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2021年8月31日14時05分

【元プロテニス選手 藤原里華さん】元アスリートが語るスポーツの仕事「やる」から「つくる」へ -Vol.33-(前編)

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「友だち作りに始めたダブルスで再びテニスが楽しめるようになりました」
元プロテニス選手、藤原さんに話を聞きました


~第33回目~
藤原里華(ふじわら・りか)さん/39歳
プロテニス選手→コーチ、講演講師

取材・文/斎藤寿子
15歳で立ったウィンブルドン
プロになって戻ってくることを決意
テニスクラブのコーチを務めていた両親の影響で、小学1年生からテニスを始めた藤原里華さん。親が指導していたスクールのコートの片隅で、ラケットとボールで遊ぶのが楽しく、自分もやってみたいと思ったのがきっかけだったという。

最初は友だちと一緒にやれることに楽しさを感じていた藤原さん。そのうち徐々に『うまくなりたい』という気持ちが強くなり、練習にも熱が入るようになっていった。すると母親から「楽しくテニスをやりたい? それとも練習は厳しいけど強くなりたい?」と聞かれた。小学1年生の藤原さんは、

「練習が厳しくても、うまくなって強い選手になりたい!」

と即答した。その言葉を聞いた母親は、テニススクールに通わせることを決意。藤原さんの競技人生がスタートした。初めて達成感を味わったのは、中学2年生の時。14歳以下が出場する全国選抜ジュニア大会で初めて優勝した瞬間だった。

「一つ大きな山を乗り越えられたという感じがしたんです。同世代で一番になれたことで、自分に初めて大きな自信がつきました」

その優勝をきっかけに日本代表として欧州遠征のメンバーにも入り、少しずつ海外にも目を向けるようになっていった。そして翌年、中学3年生の時には全国中学校体育大会で優勝。藤原さんは注目のジュニア選手として将来を嘱望される存在となった。

さらに大きな経験となったのが、高校1年生の時に出場したウィンブルドンジュニア選手権。実は当初、藤原さんの世界ジュニアランキングには出場に届いていなかった。ところがアジア人選手の一人が欠場することになり、欧州遠征で結果を残していた藤原さんが急遽、出場することになったのだ。

「最初は信じられませんでした。いつも冗談を言って笑わせてくれるコーチだったので、なおさら“嘘でしょ”と思っていたんです。でも、本当に出られるということがわかって、本当にうれしかったです。当時ちょうど芝の大会で好成績を残していて、ウィンブルドンでも初戦でシード選手を破って、結局3回戦まで勝ち上がることができたんです。また、プロの選手たちが出場する大会の2週目にジュニア選手権が行われるので、大観衆の中で試合をするんです。とても貴重な経験でしたし、“将来、必ずプロになってこの場に戻ってきたい”と強く思いました」
洗礼を浴び続けた日々
救ってくれたのはダブルス
Photo:Isami Itoh
そして翌年、高校2年生になった藤原さんに大きな転機が訪れた。全日本テニス選手権での初戦で、第1シードの佐伯美穂さんを破る大金星を挙げ、最終的には4強入りを果たした。当時の佐伯さんは、全仏オープンで3回戦に進出したほか、全ての四大大会に出場し世界で活躍。藤原さんにとって憧れの存在だった。

「ドローが決まって初戦で佐伯さんと対戦することがわかったとき、“よっしゃぁ!”と思いました。勝敗ではなく、そんな強い選手とやれるなんてとワクワクしたんです。そういう精神状態の時って、勢いがあって強いですよね。17歳で失うものは何もなかったですし、挑戦者として思い切りぶつかっていけたのが良かったです」

この大会での活躍をきっかけに、1999年5月高校3年生でプロに転向。だがプロ生活は想像以上に厳しかった。1年間コーチとともに海外ツアーを回ったが、まったく結果が出なかったのだ。そんなある日、アメリカ遠征の途中でコーチから帰国を提案。実際、藤原さんはテニスを嫌いになりかけていた。

「結果は出ないし、体はきついし、言葉が通じない海外での生活に疲れ切ってしまいました。あれだけ楽しかったテニスが、ぜんぜん楽しく感じられなくなっていて…毎日のように泣いてばかりいました」

遠征の途中で帰国した藤原さんは、母親に正直な気持ちを打ち明けた。じっくりと話し合いをした結果、母親と一緒にもう一度挑戦することを決意。まず取り組んだのが基礎練習だった。

「プロになって少し意気込み過ぎて結果ばかりを追い求めてしまっていたんです。それで基礎に立ち返ってみたところ、少しずつ今できることと、苦手なことが整理されていきました」
母の提案によりダブルスに取り組んだ藤原さん。その事がテニス人生の転機となった
そして、もう一つ大きかったのは、ダブルスに取り組んだことだった。

「コーチからのアドバイスもあり、強くなるために早く海外に慣れて英語を話せるようになるため、海外選手とも積極的に話をするようにしていて、世界中の選手たちと友だちになりたい!と思うようになりました。そんな私の様子を見て、母が“友だちをつくるためにもダブルスを強くなろうよ”と提案してくれたんです。それでダブルスに力を入れて練習するようになり、結果も出はじめたら、いろんな人からペアを組んでほしいと声をかけられるようになり、モチベーションアップにもつながりました」

2002年の全豪オープンでは、浅越しのぶさんに声をかけられ、ペアを組んで女子ダブルスに出場。ベスト8に進出し、当時世界のトップに君臨していたマルチナ・ヒンギスとアンナ・クルニコワという強豪ペアと対戦するステージにまで上り詰めた。

さらに、同年の全仏オープンでは杉山愛さんとペアを組み、ベスト4に進出。年間上位ランキングの選手のみが出場できるWTAツアーファイナルにも出場しベスト4。その年、藤原さんはダブルスで世界ランキング13位に浮上する躍進を遂げた。(前編終わり)


(プロフィール)
藤原里華(ふじわら・りか)
1981年生まれ、神奈川県出身。高校1、2年の時に全日本ジュニア18歳以下で2連覇し、高校3年時(1999年5月)にプロ転向。ダブルスにおいて全仏オープンベスト4、全豪オープンベスト8を達成、シングルスでも全ての四大大会で本戦出場。全日本選手権では、シングルス・ダブルス計6度の優勝を挙げる。20年間の現役プロ生活で11年間日本代表として活躍。2020年3月に現役を引退。現在は、後進の指導やテニスの普及発展に努める他、小学校での講演活動など、自身の経験を子どもから大人まで幅広く伝えている。

※データは2021年8月31日時点
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