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ぼくらのマインドを、スマートフォンによる「乗っ取り」から解放せよ──トリスタン・ハリスからの提言

元グーグルのプロダクトマネジャーであるトリスタン・ハリスは、ソーシャルメディアなどの大手企業が人の心を操って時間を浪費させていると批判を強め、「有意義な時間」という概念を提唱している。彼は、いかにアプリやウェブサイト、広告主、通知による支配と操作から、わたしたちを解放しようと考えているのか。そのアイデアを『WIRED』US版編集長のニコラス・トンプソンに語った。

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Tristan

PHOTOGRAPH BY KEVIN ABOSCH

スマートフォンは、ときにわたしたちの友となり、恋人のようになることもあれば、薬物を売りつける“売人”になることもある。この関係の複雑さについて、この数年でトリスタン・ハリスほど語ってきた人物はいないだろう。

元グーグルのプロダクトマネジャーであるハリスは、「テック企業がわたしたちのマインドを乗っ取る」ことを阻止するために、「Time Well Spent(有意義な時間)」という名の非営利団体も立ち上げた人物だ。いわゆる大手プラットフォーム企業がそれぞれのプロダクトに人を引きずり込み、知らず知らず時間を浪費させることについて批判することで、たびたび注目されている。

ネットで公開された2017年4月のTEDトークで、彼はオンラインデザインの復興を提案している。つまり、アプリ、ウェブサイト、広告主、通知による支配と操作からわたしたちを解放するためには、どう考えていくかということだ。こうしたアイデアについて、ハリスが『WIRED』US版編集長のニコラス・トンプソンに語った。

トリスタン・ハリスはTED talkで「インターネット企業はわれわれのアテンションを引きつけるため、底辺への競争をしている」と語った。

セルフ・アウェアネスの必然性

ニコラス・トンプソン(以下NT):大手のインターネットプラットフォームは、わたしたちが理解しないかたちで、わたしたちに影響を与えている。あなたはかねてそう主張しています。こうした発想が広がった経緯を教えてください。

トリスタン・ハリス(以下TH):最初は『60 Minutes』[編註:CBSテレビのドキュメンタリー番組]でした。あの番組のコーナーで、テック業界がどんなふうにデザインテクニックを駆使して、人々をできるだけ長く頻繁にスクリーンにつなぎとめているか、検証したんです。企業がそうする理由は、とにかくほかの企業よりユーザーの興味関心をひきつける競争があるからで、悪意があるからではありません。

あの番組がきっかけで、サム・ハリスのポッドキャストでインタヴューを受けることになって、テクノロジーが気づかぬうちに大勢の人を丸め込むいろいろな方法を説明しました。それがシリコンヴァレーでヴァイラルになったんです。何百万もの人が聴いたみたいで。「いかにテクノロジーがわれわれを乗っ取るか」ということについて、本格的に理解され始めているのです。

NT:どれほどの規模に対する問題なのでしょうか。

TH:テクノロジーは、この地球の20億人が毎日何を考え、何を信じるか巧みに誘導しています。20億人以上の思考を左右するんですから、史上最大の影響力と言ってもいいでしょう。宗教や政府でも、人々の日々の思考にそれほどの影響を及ぼすことはできませんから。

ところが現代では、テクノロジー企業3社のシステムが、人の時間の使い方や視界に入る内容までも決めてしまっているんです。ニュースフィードやレコメンド動画、その他もろもろユーザーに見せるものを通して。しかも、それらの中身はテック企業も制御できていません。

NT:3社というのは?

TH:スマートフォンのことだけで言えば、アップルとグーグルです。OSとスマートフォン本体と、スマートフォンのソフトウェアを設計していますから。スマートフォンで何に時間を使っているかという話になると、ユーザーが主に時間を費やしているFacebookとYouTube、Snapchat、それからInstagramですね。

NT:そうして、この大きな議論が生まれたわけですね。次はどう広げていきますか?

TH:4月のTEDトークは、あの場にいた観客だけに話をしましたが、いまはネットで同じものが見られます。主にテクノロジーについて、根本的に変えていかねばならない3つの点を提示しています。でも、変革を理解する前に、問題を理解しなくてはなりません。

繰り返しになりますが、問題はわれわれのマインドが乗っ取られていることなんです。人が何にアテンションを示し、何に時間を使うか、システムの誘導は高度になる一方です。例えばSnapchatには「Streaks(ストリーク)」という機能があって、これがユーザーの心をがっちりつかみ、つながっている友だち全員と毎日メッセージのやりとりをせずにいられなくしています。

YouTubeやNetflixでも、次の動画が自動再生されるせいで延々と見続けてしまいます。知り合いがいつログインしたとか、誰かがこっちのプロフィールを閲覧したとか、いろんな通知が人の様子を知らせてくるので、すべて見渡していなきゃ──という気持ちになるのです。

そもそもこの乗っ取りの前提には、人を主体的行動から遠ざけるということがあります。人がシステムを使うよりも、システムが人の直感を動かすほうが巧みになっているんです。

こういうのに四六時中、自分を操縦させないでいるのは大変な労力が必要ですよ。だから考えるべきなんです。現代のアテンション・エコノミーと、ぼくらの脳に対する大規模ハイジャック行為を、どう変えていけばいいのか。そこで3つの変革が必要だという話になってきます。

NT:なるほど。具体的には?

