不登校児の人生と身体障害者の教諭の体裁、優先されるべきはどちらなんですか
もうだいぶ経ちますが、いじめを苦に登校できなくなりそうなった子が通うところとして特別支援学校へ通いました
見学の面談時に担当者から併設された精神科も通院することで医療と連携してサポートしますと言われたので
それを信じて中学3年間通いました、最後の2年間片足の不自由な身障者の担当教諭が私の担当になりました
その教諭とは1年生の頃からよく関わっていたのでそれもあって決められました
その学校で1番関わったのはその人で、私はいじめのことを話したくとも場面緘黙になっていて話せたのも関わり慣れたその担当くらいで、少しずつ伝えていたつもりでした
担当は○○さんはいい子、○○さんは分かってる、そんなに苦しんでるんだからこれ以上苦しむ必要はないなど言われたり、時々旅行のお見上げを貰ったりしました
3年間通って私自身に何か病名がつくことはありませんでした、私は卒業してから自分は健常者なんだ、全く問題ないんだ、と必死に進学先で頑張りました、家庭内の問題や自分自身の問題誰にも話せず、頼れず、押し潰される一方でした
メモや日記に記してそれを誰かに教えればわかるでしょうけどそれもできない問題を抱えてました
私はこの文章の半分も当時自分のことを言葉にして書けませんでした、作文の時間は常に居残りで、
しぶしぶ先生が来週までと言っても書けないまま時が過ぎてその科目の期間が終わるといった具合でした
書きたくても書きたくても他の人がするふうにどうしてもペンが進まずしばらく酩酊状態のようになりました
高校の担任にも話そうとしたりしましたが高校では他の生徒の相手をしなければならずとても時間を割いて話を聞く人なんていませんでした
ましてや精神の話なんて専門じゃない相手に話してはダメだからと人に言われたり躊躇したりで話せるほど慣れるまでに至りませんでした
高校も卒業になり家庭内の問題も更に重圧を増し、半年後押し潰されました
別の病院に通おうともしましたが短くて2週間、もしくは1、2ヶ月の1回5〜10分の間に問診で応えるなんてとても無理で
時間だけが過ぎ診断もつかず、他人から健常者なのに怠けてる情けない人間として過ごすしかありませんでした
ずっと思っていた疑問が一つあり、やっと聞くくらいのことはできるようになったので特別支援学校の元担当に連絡をして聞きました、私が伝えていた私の生きづらさ当時担当医にちゃんと伝えてくれていたんですか?
返ってきたのは一体どうしちゃったの?ちゃんと自分で問題なくよくできたいい子だったのに、など
質問に答える様子なく、そのようなことはなかったという回答でした
メールで数回、「メールだとよくわからない、伝達の齟齬が生まれる」というので直接支援学校で私が1人向こうが元担当と別の教員の2人での中話すことに元担当「久しぶりじゃない。立派になって。一体どうしたの?何のこと言ってるのか意味がわからないよ。あんなに元気でいい子だったのに。」別の教員「元担当は親御さんが今年病気して大変で、元担当さんも今年大病して大変なんだよ。あんまり責めないの」などと言って同じようにはぐらかされて逆にこちらが悪いかのように言われました
許せませんでした、こんなことが続いてるということは同じような苦しみを後輩たちも味わってるであろうこと考えただけで殺意がわきました
それでその元担当に一通送りました
そのような卑怯な真似を直ちにやめないなら「お前の首切断して職員室に投げ込んでやる」と
今思えば当たり前ですが元担当が警察を呼び脅迫したということでうちに6、7名来ました、最寄りの署で事情聴取、1時間もしないうちに当時通っていた精神科の閉鎖病棟へ入れられました
その入院中色々な人に口々に何度も言われました「あの先生の何が悪いんだ、何も悪くない、優しい先生じゃないか」
担当医には「他の患者があと詰まってて早く退院して欲しいんだよねー」いつまで入院続くんですか聞くと「私が大丈夫だと判断したら出します」少しでも担当教諭の件でこちらの言い分を言えば「それだと退院は難しいな」と
スタッフ全員にもその元担当教諭のことを言おうものなら鍵を閉めて出るということを半年以上続けられました
それを考えることをただただ否定され、許せないことは許せないまま、黙ってなければまたぶち込むという対応をされました
退院したあとも色々ありましたが、私は世の中の無差別殺人のように短絡的に実行しませんでした
それでも今なお元担当教諭や病院は非難されず、私はただの凶悪犯予備軍として何も問題を聞き入れてもらえないんでしょうか?
糖質の妄想にしか見えないんだよね