<2019.10.13>
午前10時半。浜松町の馴染みの電気店「デンキの山」でイヤフォンを新調後、旧芝離宮恩賜庭園裏、浜崎橋至近まで散歩を実施。ラジオからは昨日東京を通過した台風19号の被害の甚大さが報じられている。多摩川の堤防は決壊し、街が水没。行方不明者も出ているとのこと。現在の東京湾は落ち着きを取り戻しているが、確かに波間の漂流物は多いように見える。
「川はどうなっているのだろう」と私は思った。
本当は多摩川を見てみたかったが、ちょうど目の前が渋谷川の最下流部になっている。渋谷川は西から首都高の高架下に隠れるようにしてここまでやって来ている。私はこれをいくらか遡上してみようと思い立った。昨日まで吹いていた暴風が雲を根こそぎ連れ去ったみたいに、今日の東京は晴れ渡っている。歩くのに都合がいいし、日曜だから仕事も休みだ。
東京都心で川沿いを歩くのはそう容易ではない。護岸ギリギリまでびっしりと建物が迫っており、遊歩道などが整備されている場所は少ない。通りが川を越える際にようやくその橋の上から川を臨める。橋の柵から川面を覗き込むと、流れる水が茶色く濁っているのが確認できた。きっと普段より水量も多いのだろうと想像する。もう少し上流を見ようと歩けども、川岸からはどんどん離されていくばかり。私は一度諦めて、自宅兼職場であるマンション(私は古いマンションで住み込みの管理人をしている)のある恵比寿へ戻ることにした。
マンションはJR恵比寿駅から東の広尾方面に15分ほど歩いた住宅街にある。道中、北に渋谷川の中流部が流れていることを思い出し、進路をそちらへとった。この辺りもやはり川岸にまで建物が並んでおり、川に沿って歩くことはできない。ただし、河口付近に比べればだいぶ川幅は狭まっており、周辺の建造物も存在が控えめで、川から引き離されてもさほど遠く感じることなく、上流方面に歩いていればすぐに合流することができた。そのようにして、なんとはなしに、私は渋谷駅の東側にまで至った。この先を遡上することは不可能だった。渋谷川はここで玉川通りの下へ潜り、姿を消している。方角からすれば、渋谷駅の下を通っていると考えられた。脚が疲れていた。気づけばたいそうな距離を歩いていた。私は自動販売機で滅多に飲まないスポーツドリンクを買い、幅10mもなくなった渋谷川にかかる橋の上でそれをがぶがぶと飲んだ。川はこの橋から100mほど上流で、首都高速の高架の下の、玉川通りのさらに下へ潜って姿を消している。奥は真っ暗闇である。足下から男たちの声が聞こえた。橋の下を覗き込むと、数人がブルーシートで何かを包んでいる。水道局の作業員たちが何かを回収しているのだろう。それにしても、胴長も作業着もひどく汚れている。男たちは荷の準備が整うと、何かを確認するように視線を上げた。全員が頭上の私を見た。同時に(或いはコンマ数秒の遅れののちに)私は地上へ視線を移した。なんだかじっと見つめては失礼なような気がしたのだ。
しばらく地上の往来を眺める。明治通りをひっきりなしに車が通っている。橋を渡る人々は、その足下に川が流れていることなんて知ったこっちゃないというようにまるで興味を示さない。川へ視線を戻すと、男たちはブルーシートで作った巨大なクロワッサンのようなものを上流の方へ運んでいる。暴力映画で殺人犯が遺体を海に運ぶシーンを思い出した。しかし、彼らは逆へ向かっている。海ではなく、川の上流へ。思えば、この辺りから私は少なからず違和感を感じていた。その先に護岸を上がれるポイントはない。男たちは二度とこちらを見やることなく、そのブルーシートの包みを真っ暗な暗渠の奥へと運び込んだ。
他に彼らを見たものはいないかと周囲を見回すも、誰もが手元の携帯電話に注視しながら足早に歩き去るのみで、誰一人その存在にすら気付いていないようだった。私は川沿いを歩き、男たちが消えていった暗渠開口部の上に立った。耳を澄ますが、首都高の下では全ての音が消えてしまう。男たちは今どこを歩いているのだろう。目に映るのはいくつもの車線が複雑に入り組んだ巨大な交差点、天を衝くほど高い商業ビル群、巨大な渋谷駅。これらのどれかの下を、男たちは歩いている。私は彼らの足取りの、その一層上を探るように、渋谷駅の周辺を歩いた。彼らが抱えていたものはなんだろうか。その大きさといい形状といい、包まれているものが人間であったのではという嫌な疑念が頭をもたげてくる。時間が経つほど、その推測は振り払うことができないほど強固になって、もはや断定に近いものになってくる。思えば、目があった時の彼らの顔。皮膚は黒ずみ、その表情は怯えを含んでいたような気がする。彼らはもしかして、水道局の職員ではないのではないか。各人の装いがあまりにもバラバラに見えたし、よく考えればそもそも作業着でさえなかったかもしれない。
何かが隠蔽された。
私はそのような確信めいた思いに至った。
私は渋谷の地下を調査する。そして本日より、このように記録をつけていくこととする。
シンブンキシャ