僕だってそうだ。映画を作ると取材に応じなければならないが、創作の過程や作家の想いを世に晒すというのは思った以上に苦痛が伴なうものである。作品がそこにあるのに、作者の言葉など蛇足にしかならないだろうと内心では思ったりしながら、まあそれでも宣伝になるのならと止むを得ず忸怩たる思いに堪えるのである。
梶井基次郎の『檸檬』のクライマックス、主人公が檸檬を画集の上に置いて逃げるように、作品を世に送り出したら、部屋で布団でも被って世間との交信を一切断ちたいくらいである。これが日記世代の悲しい性というものだろうか。承認欲求なんてクソ喰らえ。本当は誰にも見せたくないのである。
ところが彼女はまさにその承認欲求世代のカリスマである。その成長過程を、余すところなく世間に晒し、賛否両論浴びながら、時に炎上しながら、進化してゆくという荊棘の道を選んだ。そんな彼女のカルマやトラウマを僕は『半径5メートルの野望』というエッセイで読むことが出来たが、読み切れていない著作の中にもきっとまだいろいろ書かれているのだろうと察する。
読者との関係が極めてインタラクティヴである。小説という作品を書きながらエッセイも手掛ける作家は数多くいるが、オンラインサロンやソーシャルネットワークを使った様々な活動を通じて、わざわざ他人の言葉を浴び、傷つき、炎上するような発言を繰り返し、それをまた創作の燃料としてリサイクルする。合理的だが普通だったら身が持たない。精神が持たない。こんな作家、かつていただろうか。
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