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悪役令嬢、ブラコンにジョブチェンジします 作者:浜千鳥
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皇太后の歌

そういえば、オリガちゃんが練習の合間に話してくれたことがあった。おばあちゃんは皇太后陛下の大ファンだったと。


『……道ですれ違った人が皇太后陛下のことを話していたのを聞いて、おばあちゃんたら駆け戻って「今の話は本当?」って訊いたことがありました。見ず知らずの人たちだったのに。悪口なんて聞いたら「そんなお方じゃないのに」って泣き出したり』


それは相当だなあ、なんて思っていたけれど……ファン心理じゃなかった。深い友情だった!

ご本人を知っていたのなら、そんなお方じゃないのに、っていう言葉はすごく納得がいく。

皇太后陛下と友達だったなんて、普通ならつい自慢したり、何かの時に頼ったりするんじゃないだろうか。けれどイリーナさんは家族にも決してそのことを言わず、ただただ陰ながら、皇太后陛下の幸せを祈っていたのだろう。

すごい。なんて美しい友情……きっとイリーナさんは最後まで、小鳥のように無欲で純粋な人だったに違いない。


もらったピアノを、毎日家族の誰かが弾いて、家族みんなで歌っているという話も、オリガちゃんがしてくれたなあ。みんなおばあちゃんに弾き方を習ったって。これもいい話だよね。

私もずっと音楽が好きです。私は幸せです。歌声が、幸せな気持ちが、ピアノの音色と一緒にあなたに届きますように……。

そんな気持ちがこもっていたのかもしれない。


今日の離宮訪問が、セレズノア家の領法改定を阻止するためであることは、皇子から先帝陛下に伝えてあった。当然、皇太后陛下もご存知。というかオリガちゃんに、ピアノがあると聞いたと言っておられた。

たまたまオリガちゃんがイリーナさんの孫だったのは驚きの偶然だけど、きっと皇太后陛下は、改定について知った時から、実家を止める気満々だったんだろうな……。


もし今日ここへ来ていなくて、領法改定が施行されてしまって、後から皇太后陛下がそのことを知ったのだったら……ど、どういうことになっていたんだろう。

わかんないけど怖い!そりゃリーディヤちゃんも思わずハニワになるわ!


なんだかんだでリーディヤを気にせずにはいられないエカテリーナだったが、皇太后は意図的に彼女をそっとしているようで、オリガと親しく言葉を交わし、イリーナがすでに亡くなっていると知って涙を流した。

けれど、すぐに涙を拭う。


「イリーナが幸せだったと知って、わたくしも幸せです。今日は良い日……」


そして皇太后は、若い客人たちを見回して微笑んだ。


「久しぶりに、歌いたくなりました。昔イリーナが教えてくれた歌を……。聴いてくれますか」




そして皇太后は舞台に立ち、歌った。

月光花と戦士蝶の歌。音楽の夕べで、オリガが歌った歌だ。だが、若き日に音楽神の庭に招かれた天才にして、その後も最上の歌を求め続けてきた皇太后の、その歌声は――異次元だった。



 月は夜空に花と咲き、うみ一夜ひとよの花が咲く

 今ぞ死の時、愛の時

 鋼の翅を震わせて

 つわものどもは飛び立ちぬ……



一瞬で、連れていかれた・・・・・・・。歌の世界に。

身体はここに、離宮の劇場にいる。けれど脳裏にありありと、戦士たちの戦いが見える。


不思議なことに、彼らは黒いはねの戦士蝶ではなかった。人間の青年たちだった。

打ち合う剣に火花が散る。花が咲くごとく血潮が散る。さまざまな時代で、繰り返し。

いくたびも斃れ伏しながら、それでも、求めるものを求めてやまず、彼らは、剣を取る。


彼らの熱狂、彼らの苦痛、彼らの悲哀が、心に迫ってくる。


生きている。

共にある。

同じものを愛し、求めている。


その生命が、散って墜ちる。



――これは、歌が暗喩するセレズノアでの反乱の光景だ。抑圧にあらがい、自由を求めて立ち上がっては、鎮圧されてきた若者たちの姿。歌われる歌詞は鋼の翅を持つ蝶、それなのに、歌の真意が、聴く者の脳裏に鮮やかに広がる。

