挿入話〜侯爵令嬢の述懐〜
離宮から帰る、もう一台の馬車の中。
侯爵令嬢リーディヤ・セレズノアは、うつむいてもの思いにふけっていた。
今日の出来事を、父にどう話すべきか。それを考えておかなければならない。それなのに、想いはすぐに、千々に乱れてしまう。
皇太后陛下。
オリガ・フルールス。
そして……エカテリーナ・ユールノヴァ。
彼女のことは、魔法学園の入学式から意識していた。セレズノア侯爵家のライバル、三大公爵家の令嬢。かつて皇后の外戚としてセレズノア家が手にするはずだった権勢を奪った、セルゲイ・ユールノヴァ公の孫娘。
両親からも、ことあるごとにその様子を尋ねられ、決して負けてはならないと叱咤激励されていた。
入学式で初めて目にした彼女は、美しく、気品があり、それでいて……男性の心を惹き付けそうな肢体まで持ち合わせていて、つい苛立ちを覚えたものだ。
でもミハイル様は、そのようなことに惑うお方ではない。賢く、皇国の未来を見据えた伴侶を選べるお方。
わたくしが音楽神の庭に招かれ、その加護を得る日が来れば、わたくしの価値を認めて、この手を取ってくださる。だから、超然として、今まで通りレッスンに打ち込めばよいだけ。
そう思って自分をなだめていたのに、あっさりと二人は親しくなってしまった。
とはいえエカテリーナは、皇都の社交界には出たことがない。皇子のパートナーを務めるには、経験不足。だから、きっと遅れを取り戻そうと、盛大なパーティーでも開催して華々しく存在を誇示し、他の令嬢たちを牽制しようとするだろう。そう思って、母が迎え撃つ準備をしていたのに。
まったく、そういう動きはなかった。学園での交友すらも地味で、男爵令嬢とは名ばかりの平民ごときと親しくし、交流するにふさわしい家柄の令息令嬢に近付く気配すらない。
育ちに問題があるため、まともな社交ができないのではないか。教育をほとんど受けておらず、教養がないらしい。
そんな噂が扇の陰で囁かれ、社交界の貴婦人たちはまだ見ぬユールノヴァ公爵令嬢に、嘲笑まじりの好奇の視線を向けていたものだ。
それなのに。
最初の試験で、エカテリーナ・ユールノヴァの順位は堂々の一位だった。
皇子ミハイルを抑えてのトップだけに、社交界でもちょっとした話題となった。それまでの、彼女への見方が見方だったから。
続いて皇都の貴婦人たちの話題となったのが、ユールノヴァ邸への行幸の後、皇后マグダレーナがユールノヴァで開発された新たな「天上の青」を衣装に取り入れたことだ。
皇后は、社交界のファッションリーダー。「神々の山嶺」の向こうから来た新奇な絹織物を抜群のセンスで着こなす彼女の衣装は、常に注目の的だ。皇后の衣装によって、流行は大きく左右される。皇后も当然それを意識しており、どんなに熱心に売り込みをかけられても、自分のセンスに合わないものは受け付けない。
そんな皇后のお眼鏡にかなったからには、公爵令嬢が身に着けていた衣装はよほど素晴らしいものだったのでは。一体どういうドレスだったのかと、貴婦人たちはあれこれ取り沙汰した。
そして「天上の青」は、それ自体の美しさもあって、またたく間に皇都の貴婦人たちに広まってゆく。
学園でのエカテリーナの人気は、高まる一方だった。
始まりは、学園に魔獣が出現するという一大事に、闘って魔獣をしりぞけた四人の一人であったこと。初めは彼女を遠巻きにしていた生徒たちが、それから交流するようになった。
一見気位が高そうなのに、実は気さくで朗らか。身分で接し方を変えることがなく、親しみやすい方。などと評されて、特に下級貴族たちが好意を向けた。
ここで、エカテリーナが初めて社交的な催しを開く。皇室御一家が観賞された公爵邸の薔薇園に、身分を問わず生徒たちを招待して、ガーデンパーティーを行ったのだ。
読めた、と思った。エカテリーナは、社交で出遅れていることを逆手にとって、下級貴族からの支持を集める策に出ていたのだと。
身分というものの構造から必然的に、上位貴族は数が少ない。ゆえに学園の生徒は、下級貴族の子息子女が圧倒的に多い。数の力で、劣勢を逆転しようというのだろう。
やはり、セルゲイ公の血筋。身分の上下を軽んじる、危険思想を受け継いでいる。リーディヤの考えに両親も同意して、セレズノア家は戦慄したものだ。
さらに、エカテリーナの攻勢は続く。皇帝に献上された、ガラスペンなるもの。隣国との間で結んだ条約に調印する際、皇帝がそれで署名すると、隣国の外務大臣がペンの美しさに見惚れていた、などという話が広まった。そして、有力貴族や富豪たちが、こぞってそのガラスペンを求める事態に。
そんな中、皇子ミハイルが夏休みをユールノヴァで過ごすという知らせがもたらされた。
それは、十七歳の若さで公爵位を継承したアレクセイへの、皇帝陛下からの応援という意味ではあった。けれどそれもまた、次代の皇帝を支える人材としてのアレクセイへの期待であると人々は見る。さらには、いずれ外戚として権勢を振るう人材として、期待しておられるのだろう。彼の祖父セルゲイ公と、まさに同じように。
とまで、うがった見方をする者が多く現れたのだった。
エカテリーナ・ユールノヴァは、次代の皇后の最有力候補。
