皇族の歴史に見る「公」と「私」のせめぎ合い

 憲法が定める日本国の主権者たる国民の過半数の理解や祝福を得られない眞子内親王の「結婚」は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(第1条)であり、「国民のため国事を行う」(第7条)国家機関たる天皇の存在意義に重大な影響を及ぼす。国民統合と「国民のため」という天皇と皇室の存在目的に反する本末転倒な行動だからだ。その意味で、彼女の「結婚」は私事ではあり得ず、皇族の「公」の役割に抵触する疑いがある。

 これは、天皇や皇族にも人権があり、天皇および皇族が憲法第3章に定める「国民の権利」の主体であるという見解が、憲法の天皇に関する規定と整合するかという問題だ。

 たとえば、社会学者で東京工業大学名誉教授の橋爪大三郎氏は、「憲法は、皇室典範より上位の法規範である。憲法に、皇族は国民でない、とは書いてない」「これに照らせば、皇族も国民と同様、と考えるべきだ。その皇族に対して、国民すべてに保証されている結婚の権利を制限すれば、問題だ」との見方を示している。そのため、「女性皇族の結婚は、政府が関わらない『私事』なのである」ということになる。

 だが、実際には皇族は選挙権も持たず、表現の自由や移動の自由、職業選択の自由もない。その世襲的地位が国民(憲法)によって決定された天皇と皇族に、純粋にプライベートな行為は存在し得ない。それが、国庫からの多額の支出にとどまらず、将来の国の在り方まで左右するターニングポイントであれば、なおさらのことだ。

 平成2年(1990年)4月17日の衆議院における内閣法制局大森政輔第一部長(当時)の次の答弁に、そうした政府見解を見ることができる。

「天皇及び皇族のある行為がその行為の趣旨、性格等からして純粋に私的な行為にとどまらず、国として、ここが要点でございますが、国としてその行為を行うことについて関心を持ち、人的または物的側面からその援助をするのが相当と認められる側面を有することを公的性格がある、ないし公的色彩があると言っているわけでございます」

 いくら眞子内親王が形式的にすべての援助や公的儀式を辞退されたとしても、本来は国が人的また物的援助をすべきとされる行為は、「公」の範疇に属することは変わらない。こうした「公」と「私」のせめぎ合いの解決法は、新憲法制定直前の昭和22年(1947年)3月8日に吉田茂首相が昭和天皇に対して行った、「公私を厳密に分けることはできない」との奏上に、すでに現れている。吉田は、こう申し上げた。

「但し、皇室の私的の事項でも、それが国及び国民統合の象徴たる天皇の御地位の保持に影響深いものである場合には、その私的の事項が適切に行はれますよう、国が御世話するを申上げねばならぬことは当然であります」

 ほぼ国民全体が反対する内親王の「結婚」に関して、天皇の地位が保たれるために「その私的の事項が適切に行はれ」る唯一の合憲的かつ民主的な手段は、それを政府として認めないことではないだろうか。