なぜ、こんなことができるのだろう。

そんな疑問すら心の片隅に追いやられ、気が付けば、涙を流していた。


ついに最後の戦士が花へとたどり着いた、そう歌われた時。

脳裏で瀕死の戦士は恋人に抱かれ、眠りにつく。永遠に。

哀れで美しい、その光景を最後に。

夢から醒めるように、曲が終わったのだった。




舞台に佇む皇太后の周囲に、五色の光がきらめく。音楽神が、祝福している。


皇太后の視線の先は、オリガ、そしてリーディヤだ。

音楽を志す少女たちへの贈り物として、皇太后は歌った。


オリガちゃんもリーディヤちゃんも、今、強烈にレッスンがしたいだろうな。この境地にたどり着くために。

そう思って、涙を拭いながらエカテリーナは微笑んだ。


この歌を、セレズノア家出身の皇太后が歌い、オリガとリーディヤという真逆の立場の令嬢が共に聴いたのは、奇妙な状況ではある。

けれど、今日という日がきっといつか、よりよい未来に繋がっていくような気がした。




それからしばらくして、音楽神殿からの迎えが到着し、うやうやしく頭を下げる神官たちに連れられて、オリガとレナートは去って行った。


「なにもかもエカテリーナ様のおかげです。なんてお礼を言えばいいか……!」


別れ際、涙ながらにオリガが言ったが、エカテリーナは笑って首を横に振った。


「すべてはオリガ様とセレザール様の才能ゆえですわ。オリガ様が素晴らしい歌声をお持ちでなかったら、わたくし、何もいたしませんでしたもの。本当におめでとう存じます」


わっと泣き出したオリガがエカテリーナに抱きついて、二人の少女はしばし抱き合う。

その横でレナートもミハイルに心からの礼を述べたが、そちらはそれぞれがそれぞれに、隣の少女たちに気を取られていたのだった。


「あの……頑張ってください。僕、応援しています」

「ああ……ありがとう。君たちのようになれるよう、頑張るよ」


そんな会話が耳に入って、内心エカテリーナは首をかしげる。

いや皇子、ここは君が、これからの二人を応援するところだよね。なんで君が応援されてるの?君、音楽を頑張る気なの?


今日もいろいろと安定の残念女である。




エカテリーナ、ミハイル、リーディヤの三名も、それを機に離宮を辞することになった。


「ぜひまた訪ねて来て欲しい。いつでも待っておるぞ」


決して社交辞令ではない、心のこもった言葉を先帝から頂戴して、御前から下がった少年少女は馬車へと向かう。


リーディヤはずっとほぼ無言で、心配なエカテリーナは、彼女に同じ馬車に乗ろうと誘った。行きの馬車でハブにしてしまったことが、まだ気になっていたのもある。

しかし、リーディヤは首を横に振った。一人でゆっくり考えたいことがあるので、と言われると、重ねてすすめることはできない。それにそもそも、帰りの行き先はそれぞれの皇都邸だから、乗り合わせて一人ずつ送って行くのでは効率が悪いのだ。


ただ、リーディヤはぼそっと言った、


「……お誘いいただいたことは、ありがたく思っておりますわ」


目も合わせないで言われたが、すこし染まった頬の色からしても決して嫌味とかではないようで、エカテリーナは少しほっとする。

それでリーディヤにはここで別れを告げて、行きと同様にエカテリーナとミハイルが同じ馬車、リーディヤは自家の馬車に一人で乗り込んだのだった。




「……また邪魔しに来るのが増えた気がする」


ミハイルの独語に、エカテリーナは首をかしげた。


「邪魔とは、何のことですの?」

「いや気にしないで。それより、今日は本当にすごい日だったね」

「はい、まさかこれほど驚くべき日になろうとは、予想もできませんでしたわ!」


ミハイルに振られた言葉に、ささやかな疑問は頭から消し飛んでエカテリーナは熱心に同意する。


「オリガ様もセレザール様も素晴らしいと思っておりましたけれど、両陛下の御前で音楽神様のお招きを受けるとは……それに、オリガ様のおばあさまが皇太后陛下のご友人。ご実家のピアノもオリガ様のご将来も、安泰となりましたわ」

