お客様より「五代目神田伯山先生について知っていることを書いたらどうか」というお勧めがあり、
大したことは書けませんが手元に資料がある限りしばらくの間お付き合いください。
思えば弊社の「神田伯龍独演会」には多くの「伯山会(伯山先生の後援会)」残党(と言っては失礼ですが、元伯山会のメンバー)がお見えでした。色々貴重な資料も頂戴しました。
残念ながら光陰矢の如し。そうしたお客様とお目に掛る機会も無くなりました。
ご意見、ご教示、ご批判大歓迎でございます。ご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いします。
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五代目神田伯山(明治31年4月27日生*誕生日に諸説あり~昭和51年11月4日没)
本名:岡田秀章
五代目神田伯山残照3
2020年2月より神田松之丞さんが六代目神田伯山を襲名します。
弊社の神田伯龍独演会連続券でお越し下さっていた青年を良く憶えております。17,8年前のことです。
その方が現松鯉先生の門下となって講談師になったことは後で知りました。
講談神田派の大名跡である伯山がなぜ44年間空席であったのか。
三代目から五代目の間のブランクは25年だったのでその倍近い期間です。
それはひとえに神田派直系の門人で該当者が居なかったからです(系図ご参照)。
五代目神田伯山先生没後で神田派直系の講釈師で存命なのは、六代目神田伯龍(当時神田伯治)、八代目一龍齋貞山(当時神田伯梅)、二代目神田ろ山、三代目神田ろ山、神田昇龍(神田松山→一龍齋鏡水→一龍齋貞一から最後は六代目伯龍門下)のみです。
伯治は師匠の名前の伯龍を継ぐのが筋で、伯龍は元来伯山の師匠の名前なので、伯龍で充分。伯山になるつもりはない。二代目ろ山は半引退から病没。三代目ろ山も意外に早く没しました。
伯梅は将来的に実父の名前貞山を継ぐ意向があり、実際そうなった。これは一龍齋の最高位の名前故に神田に戻るのもおかしい。
昇龍は、名前も預かっているのだから最も該当する者ですが、出たり入ったりで本人も伯山の任に非ずという心境でした。
何を言っているんだ、二代目神田山陽先生一門があるじゃないかという御意見もありますが、山陽先生が小伯山を襲名した際の昭和23年11月の口上書をご覧ください(下記)。
この挨拶に、神田派の二代目神田松鯉、五代目神田伯龍、山田春雄から「畑違い」、「故人の面影を偲ぶというにあらぬ憾み」とまで書かれ、自ら「素人の独り修業」とまで書かされております。
長年大枚を使って講談界に貢献したのに、このことは大変な屈辱であったことと思います。
ですが、講釈師に弟子入りした事実はない上に神田派の誰かに入門した訳でないということは厳然たる事実です。
最初の芸名が、尊敬する六代目貞山と二代目伯鶴から取った浜井(本名)貞鶴。
この名前からもどういう立場からスタートしたかが分かります。
神田松之丞さん(聞き手:杉江松恋氏)『絶滅危惧職、講談師を生きる』(新潮文庫)215ページの記述も曖昧ゆえに、ここに明示致します。大きな影響力を持つ本と思われますので、聞き手の杉江氏には訂正を申し入れ、その確約も頂きました。
それ故に、かつて二代目山陽先生は、小伯山の時に伯龍を継ぎたい意向がありましたが、「伯治(後の六代目伯龍)がおりますので」と五代目伯龍未亡人は断りました。
更に門人に伯山、伯治を譲ってくれと頼みに来られた際にも、それぞれの名跡を持つ者が、「系統が違いますので」とお断りした経緯があります。しかし、そこからも随分時間が経ちました。
さらに情けないことに神田派直系の弟子は誰もいないのが現状です。
そんなことは下らないノスタルジーで現代では意味のないことだと言う御意見もあります。
それも正しいのですが、”家の芸”やら”一門”やら"派”の言葉をしばしば用いて、講談が伝統芸を標榜している現実がここにあります。
それならば、200年も続く名跡が持つ付加価値とメリットを含めて後進が欲する場合に、綿綿と受継がれてきた師匠から弟子へという系統を無視できないものと思います。
今回の襲名は、名跡を預かる神田昇龍(杉山嘉章)と現神田松鯉先生、神田松之丞さんとの話が円満について、めでたく実現したことです。
心よりお祝い申し上げます。有限会社宮岡博英事務所