TH:最初のステップは自己認識を変えることです。人はたいてい、「他人は流されやすいかもしれないけど、自分は大丈夫だ」と思っています。自分は賢いほうの部類であって、ほかの人たちが思考を操られてるだけだ、と。

だから、まずは理解しなくてはならないんです。ぼくらの心と肉体を動かすのは、数百万年前につくられ進化する“ハードウェア”であるということ。そして、その心と肉体を通じて世界を体験しているということ。一方で何千というエンジニアや、われわれがどう反応するかを完全に把握する詳細なデータに対抗しなければならないということもね。

NT:それはご自分でも感じているのですか。先週末にわたしが連絡をとろうとしたとき、あなたはスマートフォンの電源を切って森で過ごしていましたね。この場合、主導権は自分にあると思いませんか。

TH:もちろん、すべてオフラインにできるならね。でもそうでないときは、世界を代表する頭脳がぼくたちの主体性を損なわせようとしてるんだ、と心得ていなくちゃならない。

NT:だからステップ1はそれに気づくこと、というわけですね。IQの高い人たちがグーグルで働いていて、意図的にせよ、そうでないにせよ、ユーザーの脳を乗っ取ろうとしていることに気づけ、と。わたしたちはそれがわかっていないのだ、というわけですね。

TH:そうです。そのことははっきりさせておかないと。YouTubeでは100人のエンジニアが、次も見たくなるような動画が自動再生されるよう策を凝らしています。こうしたエンジニアの腕前は磨かれる一方です。ぼくらはその腕に対抗しなくてはなりません。こちらの意思の力を遥かに上回るパワフルなシステムなんです。しかも、そのパワフルさは増す一方ですから。自分の反応は本当は自分で選択したものではないと、まず理解する必要があるんです。

NT:その境目はどこにあるのでしょう。わたしもときどきInstagramを使うという選択をします。自分にとって大きな価値があるという理由で。あるいはTwitterを見るという選択をします。絶大な情報源であるという理由で。そして、友人とつながるためにFacebookにもアクセスします。

どの段階で、わたしは自分で選択することをやめているんでしょうか。どの段階で操られているのでしょう? どこまでがわたしの選択で、どこからが機械の影響を受けているのですか?

TH:それは本当に重要な疑問ですよね。最初に、乗っ取られるのは必ずしも悪いことじゃない、という点も言っておきます。ぼくたちにとって有意義なかたちで時間を使えているなら、それは喜ばしいことですから。テクノロジーに反対というわけじゃないんです。人は常に何かに促されて生きているものですし。ただ、アテンション戦争の前提には、ぼくたちのためにではなく、ぼくたちの注意を奪うためにそのスキルが増していくということがあります。

「これを楽しめ」と言われたものを、ぼくたちは楽しむかもしれませんし、自分でそれを選択した気にもなるでしょう。例えば、次の動画がロードされたかどうかを忘れて、見た動画に満足する。でも実際のところ、その瞬間にあなたは乗っ取られていたんです。

あなたがYoutubeで次の動画を見続けずにはいられないようにしている側というのは、それが深夜2時だろうが、あなたが寝たいと思っていようが、そんなことは知りません。こうした人々は、あなたの味方じゃない。ただ、ユーザーがそのサーヴィスを長時間使い続けるために仕事をしているのです。

Tristan Harris

トリスタン・ハリスは、さまざまなカンファレンスで「有意義な時間」の重要性を語っている。写真は2018年5月のテクノロジーカンファレンス「Collision 2018」の様子。PHOTO: STEPHEN MCCARTHY/SPORTSFILE VIA GETTY IMAGES

われわれにとって何がベストであるか

NT:ステップ1はセルフ・アウェアネスでしたね。ではステップ2は?

TH:ステップ2はデザインを変えていくこと。人がどんなふうに誘導されて乗っ取られるかなど、新たな理解を踏まえて、われわれが望まない乗っ取りに気づき、自分が望む生き方ができるように大きく変えていきたいのです。

例えば今日の状況として、スマートフォンを見ればSnapchatの通知が来ていますよね。通知を見なかったら考えもしなかったあらゆる物事を、通知が来たことによっていやが応でも考えてしまいます。Streaksが維持できているかどうか気になって仕方なくなります。頭がそれでいっぱいになるんです。

ひとつに反応したら、ついつい別のにも反応したくなって、それが延々と続くでしょう。20分後には、もうどっぷりYouTubeを見ていたりして。そうやって1日が終わってしまいます。

だから、「なんでこんなことに時間を使っちゃったんだろう」と後悔してしまうようなマインドを乗っ取られる時間をブロックし、それを別のタイムラインに変えていきたいんです。「そう、こんなふうに過ごしたかった」と思えるようなかたちに。

大切にしたいのは時間という資源です。タイムラインが目の前に広がっていると考えてみてください。いまのぼくたちは、テクノロジーがつくり出す最新のタイムラインに引きずられるばかり。操られたタイムラインから、自分らしく流れるタイムラインに、ごっそり入れ替えていきたいのです。

NT:どのようにですか?

TH:先ほども言ったように、デザインがかかわってきます。4月のTEDトークでは、コメントボタンを「会おうボタン」に入れ替えるという案を例に出しました。前回の大統領選のときは、ソーシャルメディアで激論が交わされていましたよね。異論反論、さまざまな意見が投稿されて、その下にコメント入力欄があるわけです。その入力欄が、「ほらほら、なんて打ち込む?」とあなたに呼びかけてくる。それでコメント欄が炎上するわけですよ。

みんなが小さなテキストボックスに意見を書き込みまくって、その流れを見続けずにはいられなくなる。でも結局のところ、小さなテキストボックスに意見を詰め込むわけですから、お互いの見解を歪め合ってしまうんです。当然、イライラと嫌悪感がつのるばかりですよね。

このコメントボタンを「会おうボタン」に入れ替えると考えてみてください。何か異論の多い書き込みをしたくなったとき、「ちょっとこのことを話し合おうぜ」と呼びかけるという選択肢をもつんです。ネットじゃなくて、対面で。その下に「返信」ボタンがあって、じゃあ食事しながら話そう──と、そこで予定を調整できる。異論反論をぶつけることはできます。それも別の場所で、自分の主体的なタイムラインのなかで、です。

20分で20回も仕事を邪魔してくる細切れのタイムラインじゃなくてね。Facebookがそのつどメッセージを送ってきて、その他の通知も入ってきて、結局どっぷりFacebookに浸ってしまう。もう何も手につきませんよね。だから「次の火曜にディナー」というすっきりしたタイムラインに入れ替えて、2時間半の会話をする。そこには、まったく違う一連の体験が生まれます。