「うん、ピアノに関しては、セレズノア家も救われたと言っていいだろうね。君が動いたからこそだ、セレズノアはユールノヴァに借りができた」


うっ。

日本人のメンタル的には『いやいやこちらも予想外だし、こんなこと借りだなんて思わないでくださいよ』とかって言いたくなるけど……いやこれただの事実なんだけれども……高位貴族の権力争いでは、きっちり貸し借りの収支をつけて相手を抑えるべき、なんだろう、な……。

お、お兄様の役に立てるように、そういうのに慣れなければー!


「それに、セレザール子爵家とフルールス男爵家では、爵位はともかくセレズノア侯爵家との関係性で釣り合いが取れないところだったけど、共に音楽神様に招かれたとなれば世俗の身分は超越する。あの二人はきっと幸せになるだろうね、良いことばかりだ」


ん?


「あの、ミハイル様。今のお言葉は、どういう……」

「え?」


珍しく、ミハイルはきょとんとした。


「まさか、気付いていなかったの?セレザール君とフルールス嬢は、想い合っているようだけど」


え。

えええええええ⁉︎


「そ……それは、本当ですの⁉︎」

「うん。さっきもそういう口ぶりだったし」


と言って、ミハイルはこらえきれない様子でくっくっと笑い出す。


「こういうことは女性のほうが気付くものだと思っていたけど……君は自分のことでなくても、恋愛関係は鈍いんだね」


がーん。

ショックに打ちのめされるエカテリーナである。


既視感!

この感じ、前世で誰かと誰かが付き合っているって聞いて、えー!と驚いたら「なんで気付かないの⁉︎」と呆れられたり怒られたりした時のまんま!


だ、だってそんな、レナート君はどう見ても鬼コーチで、オリガちゃんと付き合うとかいつの間に?

あっ、でもそういえば、レナート君がオリガちゃんの名前を呼び捨てにするようになって、あれって思ったことあったー!普通は、あれでピンと来たりするもんなの?だ、だってだって。

お……皇子に鈍いって言われた。

わーん、私お姉さんなのにー!

大ショックー!




馬車がユールノヴァ公爵家皇都邸に着いた時も、まだエカテリーナはショックが冷めやらない状態で、ミハイルに心配されつつ別れを告げて、よれよれと馬車を降りることになった。


が。


「エカテリーナ」

「お兄様ー!」


玄関に現れた兄アレクセイに、エカテリーナはあっさり元気を回復して飛びつく。

そんな妹を、アレクセイはしっかりと抱きしめた。


「お兄様、お迎えありがとう存じます。でも、ご当主たるお兄様が家人を出迎えなど」

「早くお前に会いたかった。お前と離れている時間は私にとって長すぎる、別れてから千年の時が過ぎた気がしたよ」


兄妹が別れてから数時間である。


「お兄様ったら」


会えない時間が愛を育てるとかいう話があったけど、お兄様は数時間で千年分のシスコンを育ててしまうんですね。さすがお兄様!

推定樹齢七千年の縄文杉も、お兄様のシスコンには敵いません!

私のブラコンももっと育てなければ!


「わたくしもお兄様にお会いしとうございました。今日は、お兄様にお話ししたいことが、たくさんありましたの!」

「ああ、ぜひその美しい声を聞かせておくれ、私の妙音鳥」


そして兄にエスコートされて、エカテリーナは公爵邸に帰宅したのだった。

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