323話 懐かしき顔ぶれ
燦燦と太陽が輝く善き日。
遠くでは学生たちと思われる声が幾重にも重なって聞こえる中で、ペイスは男と向き合っていた。
「校長、説明を願います」
「話せば長くなるので結論からいえば、我々学校側の決めた人員を、卿に同行させてヴォルトゥザラ王国に連れて行って欲しいのだ」
校長からいきなり告げられたのは、王子殿下の隣国訪問について。一部の教官と学生を、モルテールン家に同行させて欲しいというものだった。
モルテールン家の人間が王子殿下の使節にくっついて隣国に行くということ自体は、噂にもなっていることなので調べるまでもなく耳に入るだろう。
「お耳がよろしいですね」
「そうでもないよ。しかし、卿が同行することは聞いた。協力して欲しい」
しかし、そもそもペイスが行くのはおまけのおまけ。神王国使節としての王子殿下を護衛する第一大隊の、隊長を補佐する為に同行するのだ。
ペイスが自家の料理人を同行させるのは、モルテールン家の内部での事情だろう。そもそも貴族が出向くのに、単身という訳にもいかないので、従士を従えるのは常識だ。
というより、軍事行動の際に騎士に従って諸々の雑務を行うからこそ従士と呼ぶのだ。料理人も、大きく括れば騎士を世話する職業。神王国において、騎士は最上位の身分階級であり、貴族は全員例外なく騎士だ。
貴族号を持つペイスも勿論騎士であり、騎士たるペイスを世話する為に何人かが付き従うというのは大義名分も有ろう。
しかし、校長の申し出は違う。はい、良いですよ、と簡単に頷けるものではない。
「学校の人員が使節に同行する意義はありますか?」
「外国で見分を広げる人材が増える。しかも大国ヴォルトゥザラ王国でとなれば、国益にも資するだろう。これは、私としては是非ともやりたいことだ」
外交を専門とする校長は、学内の改革を推し進めている途中にある。
ペイスを抜擢したのもその一環。何か問題が有れば暴力で解決しようとする脳筋や、理論だけ並べて現実を見ない理屈屋が多い今の学内。全てにおいてバランスを重視し、暴力でなく言葉で問題を解決し、時に理屈でなく心情を慮って解決に当たれる人材を育成したい。それが、校長が自分に課している課題であり、公言している目標だ。
要は、外務に親しみ、外交に理解を持つ人材を増やそうと企んでいる。
「なるほど、おっしゃりたいことは分かります」
「将来を背負って立つ人材を育てる。これは、教育者の本義だよ」
今、近年稀に見る大規模な使節団が、これまた珍しく大国ヴォルトゥザラ王国へ出向くというのだ。外交官としてみるならば、ここで使節に加わって見識を高め、何ならヴォルトゥザラ王国の中に人脈を形成すれば大きな財産となること疑いようもない。
しかも、使節団には校長が目をかけているモルテールン家の御曹司が加わるという。
これはいい機会だから、是非とも使節団に学生や、教官たちを加えたい。
校長としても、ここで軍務閥や内務閥ではあり得ない人材育成を見せられれば、自分の評価にも繋がる。
協力して欲しいと、辞を低くする校長。
「簡単に頷けませんね。そもそも、学園関係者を使節に加えたいというのなら、王子殿下に直接、或いは陛下に奏上奉るのが本来の筋ではありませんか?」
「それはそうだが、今回の使節派遣がそもそも無理押しでな。これ以上我々の
「……派閥の事情ですか?」
「卿の慧眼には恐れ入る」
明言を避けつつも、その通りと暗に匂わせる校長。
元々今回の使節派遣には、色々と胡散臭い部分も多い。
例えば、祝辞の使節には、他の国が国賓級の最上位使節を送るという情報を得ていること。
隣国を仮想敵国とみなし、いつ何時軍事侵攻があるか分からないと気を張っている軍家閥のあずかり知らぬところで、念入りに張り巡らされているはずの諜報網に引っかからないうちから情報を得ている人間が居た。
これはどう考えても隣国からの意図的な
外務閥としては、更に王子の派遣と、それに付随する各種の功績を独り占めする気だろう。
校長は、外務閥に属する。
本来であればこの功績の恩恵を受けても良いはずだが、そこは更に複雑な政治事情が絡む。
そもそも、この校長の立場。
校長という職にあることから分かるように、外務閥の主流からは少し外れたところに居る。ならば非主流派なのかといえば、そうでもない。外務閥としては十年に一度有るかないかの絶好のポストであることは事実だ。
将来の人材を確保するというお役目から、全く疎外されているわけでも、或いは閑職でも無いのだが、そうは言っても余禄の少ない地味で面倒な仕事でもある。
つまり、主流派の中では非主流派という立場。実に分かりにくい、微妙な立ち位置である。
軍務閥であれば、軍人としての階級がそのまま派閥の力関係になる為分かりやすい。ピラミッドの頂点がカドレチェク家で、その下に幾つかの派閥内派閥があるといった具合だ。上位の派閥は、下位の派閥を完全に従える形になる。