NT:でも、食事の約束をして話をするのが、本当に自分の望むことなのか、どうしてわかるのでしょう。対面の会話もしくはヴィデオ会議のほうがチャットより善である、という仮定のもと、今度はユーザー同士の面会を押し付けるまるっきり新しいシステムを打ち立てたわけです。そのほうがいいのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、人の判断か、ソーシャルメディアの判断か、という点は変わっていませんよね。

TH:その通りです。何がベターなのかぼくたちが決める筋合いなのかどうか、という疑問の前に、まず考えてみたいことがあります。そもそもFacebookは、なぜコメントボックスやいいねボタンを推奨しているのでしょう? 賛否両論を議論する最善の方法をデザイナーが検討したんでしょうか? 違いますよね。こうした人々は、そんな疑問には向き合っていません。唯一考えるのは、「人々をこのプラットフォームにいちばん強く引き付けておく方法は?」という点です。

テック業界を「人間にとって何がベストか」という方向へ向き直らせたいなら、ふたつめの疑問を考える必要があります。解決したい物事に対して、どう対処すれば有意義に時間を過ごすことになるか。食事の約束をするというのは、ほんの一例です。みんながみんな、いつでも顔を合わせるべきだとは思いません。

別の例も考えてみましょう。サム・ハリスのポッドキャストに出演したとき、「考えを変えるボタン」というアイデアについて話しました。ちょっと考えを変えてみないか、と誘う機能がFacebookにあったらどうでしょうか。Facebookでは、ユーザー同士の充実した議論で人が考えを変えることはすでによくあるのですから、うってつけだと思います。

プラットフォームをデザインする側の人間は、「どんなときに充実した議論になるか、どんなタイミングで議論をサポートしたらいいのか」と検討するのです。このポッドキャストの配信後、サムのところにもぼくのところにも指摘があって、Redditには「changemyview」というフォーラムがあると知りました。「違う考え方があるならぜひ教えてほしい」という前提で質問を投稿するんです。すごくいいですよね。有意義に使う時間になります。

NT:大手企業やプラットフォームで働くデザイナー全員に、人間にとって何がベストなのかいま一度考えてほしい、ということなのですね。そのことを徹底的に話し合おう、と。人間にとって何がベストなのか、唯一の答えはないのかもしれない。でも、エンゲージメントの確保だけを考えるのではなく、こうした話し合いをもつようにすれば、もしかしたら理想に近づけるかもしれない。そういうことでしょうか。

TH:そうです。

Mark Zuckerberg

フェイスブックは個人情報流出やフェイクニュースの問題などを巡り、批判の矢面に立たされている。写真は2018年4月、米下院の公聴会に出席したマーク・ザッカーバーグ。PHOTO: CHIP SOMODEVILLA/GETTY IMAES

歪んだビジネスモデル

NT:いまのがステップ2ですね。ステップ3は?

TH:3番目は、ビジネスとアカウンタビリティを変えていくことです。広告については真剣に話し合わなければなりません。ひたすら人がスクリーンを見るようにつなぎとめようとするいまの広告モデルは、石炭を動力源としていた時代と同じくらい古いものなんです。いまは広告が新たな石炭なのです。

それは、インターネットエコノミーを下支えするには最高でした。ある程度の経済的成功を成し遂げましたし、確かに素晴らしいことです。けれど、それと同時にネットと文化と政治的な環境を汚染しました。お金さえ払えば誰でも人のマインドにアクセスできるようにしてしまったからです。

特にFacebookでは、大勢を説得して分裂させる力をもったハイパーターゲティングなメッセージを送ることが可能です。それはすごく危険なことなんです。それなのに広告は、企業にユーザーの時間を最大限に奪うことへのインセンティヴを与えてしまいました。ですから、こうしたビジネスモデルを捨てさせなければならないのですが、それに代わるものがいまだにない状態です。

石炭や風力、太陽光などの経緯もそうですけど、仮にぼくらが1950年に戻って「石炭をやめよう」と言ったとしたって、相手にされませんよね。社会を支えるために必要なエネルギーを生産する別の選択肢がなかったんですから。広告も同じことです。「広告をやめなきゃいけない」と叫んだとしたって、サブスクリプションやマイクロ決済では、広告モデルが成り立たせている状態まで(いまのところは)追いつきません。

でも、再生エネルギー技術のあれこれがそうだったみたいに、いまからそこに投資していくなら、いずれは到達できるはずです。それに、ステップ3「ビジネスを変える」が必要である背景として、テック・プラットフォームは今後も影響力を増すばかりなんです。

あなたの思考は今後、ますます詳細に把握される一方です。人をスクリーンに縛りつけておくにはどう説得したらいいか、そのための情報は増えるばかり。プロフィールや投稿を収集し、その人に刺さるキーワードやトピックを特定して、その人の気持ちを映したメッセージを送りつける方法も多彩になるばかりですよね。人に思考させない技術はどんどん高度化していきます。逆行はあり得ません。

いまの世界で唯一の倫理的な説得形式と言えるのは、説得する側の目的が、説得される側の目的と揃っている場合です。スクリーンの向こう側にいる大勢のエンジニアたちには、人をスクリーンに縛りつけることを考えるのではなく、ぼくたちの味方になってほしいと思っています。それを新しいビジネスモデルにするのです。

NT:でも、ターゲティング精度の高い広告は消費者の望みをかなえる手段になる、という点に有力な反論ができるしょうか。わたしがランニングシューズを欲しがってるとわかれば、広告主はランニングシューズの割引クーポンを送ってきます。

TH:そうですね。ここはもうちょっと掘り下げて考えてみましょう。欲しいシューズの広告を送るなという話じゃないんです。広告モデルの話です。「このシューズの広告、気に入った!」となれば、「記事の右側に広告が出ていても別に構わない」と言うでしょう。つまり、広告そのものが問題なのではありません。無制限に人の時間を奪おうとする広告モデルが問題なのです。FacebookやYouTubeやTwitterでは、そこにいる人の時間を奪えば奪うほど、その人がお金を落とす可能性も高くなる。そういう歪んだ関係になっています。