そう噂する人々が増えるにしたがって、リーディヤの周囲からは人が消えていった。誰にでも優しいミハイルだけれど、名前呼びを許された令嬢はわずかだ。その一人であるリーディヤを未来の皇后と見ていた人々が、去っていった。
さらには扇の陰から、嘲笑する視線さえ向けられるようになったのだ。あれは、「選ばれなかった」令嬢だと。
このままではいられない。
偶然を装ってエカテリーナと会ったのも、そんな気持ちの現れだった。目の前で言葉を交わすミハイルとエカテリーナは思った以上に親しげで、じりじりと胸を焼かれるような心地がした。
自分で料理をするなんて、やはり公爵令嬢としてあるべき育ち方をしなかったのだろう。すっかり誑かされてしまって、ミハイル様は彼女の策略に気付いてないようだ。こんなことは間違っている。皇国の未来を守るためには、セレズノア家がミハイル様を支え、国の根幹を立て直さなければならないのだ。
父母も苛立ち、どうあってもユールノヴァを追い落とさねばならないと、側近たちと協議を重ねていた。だが、ユールノヴァはあまりにも強大だ、力で凌ぐことなどできない。
――わたくしが、直接、ユールノヴァ様に勝つしかないのだわ。
そう決意して、彼女への支持を削ぐべく動き出したところへ、降って湧いた離宮への誘いだった。先帝陛下、皇太后陛下の前で、歌を競う。
これ以上の好機はない。実力を見せつけて、さらには彼女の目の前で、今度こそ音楽神の庭に招かれてみせる。
意気込んで臨んだ今日だった。
美貌と肢体と、悪辣な策略で、ミハイル様をたぶらかす悪女。それがエカテリーナ・ユールノヴァだと思っていた。
その目の前で、惨めな敗北を喫したのはこちらのほう。きっと彼女は、心の中で嘲笑っている。これほどの恥辱にどうして耐えられるだろう、もう生命を断つしかない。崩れ落ちて泣きながら、そう思い定めていた。
けれど……。
『セレズノア様!』
彼女が、駆け寄ってきて。
痛いほど、抱きしめてくれた。
『貴女様の歌は、美しかった!』
『貴女様はずっと、努力してこられた』
『もっと大輪の花を咲かせることができるようになってから、貴女様の時は来る。そうに違いありませんわ』
必死になって、言葉を選んで。策略などどこにもなく、ただただ、慰めようとして。
それで、解ってしまった。
――このかたは……お人好しなのだわ。
優しいだけではないに違いない。ここまで見事に、こちらを追い込んだのだから。
でも、優しい。
狡猾な面も持ち合わせながら、いちばん真ん中が、優しさで出来ている。
父も母も、こんな惨めな様子の娘には、駆け寄って抱きしめてくれたりはしない。それは、侯爵として正しい有り様だ。
公爵令嬢として正しくないエカテリーナ。けれど。けれど。
彼女は、あまりにも――温かかった。
――だからミハイル様は、このかたを好きになった……。
変なひと。
こんな人、好きになってしまうに、決まっている。
だから、もう……ミハイル様は、わたくしの手を取ってはくださらない。
いいの。わたくしには、歌があるのだもの。
今の気持ちを、どう歌おう。そういえば、あの歌。オリガが歌った歌の一節にあった。夢を失くしてしまうことより、自分を信じられなくなってしまうほうが悲しいと。
あの歌を、歌ってみようかしら。
お父様には、ピアノのことでセレズノア家が皇太后陛下の不興を買ったと話そう。ひいお祖父様と皇太后陛下のことも。そしてミハイル様の意中の人がエカテリーナで、覆すことはもうできないと、話してしまおう。
だからいっそ、ユールノヴァに
エカテリーナ様の周囲には、まだ高位の貴族はいない。手を組むなら今のうち。政治的な方向性は違うけれど、そういう家同士で協力するくらい、よくあること。
我がセレズノア家と方向性が近いのはユールマグナだけれど、財政難と噂されていることを、わたくしはちゃんと知っている。ユールマグナ家のあの方は、よくエカテリーナ様の動向や評判を話題にしていたけれど、それはセレズノアとユールノヴァを争わせて利益を得るためであることくらい、解っていた。最初にエカテリーナ様の悪評が流れたのも、情報操作があったのだろう、
冷静に判断して、ユールマグナより勢いのあるユールノヴァと手を結ぶほうが、セレズノア家のためになるはず。
そんな話をすれば、お父様はお怒りになるだろう。でもセレズノアご不興の中わたくしは、歌への精進がお気に召して、皇太后陛下からこのドレスを賜った。そう話せば、お父様はわたくしを罰したりはなさらないはず。陛下から、これ以上の不興を買わないために。皇太后陛下も、家でのわたくしの立場を悪くしないために、このドレスをくださったはずだもの。
これからは、歌に生きればいい。
完璧を超えた最上の歌を歌うために、わたくしは生きる。
だから、ミハイル様に、ずっとわたくしの王子様だった方に、もう手を取ってはもらえないことなど、悲しくはないの。
わたくしは、誇り高き、セレズノア侯爵家の娘なのだもの。正しく侯爵令嬢として、育てられてきたのだもの。
悲しくはない。
だから……膝の上の手に滴が落ちるのは、気のせい。
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