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2021年9月7日14時46分

【元プロテニス選手 藤原里華さん】元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.33-(後編)

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「プロに必要なのは明確な目標設定とクリアする覚悟」
元プロテニス選手、藤原さんに話を聞きました


~第33回目~
藤原里華(ふじわら・りか)さん/39歳
プロテニス選手→コーチ、講演講師

取材・文/斎藤寿子
こだわりを捨てた30代は
テニスがより楽しくできた
高校3年時にプロ転向し、2002年の全仏オープンでは杉山愛さんとペアを組み、女子ダブルスでベスト4に進出した藤原里華さん。

一方、シングルスでの試合で最も印象に残っているのは、2005年の全米オープン1回戦。センターコートで行われたヴィーナス・ウィリアムズとの一戦だ。直前のウィンブルドンを制したウィリアムズに、3-6、1-6と結果的には完敗に終わった。しかし、第1セットの序盤にウィリアムズのサービスゲームをブレイクするなど、大観衆をわかせた快感はなにものにも代え難い喜びがあった。

「この舞台で、チャンピオンと対戦できるという喜びがありました。そのなかで、ところどころで自分の良さを発揮でき、通用する部分も感じることができたんです。と同時に、良いパフォーマンスをし続けることの難しさも感じて、課題もはっきりと見えました。落胆するというよりは、逆にモチベーションが上がった試合でした」

しかし、その後はケガなどもあり結果を出すことができずに苦しい日々が続いた。そんななか、復活を印象付けたのが2011年。全日本テニス選手権で10年ぶり2度目の優勝を果たしたのだ。

それでもやはりケガが多く、2013年には体の限界を感じ、本気で現役引退を考えたこともあった。だが、周囲に相談をすると『やめるのはいつでもできるんだから、そんなに焦ってやめることはない。まずは体を休めてみたらどう?』と言われた。

そこで藤原さんは、約2年間休養にあてることを決意。その期間テニスから離れていたわけではなく、依頼があれば若手の指導を行っていた。そのようななか、けがも癒え再度試合に出たいという気持ちが芽生え始めた。

しかし、同じことをしていては、またケガに苦しむことになる。そこで藤原さんはそれまでの練習方法や考え方を変えた。すると、テニスがさらに楽しくなっていったという。

「20代の頃は“自分のテニスはこう”と、こだわっていて、それでダメならほかに何もできないという感じだったんです。でも、30歳になってからは周囲のアドバイスもあって試合の動画を分析するようにしました。そしたら“なんで自分はこういうプレーをしたのか”“どうすべきだったのか”を考えるようになりました。それまでは相手に効果的ではないのに、自分が強みとしているプレーにこだわり続けることも多かったんです。感情で戦略を決めるのではなく、相手が何を嫌がっているのか、どんなことが効いているのかを冷静に見られるようになりました。

この経験は、私のテニス人生でとても大きかったなと。こういうテニスを知らずに引退をしていたら、指導するにも単にその選手の強みを生かそうと無理やりに指導してしまっていたかもしれません。でも、“なぜできなかったのか”を分析して、どうすればいいかを選手と一緒に考えていくという指導ができているのは、プロ生活の終盤で経験したことが生かされているなと感じています」
すべてのベースは楽しむこと
心がけているポジティブな声がけ
外部コーチとして「すぽっと」で、2歳から小学校低学年までの子どもたちにスポーツの楽しさを教えている
藤原さんは、昨年3月に現役引退を表明し、20年以上にわたるプロ生活に終止符をうった。

「2013年の時には、まだやり残したことがあるけれど、もう体がしんどいからできないという気持ちで引退を考えていたんです。でも、今回はもう十分にテニスをやり切ったという思いがありました。それと、引退した後の世界というものも見たくなったんです」

当初は、パン屋で人生初のアルバイトをしてみるなど、テニスと離れた生活をしたこともあったが、やはりスポーツの現場が一番好きだということを改めて感じたという藤原さん。現在は、渋谷スポーツ共育プラザ&ラボ「すぽっと」で週に2、3回、外部コーチとして2歳から小学校低学年までの子どもたちにスポーツの楽しさを教えている。

また、藤原さん自身がプロになって最初に壁となった英語に、子どもの頃から触れてほしいという気持ちから、英語リズム教育のインストラクターの資格「Rhymoe(ライモー)®」を取得して講師を務めている。加えて、日本人グローバル化計画推進協会(JAGPP)が主催するジュニアアスリート支援プロジェクトにも参画し、世界を目指すジュニアアスリート達へ世界を転戦してきた経験を伝えながら、英語学習支援にも携わっている。

指導者として大事にしているのは、子どもたちに楽しんでもらうことだ。

「スポーツも英語も、熱心な親御さんほど“なんでできないの?”とネガティブな声がけをしてしまって、もともとは好きだったのに嫌いになったという人も少なくないんです。なので、子どもたちには、楽しくなるように声がけをするように心がけています」

加えて、ジュニア世代のテニスのコーチを務めたり、スポンサーであるヨネックス主催のイベントに出席するなど、多忙な日々を送っており、今後もレベルや老若男女問わず、テニスを軸としてスポーツの楽しさを伝え続けていきたいと考えている。
レッスン会を開催し、テニス指導にあたる藤原さん。老若男女問わずテニスの楽しさを伝え続けていきたいと考えている
では、これからプロとして活躍したいと考えている若手や子どもたちにとって、必要なものとは何だろうか。

「私はスポーツのあり方は人それぞれでいいと思っていて、楽しさを追求するのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思っています。ただ、もし厳しい世界で活躍したいというのであれば、プロになる以前から明確な目標をもち、それを一つ一つ確実にクリアしていくという力を身に付けていってほしいなと思います。プロになると、海外ツアーが続き、試合をこなしていかなければいけません。そうしたなかで、ただ試合をすればいいというわけではなく、きちんと目標を設定してクリアしていかなければ、世界のトップに上がることはできません。

だから、たとえば大学生でプロになろうかどうか迷っている選手に、私はプロになることはおすすめしません。日本でトップに立っても勝てるかどうかわからない厳しい世界。そこでやっていくには、明確な目標と、それをクリアするという覚悟や行動に移すスピードがなければ通用しません」

生き馬の目を抜くような厳しい世界の中で、悩み苦しみながらもプレーし続けてきたことは、藤原さんにとって自信でもあり誇りでもある。苦労が多かった分、酸いも甘いも経験してきた藤原さんだからこそ、ジュニア世代に伝えられることは多くある。これからはその経験値を十二分に生かして、さまざまなスタイルのスポーツの素晴らしさを伝え続けていくつもりだ。


(プロフィール)
藤原里華(ふじわら・りか)
1981年生まれ、神奈川県出身。高校1、2年の時に全日本ジュニア18歳以下で2連覇し、高校3年時(1999年5月)にプロ転向。ダブルスにおいて全仏オープンベスト4、全豪オープンベスト8を達成、シングルスでも全ての四大大会で本戦出場。全日本選手権では、シングルス・ダブルス計6度の優勝を挙げる。20年間の現役プロ生活で11年間日本代表として活躍。2020年3月に現役を引退。現在は、後進の指導やテニスの普及発展に努める他、小学校での講演活動など、自身の経験を子どもから大人まで幅広く伝えている。

※データは2021年9月7日時点
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