ここでもエネルギーの比喩が当てはまります。エネルギー会社も昔は同じく歪んだダイナミクスでした。できるだけたくさんエネルギーを使ってほしい、どうかタンクが空になるまでじゃんじゃん水を使ってください、どうかエネルギーがなくなるまで電気をつけっぱなしにしてください。あなたが使えば使うほど、われわれエネルギー会社は儲かるんですから。そういう歪んだ関係性だったんです。

でもアメリカでは多くの州で、電力会社の儲け方とエネルギー使用量とを切り離すモデル改革が進んできました。これと同じことをアテンション・エコノミーでも実践していく必要があるんです。人のアテンションを最大限に奪おうとするばかりの世界に未来はないのですから。

データが可能にするもの

NT:こうしたプラットフォームでは、仮想現実(VR)の利用が本格的に広がりつつあります。だとすると、さらに操られたり誘導されたりしやすくなるのでしょうか。

TH:まさにその通りです。だからいまこそ方向転換すべきタイミングなんです。いま現在、すでに20億人のマインドが、この自動化システムに乗っ取られています。パーソナライズされた企業広告やフェイクニュース、陰謀論に人の思考は誘導されているんです。それら全部がオートメーションになっています。システムの所有者側すら、起きていることをすべて把握できていませんし、制御もできません。これは「もしそうなるとしたら」の話じゃないんです。いま目の前で起きている課題なんです。

NT:エネルギー会社の比喩に戻りますが、その行動が変わったのは、国に規制されるようになったからですよね。公共の利益という名のもとで、政府が「これからはこういうやり方で」と指示することが可能でした。でもテック企業の場合、これが当てはまりません。だとすれば、どうやって企業同士が協力して、アテンション確保の制限を取り決めるようにさせられるでしょうか。

TH:そうですね。その話し合いが、いままさに必要だと思っています。EUの規制[編註:一般データ保護規則(GDPR)のこと]に押されるかたちになるのか。それとも、米国の企業が率先して動いて、自己規制を目指すのか。どちらのアプローチにも賛否両論があります。

NT:明日にでもマーク・ザッカーバーグがジャック・ドーシーを呼び出して、こうした企業の最高経営責任者(CEO)たち全員が一堂に会して「OK、それではエンジニアたちに、ユーザーにとって最適なことを考えさせよう。こういう対策をしていくと、われわれ企業間で協定を結ぼう」という話になるのを期待する、ということでしょうか。

TH:それもあります。実際問題、企業が手を結んで自主規制などをしていかなければないでしょうね。でもまずは、ビジネスモデルと、人間にとって最善のかたち、そのズレについて話し合うべきなんです。こういう害がどこで生じてしまっているのか、広告の既定路線から降りるにはどうしたらいいのか、企業間で正直に突っ込んだ議論をしていく必要があるんです。ぼくはその後押しをしていくつもりです。

NT:企業ごとに違いもあると思うのですが、どうでしょうか。アップルとグーグルとフェイスブックには無限の財力があります。こうした企業が方針を変えたいと思うなら、それは大丈夫でしょう。ツイッターは……。

TH:ツイッターは難しいかもしれませんね。でもアップルやフェイスブックやグーグルなら、できるでしょう。

NT:だとしたら、莫大な富を得ている企業は何らかの合意をするけれど、おそらくそれほど金銭的に成功はしていないツイッターやスナップチャットなどの企業は協定に加わらない、ということも考えられるのでしょうか。

TH:そうなんです、そこが複雑なんです。例えば、米国の外で力のある企業をコントロールすることもできません。アップルとフェイスブックとグーグルが協定に合意して、アテンション略奪戦争をある程度自粛したところに、「微博(ウェイボー)」がやってきて全部かっさらっていくとしたら、どうなるでしょう。海外との調整も考えなくてはなりません。

可能性としては、ふたつあります。ひとつは規制です。残念ではありますが、それも視野に入れなければならないでしょう。

もうひとつの可能性ですが、実はこれはアップルにとっての機会になります。アップルはそうした変化を起こせる会社です。そのビジネスモデルはアテンションに依存していませんし、アテンションを獲得したがる企業の土俵を定める立場にあるからです。アップルが自らルールを決めています。政府みたいに、と言いたければ、それでもいいかもしれません。アップルがほかのみんなのルールを規定し、競争の通貨を定めています。目下のところはアテンションとエンゲージメントが通貨です。

「App Store」では、ダウンロード回数や利用量に応じてランキングがつくられています。そのアップルが「通貨を変更します」と言って現在の競争をやめ、生活のさまざまな場面で役に立っているかどうかを競うものへと入れ替えたら、どうでしょうか。アップルはそれができる稀有な立場にあると思うのです。

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アップルは、アプリの利用状況を確認・管理できる機能「スクリーンタイム」を「iOS 12」から搭載している。IMAGE COURTESY OF APPLE

NT:あなたが立ち上げた非営利団体Time Well Spentは、「Moment」というアプリと手を組んでいますね。スマートフォンアプリの使用時間を計測するアプリです。その時間の満足度をユーザーに尋ねる機能も付いています。アップルがこのデータを利用するか、もしくはこれと似たような機能を独自につくって、毎日の終わりにユーザーの満足度を聞くことができるかもしれませんね。ユーザーの満足度が高いアプリをApp Storeのランキングで上位にするとか。

TH:そうです。アップルにできるささやかな工夫のひとつですよね。アップルはゲームチェンジする力をもっています。App Storeにおける勝ち負けの意味をひっくり返すことができるんです。ダウンロード数の多さだけで競わなくなります。

NT:ほかにアップルができそうなことは何でしょう。

TH:ホームスクリーンのデザインのあり方を変えることでしょうね。それから通知も。アップルが条件を決めているのですから。いま現在は、朝目覚めた瞬間から、すべてのアプリがあなたの注意を引こうと自己主張してきます。朝の瞑想アプリと同じくらい、NetflixやFacebook、YouTubeのアプリも、朝からアクセスさせたがる。そこにゾーニングルールがあったらどうでしょうか。