一方、外務閥は軍務閥ほどピラミッドがはっきりとしない。勿論、外務尚書をトップとしていることは間違いないのだが、外務尚書であったとしても専門分野ごとに中心となる幾人かには気を使わざるをえない。
外国や貴族同士の人付き合いが外務の主たる仕事である以上、どうしたって人間の好き嫌いが出てしまう。
例えば外務尚書と不仲な人間Aが居るとする。このAと仲の良い外務貴族Bが居た場合、外務尚書はBと仲たがいが出来ない。Bとも不仲になってしまうと、同時にAとのパイプすら失ってしまうからだ。
外務閥は、どうしても派閥としての纏まりが曖昧になる所以である。
校長も、本来であれば主流派に属しているはずだ。しかし、その割には若干疎まれて微妙なポジションに就くことになった。
疎まれ気味でありながら、主流派という不思議な立場は、外務閥独特の環境だろう。
早い話、派閥内で都合をゴリ押し出来るほどの影響力が無いのだ。
王子殿下の使節派遣で、外務閥全体に色々と負荷がかかった。その中で、校長自身の我がままを押し通す程、余裕があるわけでは無い。
「カドレチェク家に同行を申し出てはどうです? 寄宿士官学校ならば、軍人にも面識のある者は多いでしょう」
「……これ以上、カドレチェク家に借りを作れないのだ」
「それも、派閥の事情ですか?」
「察してもらいたい」
寄宿士官学校は、本来の意味からいっても軍家と極めて縁の深い場所。
高級軍人を育てるための学校が士官学校なのだから、当然だ。
カドレチェク公爵家は、現下において軍家のトップ。伝手というなら幾らでもありそうなものである。
しかし、校長はそれが出来れば苦労しないと苦笑した。
学校運営においては軍家筆頭たる公爵家の協力は必要不可欠。しかし、職について日が浅い校長は、何かと公爵家に借りを作り気味なのだという。
学校の運営にどうしても必要なことならば、借りを作ってでも為すべきことを為すと覚悟も出来るが、今回の様に“やらなくても問題ないこと”の為に借りを作るのは拙い。いざという時に借りを作ろうとしても“前の借りを先に返せ”と言われれば運営に行き詰まるからだ。
「それで、僕にまで話が下りてきたと……」
「卿であれば、実績もあるし、外務についても理解が有るだろう。教導役という立場もある故、引率としての名分もたつ」
そもそもペイスを“教導役”などという聞きなれない立場にしながらも、飼い殺しの様に手放さなかったのはこういう時の為。
外交官としての極めて高い適性を持ち、外務に深い理解を持って実務をこなしているにも関わらず、立場は領地貴族の軍家という使いやすさ。しかも、学生たちにとっても年が近い。
学びという点では、ペイスが引率して面倒を見てくれれば、ヴォルトゥザラ王国において学生たちは一生の財産とも言うべき経験と人脈を作れるだろう。
「つまり、外務閥の今後の為に、僕に協力せよと」
そして、ペイスが苦労して人材を育てれば、その評価と功績は校長のもの。
勿論ペイスとしても評価がゼロにはならないが、学生派遣まで決めた校長の功績が主として見られるのは仕方がない。
何とも自分勝手な都合だと、少し不満そうな顔をするペイスだが、校長は態度を変えたりはしない。
「いやいや、そのように邪推されては困るな。あくまで我が国の為、教育者として陛下のお力にならんとする赤心からだ」
「はあ」
何かある。
ペイスの勘がそう囁いた。
校長とて外務を齧った人間だ。交渉相手をただただ不機嫌にさせたり、自分だけが利益を貪ろうとする交渉が上手くいくはずの無いことぐらい承知しているはず。
ならば、自分に対して有効な“交渉カード”が有る。そうペイスは察したのだ。
目の前の少年が、自分の“交渉材料”に思い当たったと気付いたのだろう。
校長は笑顔になる。
「前向きに検討してもらえそうかな?」
「……話を全て聞いてから判断するしかなさそうです。お話の概要は分かりましたし、僕がやるべきことも理解しました。後は“誰”を連れていくかによります」
「では、学生は我々が選んでも良いのかな?」
「僕としては、異存有りません」
校長は、一層の笑みを深めた。
この、察しの良さこそペイスを気に入る理由なのだ。
交渉事とは、こうでなくてはと、気分も良くなる。
「では、早速呼んでこよう」
軍人らしく、すっと立ち上がり、部屋を出ていく校長。
学校のトップが自ら学生を呼び出すというだけでも、この件に関する校長の意気込みと熱意が伝わってくるようではないか。
時間にして三十分ほどだろうか。校長は、額に若干の汗を浮かべながら戻ってきた。
かなり急いだであろうことが察せられる。
――コンコン
ノックが部屋に響く。
入りたまえという校長の声に、入室してきたのは学生だ。
数にして五人。
だが、問題はその中の二人。
「マルカルロ=ドロバ訓練生、出頭いたしました」
「同じくルミニート=アイドリハッパ訓練生、参りました」
そこに居たのは、ペイスの良く知る幼馴染たちだった。
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