたびに流れの様子を見てきたが、これほどたくさんの水が流れていることはなかった。私の中の熱病の種が息を吹き返しそうになるのを感じる。

流れをじっと見つめる。意識が川面に集中し、周囲の存在が消えると、自分が流れに遡上しているような感覚に陥る。ギュッと目を瞑り、再び見る。流れの凹凸に全ての意識を集中させる。何かがあるはずだ、と信じて見る。10分、20分と時間ばかりが過ぎていく。上流からは空き缶やビニール袋などのゴミがしばしば流れてくる。もう直ぐにでもマンションに戻って管理人室の窓口を開けなければならない。ただでさえ住人たちは苛立っているのだから、ここへきて管理人の職務怠慢などと思われたらどんなクレームをつけられるか知れない。妻が居てくれていれば、取り急ぎの対応をしてもらうこともできたけれど今は私一人である。そういえば、来週には排水管の全戸一斉清掃がある。作業日程の変更を申し出てくる住人が何人も出てくるはずだ。誰もが自分の予定を最優先にするから、全住戸の清掃作業を効率的に進めることができない。去年も六階のある住人がピンポイントでしか受け入れられないと駄々をこねたものだから、一階、二階と作業をした後、六階を済ませて再び三階、四階と進めざるを得なかった。清掃業者はよくあることですと言ってくれたが、申し訳ない気持ちになったものだった。

「ゴッ」と足下から音が聞こえた。

どうやら上流から流れてきた大ぶりな木片が、橋桁の出っ張りにぶつかったようだ。それによって、淀みに溜まっていた枝やタバコの空き箱、洗剤の空容器などが泡と共に一斉に流れていった。

その中に、一瞬、それは浮き上がった。

真っ白く脱色されたような色をした、大きな虫。その瞬間生じたであろう水底を抉るような水流によって、ふわりと水面に現れた、カブトムシの幼虫を50倍ほど拡大したような、太ったウサギ大の幼虫。ほんの3秒、いやその姿が見えたのは1秒にも満たなかったかもしれない。私は呆気にとられて、いったん思考が停止し、すぐさま我に帰って橋の下流側に駆けて下を覗き見るも、流れているのは枝やゴミばかりで生物らしきものはもう見えなかった。

やはり何かがある。なにかがあるぞ——

マンションに駆け戻った私はひどい興奮の最中にいた。予想に反して、排水管清掃の時間変更を申し出てくる住人は一人だけだった。コロナの影響でほとんどの住人が在宅しているからだろう。ただ、その住人がどんな理由で変更を申し出てきたかさえおぼろで、かろうじてとったメモの存在が救いだった。その後も通常通り、共用部の清掃、破棄されたチラシの処分、ゴミ集積場での分別作業などをこなしたはずだが、どの記憶にも濃い霧がかかったように不明瞭だ。明確だったのは、頭の9割以上が渋谷川に占拠されていたことである。

18時に終業すると、矢も盾もたまらずマンションを飛び出した。雨合羽を羽織り、自転車に乗って、虫を見た橋まで飛ばした。日が落ち切る前にもう一度あの場所を見たい。生温い霧雨が顔を濡らし、襟ぐりから胸を濡らしていく。橋に着く頃にはあたりは薄暗く、切り立った護岸に囲まれた川面には十分な光が届いていなかった。いや、仮に光が届いていたとしても、これだけ濁った水の中を見ることはできなかっただろう。予想していたとはいえその光景に悔しさを感じながら、しかし今となってはぐっしょりと濡れた全身の感覚も相まって、何か独特な、高揚と錯乱との間のような、そんな気持ちに浸っていた。もう私は止まらないだろうと思った。

シンブンキシャ