アテンション都市に区画をつくって、朝の時間は朝の時間、夜の時間は夜の時間、外出中は外出中と、スクリーンの使用時間を区切るんです。起きたときは、モーニング用ホームスクリーンになっていて、起床に役立つアプリだけが出ています。もしかしたらアプリゼロってことになるかもしれません。昔みたいに「開店時間は10時、それまで店は開けません」っていう感じです。

いま現在はそういう設定にはできません。かといって、別のアプリ市場があるわけでもありません。ホームスクリーンと通知に違うルールを採用した場所が、ほかにあるわけじゃありませんよね。だから、アップルがいい仕事をしてみせるか、もしくはゾーニングできる別の選択肢との競争を生み出すか、どちらかになるでしょう。そうすれば、われわれにとって何が本当によいことなのか見極めていくことができます。

NT:しかし、いまのところは、そのようにしていくインセンティヴがありません。企業にとっては、ユーザーにできるだけ多くの広告を見せて、できるだけ儲けて、株主を喜ばせて、しかも最大限にユーザーデータを確保できるのですから、とにかく四六時中アプリを使わせたいですよね。

TH:データについて議論するのはやめて、「データが可能にするもの」について議論していくべきだと思うんです。データは人を説得することが可能です。例えば、ぼくにデータがあれば、何があなたの心を動かすか正確にわかる。そしたら、あなた自身が自分がターゲットにされたことにも気づかないうちに、あなたのマインドを誘導することができます。

世界はすでにそうなっています。さっきも言ったとおり、もはやエンジニアが制御する範囲すら越えているんです。

NT:でも、データはわたしを説得するだけではありません。いちばん早く効率よくA地点からB地点まで到着する方法を調べるときも、データが助けになります。気をつけて使うなら、データはかなり役に立ちます。

TH:もちろんです。だからこそ今回のTEDトークで、「話し合わなければならない」「倫理的な説得と非倫理的な説得を区別するまったく新しい言葉が必要」という話をしました。英語では「操作」「指揮」「誘惑」「説得」のはっきりした使い分けの区分がありません。なんとなく同じことを指す感じで使っていますよね。自分の生活に採り入れたい説得とは何なのか、悪質または不正な説得とは何なのか、正式な定義が必要です。まったく新しい言葉で表現する必要があります。

主な関係者を集めたワークショップで、このことも扱う予定です。まずは外部性とコストを定義します。それから、さらに踏み込んで、倫理的説得と非倫理的説得の特徴について定義します。

公共インフラとしてのサービス

NT:なるほど。例えばわたしが「自分のデータを見てみたけれど、FacebookやTwitterでこんなに長い時間を使わなければよかったな」と感じて、自分でスマートフォンの設定を最適化するとか、アップルが最適化してくれるとか、そういうことができるのかもしれませんね。

でも、わたしがスマートフォンで何をしてるとか、クルマで何をしてるとか、そういう行動データがすべて企業に送信されて、わたし自身がまったくあずかり知らぬところで、そのデータをもとにした何かが開発されたりするのわけです。それがわたしや人間にとって最善となる、そんなシステムを見分けるのは、至難の業じゃありませんか。

TH:この手のサーヴィスやプラットフォームのことは、公共インフラとして考えるべきなのでしょうね。また、こうした問題の解決策には先手を打って、リソースを注げるようであるべきだと思います。例えばあなたがニューヨーク市民なら、あなたが払う税金のうち、どのくらいが警察や地下鉄、道路舗装などに使われているでしょうか。公衆衛生にはどのくらい使われているでしょうか。都市が市民のために円滑に回るよう、多くの税金とリソースが充当されています。市民にとって何がベストなのか検討しながら。それに比べて、こうしたテック企業は「人々にとって何がベストか」という点について、あまりに労力をかけなさすぎだと思いませんか。

Facebookの規模だけ考えても、20億人のマインドに影響を与えてるんですよ。世界の主な宗教の信者よりも多い人々に影響を与える立場なんです。フェイクニュースのような問題には、10人とか20人のチームに対処させるのではなく、もっと本格的に取り組まなくてはなりません。ネットいじめ、過激なコンテンツ、フェイクニュースなど、そういう問題の対策には、もっと人材を投入すべきです。

NT:この問題に多くの人に注目してほしい、ということですね。企業は問題の特定にもっとリソースを注ぎ、問題について透明性を維持してほしい、と。ユーザーを動作主体にすることや、主体性の欠如に気づけるようにすることに対して、もっと注力してほしいのですね。

TH:そうです。

NT:でも、その戦いに挑むあなたにとっての最大の武器も、ソーシャルメディアです。その武器に縛られるな、という主張をどうやって通すのですか。

TH:そこはぜひ考えるべきところですよね。それは別の問題ともかかわってきます。ソーシャルメディア・サーヴィスは事実上、ニュースを独占する立場です。仮にそうしようと思えば、誰にも気づかせず、ぼくの意見を握りつぶすことだって可能です。この記事を誰も読まないようにしてしまうこともできるでしょう。そうさせないためにも、ソーシャルムーヴメントを起こそうとしているんです。こういうテーマに関心をもつ人たちが互いにシェアして、その連携が広がっていくように。

20億人のマインドが乗っ取られている現状は深刻な問題であると、認識を一致させなければなりません。そんな一致は偶然には起きませんよ。ぼくらが議論し合いながら、企業側に変革を迫っていく必要があるんです。

NT:いまのは締めくくりにふさわしい意見のように思います。何かほかに、『WIRED』の読者に伝えたいことはありますか。

TH:大事な部分はお伝えできたと思います。この問題について話し合いの場をもったり、支援したり、賛同したりすることに興味があれば、ぜひTime Well Spentに連絡して活動に参加してもらえればと思います。


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概念の「結び目」をつくる、「インターフェイス」を意識する──SFプロトタイピングが示唆する、未来の生み出し方【後編】

プロダクトデザインに留まらず
多岐にわたったデザイン領域を手がけている
ソニー クリエイティブセンター。
常に、先進的で、斬新で、アメイジングな
アウトプットを要求される日々を送る彼らだが
そのクリエイティヴィティの源泉の一端を担っているのが
デザイナー自らがいま世界で起きていること、
最新のトピックスやカルチャーをリサーチし、
未来の方向性を考える『DESIGN VISION』の活動だという。
そんなDESIGN VISIONのメンバーが注目しているのが
「SFプロトタイピング」だ。
気鋭のSF作家・津久井五月との邂逅によって
DESIGN VISIONチームは何を得ることになるのだろうか。

前編はこちら

【※記事アンケートにご協力お願いします】

「SFプロタイピングを国をテーマに実践してみる。」

尾崎 前回のお話を受けて、世界観のようなもの、その世界観を補強する年表、そしてちょっとした地図を用意しました。そこからストーリーをつくる、というフェーズには1週間ではたどり着けませんでした。ですので本日は、土台となるコンセプトからストーリーへとジャンプしていく際に、どのように考えていけばいいのか、ヒントをいただければと思います。

津久井 一緒に考えていく感じですね。よろしくお願いいたします!

尾崎 まず、国家の資格条件を少し調べてみたのですが、永続的な住人、明確な領域、政府、あとは他国と関係を結ぶ外交の能力というのが必要条件でした。一見明確なようで、意外と曖昧だなと。今後メタヴァースのようなものが現実化していくときに、こうした条件すらなくなっていくことを想定したら面白いのではないかと思いました。

尾崎 個人的には、国籍というものにあらためて興味が湧いてきたので日本における帰化や永住の仕組みを調べてみたのですが、意外なことに、条件だけを見るとそんなに大変ではないんです。実際には大変だと思いますが、書いてある法律的にはそこまでではない。そこで今回のSFプロトタイピングでは、国籍にフォーカスしてみることにしました。

具体的には、「自分が生まれた地、あるいは血統に基づく国籍とは別に、もうひとつヴァーチャルに国籍をもてることが可能になった世界」という世界観を想定してみました。

大谷 既にエストニアが電子居住権を発行していますよね。現状では電子署名ができたり、銀行口座を開設できるぐらいの機能しかありませんが、将来的にいろいろな権利まで拡張し、やがて国籍のようなものになると仮定してみました。

そうすると、電子移民として「2つめの国をどこにするか」という選択肢が出てくるはずで、国が競争するようになるのではないかと。

尾崎 ただしそうした「電子的な世界」は、従来の国よりもGAFAやBATみたいなグローバルデジタルプラットフォーマーのほうが実力があるので、最初は業務委託というかたちで彼らに委任し、オンライン上の公共サーヴィス等々を提供していくことになるのですが、それがだんだん形骸化し、最終的にはグローバルデジタルプラットフォーマーが、ある種の電子国籍を運営する主体となっていく世界……というものを描けたら面白いなと。

大谷 電子国籍を選択する際の競争軸になってくるのが、利便性や優遇政策やコスト、あとはガヴァナンスの形態も重要だと思います。例えばとある巨大SNS運営会社が国を運営するとなった場合、民主的にガヴァナンスするといくら公言したとしても、やはり、CEOのある種の独裁制にもなりえるので、「通貨発行権などは渡したくない」といった感情が当然出てくるのではないかと。

なので、ガヴァナンスを透明にし、民主的な仕組みを入れていかないと支持は得られないだろうと。ただ、それだけだと普通なので、ソニーらしさという意味でも、エンターテインメント性も重要になるはずだという面も加えて、SF的に表現していけないかと考えました。

尾崎 電子国籍取得者に対し、投票権をはじめとするさまざまな権利を与えていく過程においては、対価としていろいろやらなければならないことがあると思います。例えばサイバー上の兵役とか警察みたいなことや、メタヴァースでチート行為を探るプレイヤーみたいなこととか。そうした「役務」をこなし、その対価としてさまざまな権利を得ていくといったことが起きるのではないかと思い、その過程を年表に落とし込んでみました。

架空の年表
2010年頃~ グローバルデジタルプラットフォーマーの強大化
-国の法人への徴税権の形骸化
2014年 エストニアが電子居住権を提供開始
-電子署名
-銀行開設
-法人登記
2020年~ コロナパンデミックのロックダウンが⻑引き、オンラインでの生活が常態化。
2021年~ 各国がエストニアにならい、電子居住権を提供開始、競争が始まる。
2022年~ 各国が様々な電子上の様々な権利を提供開始
-婚姻証明書の交付(イタリアや同性婚を認めるオランダが人気に。)
-教育の提供を開始
-投票権(義務教育やサイバー上の兵役等が必要)
2023年 北米、中国のテックジャイアントがメタバース上の居住権を提供開始 ロックダウンが⻑引き、メタバース上のエンターテインメントの需要が高まる。
2025年 日本も電子居住権を提供開始
20XX年 新型ゲームプラットフォームの発売と同時にソニーも電子居住権の提供を開始する。 2020年ごろから徹底されていた情報の透明化とInclusiveで⺠主的なガバナンスなど信頼性への 評判が高い。またエンターテインメント企業としての評価が高い。
日本の公式 電子居住権運営業者(State as a Service)の一つとして選定される。
-法人登記: 税金(プラットフォーム手数料が安価で、人気に)
-銀行開設: 傘下の銀行との連動
-婚姻証明: 様々なゲーム、映画などの舞台でリアルな結婚式があげられるために人気に。
-優遇政策: クリエイター、アーティスト、エンターテイナー、若者

※年表は架空の話です。実際のソニーの商品、サーヴィス等とは一切関係ありません。

大谷 2020年のパンデミック以降、半ロックダウンの状況が常態化して、オンラインの流量がどんどん増えるだろうという想定のもと、いろいろな国が電子居住権を提供開始し、競争が始まる。ソニーも、20XX年の新型ゲームプラットフォームのローンチと同時に日本国からの委任を受けて、電子居住権・電子国籍を提供開始する……ということがありうるかもしれないという想像です。

尾崎 エンターテインメント企業ということで、アーティストやクリエイターたちに人気が出るのではという想定です。一応、主人公はアメリカ国籍のアンディという男性で、ソニーの電子国籍を得るために、東北の小学校でeスポーツの体育教師として3年間オンラインで就労し、無事権利を得る。その後アンディは様々な課題に直面するが、なんとかそれに立ち向かっていく。その様々な経験を通して、アンディは更に民主的で新しいエンターテインメントを楽しめる国を自ら作り上げることを志向するようになる……というストーリーを描きたいなと。

こうした設定をベースにストーリーを考えようとしたのですが、そこで行き詰まりました(笑)。

津久井 ぼくも昨年エストニアに行きましたが、エンタメが少なそうな国ですよね。街中を歩いていても映画館が1〜2つあるくらいで、遊べそうなスポットが少ない印象でした。実際、「週末はリラックスする」「サウナに入る」みたいなことを現地の人は言っていました(笑)。

津久井 エストニアの電子居住権は、制度的には魅力的に聞こえますが、企業を設立する目的がある以外は、あまり取っても仕方がないなという印象です。なので、楽しみのためとか、ゲームといった窓口があるのは、すごく面白いなと思ってお話を聞いていました。

遊びやエンタメといったことが有力な入り口になっていることには納得感があります。そこを中心におかれているのは、ソニーらしさもありますが、いまの世の中的にもいい切り口だと思います。

尾崎 AIやロボットの普及や、政治もスマートコントラクトで自動化していくと、余暇の時間がどんどん増え、その結果エンタメが人にとってより重要になってくる……ということは本当にあると思います。ホモルーデンスとしての本質に迫るということでもありますから。

なので、いまは企業がエンタメを提供しているけれど、国が権利として提供するという世界も、ありではないかと考えました。

津久井 確かに、結婚をはじめヴァーチャル上でのさまざまな権利を提供し始めたのは、海外だとセカンドライフであったり、日本だとMMORPGであったりしましたよね。それがマンガとかアニメに降りてきて、「この現実ではない別の場所」を目指すとき、ゲームの中っぽい世界への「転生」というのが典型的なイメージになっている最近のカルチャーも、確かに時代的な現象だと思います。

ひとつ、設定をつくるうえでのアイデアなのですが、もし地図を描くとしたら、現実世界の出来事をプロットするのではなく、ヴァーチャルな流入流出の矢印を描いてみるのもいいかもしれません。

現実の地理的な人口分布と、IT企業の本拠地がプロットされている図とは別のレイヤーで、例えば「日本からエストニアにどれくらいのヴァーチャルでの人口流出があるか」を想像する。それによって矢印の大きな流れが見えてくると、主人公はこの世界において、大きな流れに乗っている人物なのか、それとも時代の大きな矢印の流れに逆行する人なのか……といったことが見えてくるかもしれません。

大谷 なるほど。国民意識というのは、そもそもヴァーチャルで実態のないものかもしれませんが、自分が主体的に電子国籍を選ぶとすると、その国が掲げているストーリーみたいなところに共感して、そこの国籍を取るというケースも出てくるのかなという気がします。

津久井 現実世界では、アイデンティティ政治が拡がる一方で、GAFA等が提供しているものは、アイデンティティ的にはフラットで「誰でも入れます」という感じで、UI・UXの質で競い合っていますよね。ゲームはまさに、「こういう体験がしたい」「こういう気持ちになりたい」ということを軸にみんな選んでいると思うので、「どんなアイデンティティの人にでもこういう体験を提供する制度・仕組みですよ」ということを提示するのは、面白い切り口だと思います。

尾崎 従来の国籍は、土地とか血で縛られていると思いますが、ヴァーチャルだと、UXとか世界観とか、アニメや映画の世界の住人になりたい、といったこともあるのではないかと思います。

津久井 IPに紐付いてそれぞれの国ができるということあるかもしれませんね。逆に、ある程度偏ったイデオロギーの人が仲間を集めてヴァーチャルな国家をつくって先鋭化していく、といったこともありうるのかもしれません。それこそQアノン的な価値観でまとまったら、結構な規模になってしまいそうですし。

物語の主人公は、ペルソナからは生まれ得ない

津久井 実際にSF創作に近い作業をされてみて、どういう印象をもたれましたか?

尾崎 世界観というか、何を表現したいのかを最初にしっかりもたないと、ディテールばかり考えてしまうものだなと感じました。いままでの手法だと、商品ありきだったり、来年の市場を考えるということで想像しやすかったのですが、未来をフィクションで考えるとなると、自由度が高すぎてどんどん末端の設定ばかり考えてしまい、一番重要な世界観をうまくまとめ上げられず、難しかったです。

大谷 結局、物語を駆動していく主人公を考えられなかったのだと思います。調査をおこない、「こういうターゲット層のペルソナは……」と絞り込む作業は慣れているのですが、ストーリーをドライヴしていくキャラクターをつくったことははじめてで、とても苦労しました。

津久井 今回の主人公・アンディは、アクティヴィスト的な設定でしたよね。つまり、ある価値観を強くもっていて、それを勝ち取る/勝ち取らないというのがお話の根幹という感じですよね。

尾崎 何かを壊す人がいないと、物語が進まないのかなということで、そういう設定にしたんです。

津久井 主人公の造形を考えるとき、反逆的な人、元々は順応しているけれど何かに目覚めたりする人、というタイプもいるし、順応したままで、そのなかでの悲哀とか面白さを書くということもあると思うのですが、今回の場合、構想した世界像にどう近づいていくかという過程を主人公に負わせているイメージですよね。

仮に電子国籍をソニーが提供するものだとして、権利拡大をし終わった物語のゴールでソニー国がユートピアとして提示されるのか、あるいはソニー国がディストピア的なものになっていて、それに主人公が抵抗する物語にするのか、という論点があるなと思います。

ソニーが提供するディストピア、というのはあまり考えたくないテーマだと思いますが(笑)、その方向はひとつあるのかなと。いま考えている世界像にネガティヴな面を与えることで、そこをちゃんと議論していこうと踏み込んでいくのか、それとも、いまの世界のネガティヴなところを、オルタナティヴな未来で塗り替えようとするのか。

どちらがいいというよりは、どちらかに決めた方が進めやすいという話です。

大谷 現実世界の矛盾を解決するユートピア的な世界を、ソニーの技術やサーヴィスで変えていく、というのが一番わかりやすいやり方だとは思います。

津久井 これはテクニックの話なのかもしれませんが、最後に至るのがユートピアの場合、登場人物は品行方正じゃないほうがいいと思います。「正しい人が、正しいことをして、正しい結果が出ました」ではあまり驚きがありません。むしろ、登場人物はメチャクチャな人たちだけれど、勝手な欲望や妄想が、歴史のイタズラみたいなことを経て、結果としていまの世界に対するオルタナティヴの提示となり、その流れに呼応して企業が考え方を変え、新しいことを提示できた……という建て付けなのかなと。

尾崎 だとすると、以前におっしゃっていた、インターフェイスとなるデヴァイスの創造が重要になってくるのかもしれません。主人公の行動原理は「まあそうだよね」と思えるくらいの動機だけれど、そこにあるインターフェイスが登場することで、この世界のテーマが掘り起こされる、といった感じでしょうか。

大谷 そうしたインターフェイスというかデヴァイスは、最近のSFではどのように描かれることが多いのでしょうか?

津久井 好みに基づく私見ですが、インターフェイスの物理的な大きさや重さはなるべく消し、そのかわりに、インターフェイスがつくる関係性を広く描く、という方向性はあります。例えば、幽霊みたいに見えない媒介者がいて、デジタルなものとフィジカルなものの交感が自然に発生している……という世界観は、いまっぽいのかなと思います。

いまのゲームやエンターテインメントは基本的に視覚文化だと思うのですが、ゆくゆくはゴーグルとかを付ける必要もないし、ヴァーチャルな何かの視覚が直接得られるわけではないけれど、肌感覚でつながっているという感じになるのではないでしょうか。UIがなくなって、純粋なUXだけの状態というか。

物語は「パスポートサイズ」

津久井 先程の国籍の話に戻ると、パスポートをインターフェイスとして捉えてみることもできるかもしれません。「20XX年の新型ゲーム機はパスポートです」みたいなことが言えるとしたら、そのすごいパスポートは、ゲーム世界のインターフェイスでもあるし、現実世界における身分証明とか移動のためのものでもあって……という感じでパスポートを「結び目」にし、ゲームを入り口にしたソニーのサーヴィスと、国籍や名前を証明しなければならないリアルの場面との接点を表現できると面白いなと思います。

スマホのかわりにパスポート(新型ゲーム機)を持っていて、そのパスポートが、ヴァーチャルとリアルの間をいろいろな意味で調停できるデヴァイスになっている、というストーリーはあり得るかなと。

パスポートには「いまの社会の規範」が詰め込まれていると思うのですが、それがもうちょっと柔軟にいろいろな領域に溶け出していくというか。「顔写真ってフィジカルの顔じゃなければいけないの?」とか、「いろいろな顔があっちゃいけないの?」とか。名前にしても、いまは唯一の氏名しかないけれど、ほかの名前もありうるし、性別もそうだしとなっていくと、いまの社会の窮屈さや、それをちょっと変えると現実へのどんな変化が起きて、どんなふうに楽しくなるか……といったことが考えられるかもしれません。

大谷 インターフェイスとしてのパスポート、という視点は面白いと思います。現実世界での利便性を考えると、物理的には消えていく方向なのかもしれませんが、あえてその意味を拡張して考えてみると、想像力が膨らみそうです。

津久井 現実の窮屈さに対して、主人公たちが、パスポートという誰も改造してはいけないものをハックして面白くしていく過程で、世の中を大きく巻き込み、ソニーみたいな企業もそこにいろいろなサーヴィスを紐付けていくことになる……というストーリーはわかりやすいですね。

お話のつくりかたとしては、最初にソニーを真ん中にもってくるというよりは、既存のパスポートに対する不満とか不便に対して、「もっとこうできる」とか「いらない」といった議論が存在し、そこに絡めていく感じでしょうか。パスポートの発展史みたいなものを骨組みにし、まだ不十分だということで、いろいろな企業を巻き込んだもう一段上の発展を描く……ということも考えられますね。

EU(シェンゲン圏)のようにパスポートがなくても移動できるエリアがどんどん拡がっていくなかで、デジタルの身分証明が普通になってパスポートが消えるかと思ったけれど、別のかたちで復活して、むしろeレジデンスカードの機能なども包含していく、みたいな未来があるのかもしれません。

反逆とユートピアの実現みたいな大きなストーリーがなかったとしても、空港でチェックインしたり、銀行でお金を下ろしたりといった、アンディがパスポートを取り出す一連のシーンのなかに世界像が詰め込まれていて、そこでは当然不満も残っているけれど、努力して獲得した権利でもある、ということが表現できれば、SFプロトタイピングとしては十分成立するのではないかと思います。

尾崎 うーん、キレイにまとめていただき、ありがとうございます! 駆け足でしたけど、今回SFプロトタイピングの一端に触れさせていただき、これまでのさまざまなアプローチやフレームワークでは得られることができなかった視点から、ソニーというものを見ることができた気がします。

ペルソナやユーザーシナリオを立てて……といった既存のやり方との違いを学べましたし、SFプロトタイピングという視点で見ることで、ソニーのガバナンスの方式であったり、開発の方式をいろいろ想像できたので、非常に得るものが多かったです。

SF作品としてアウトプットできれば、『DESIGN VISION INSIGHT REPORT』とはまた別のかたちでメッセージを伝えやすくなるという手応えを感じることができました。今後、チャレンジしていきたい領域です。

SF作家の方の想像力にこうして触れられる機会はそうそうないので、とても貴重な機会となりました!

[ Sony Design ]

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