351.副ギルド長による解説と養子の話
午後のお茶の時間、ダリヤは商業ギルドの副ギルド長室に来ていた。
部屋には昨年の冬に設置された温熱座卓がある。
艶やかな
これまで何度かここでお茶を頂いているが、いまだにリラックスできない。
ちなみに、商業ギルド長室も温熱座卓で執務が行われ、希望する部署には温熱卓、休憩室には温熱座卓を入れ始めたそうだ。
開発者としてありがたい反面、普及の早さに驚くばかりである。
ガブリエラの勧めに従い、ダリヤは向かいに座った。
本日の副ギルド長の装いは、深い青のドレスのようだ。もっとも、上半身しか見えないのでわからないが。
ダリヤはルチアお勧めの茶のロングキュロットスカートを穿いてきた。皺になりづらい生地なので、仕事で座る時間が長い場合に便利である。
「冷めないうちに頂きましょう」
天板の上に乗るティーカップには紅茶ではなく、
隣の大きめのオレンジケーキからもいい香りがしている。
昼食はしっかり食べたはずだが、空腹を感じそうだ。
「こうしてダリヤと話すのも久しぶりね」
「はい。いろいろありましたから……」
お茶を一口飲み、浅く息を吐く。
温熱座卓をはじめ、各種の魔導具開発、確認に検品、魔物討伐部隊との打ち合わせ、自分のお披露目――とても密度の濃い日々だった気がする。
「さて、ここのところ『囲まれて』いるみたいだけど、ダリヤに自覚はあるかしら?」
ティーカップを持つ手に、ちょっと力が入った。
確かに以前、商業ギルドの女性何人かに囲まれたことはある。
ヴォルフを紹介してもらえないか、彼の趣味や好みを教えてもらえないか、そんな話だった。
だが、それは当時商業ギルド員であったイヴァーノが注意をしてくれ、それ以後は少なくなっていた。
それを心配されているのだろうと思い、首を横に振る。
「いえ、もうヴォルフの紹介を頼まれたり、嫌がらせなどはされていませんので、大丈夫です」
紺色の目がすうと細くなり、困った子供を見るような目を向けられた。
ダリヤの答えは不正解だったらしい。
「イヴァーノかヴォルフレード様が教えてくれているかと思っていたんだけど、ないみたいね。ダリヤに言わないで守ろうとしている家があるわ。私の解説は要る? それとも今のままにしておく?」
「……伺っておきたいです」
おそらくはスカルファロット家だろう、そう思いつつも願った。
「スカルファロット家の馬車の御者、ロセッティ商会にときどき手伝いに入る御者、あれは全員スカルファロット家の騎士よ。運送人も息がかかった人達ね」
「そうでしたか……グイード様が貴族後見人なので、ご心配頂いているのだと思います」
皆、とても礼儀正しく、姿勢がとてもいい者達ばかりだったことに納得する。
移動を安全にという心配りがあるのは、昔の馬車の襲撃があったせいかもしれない。そんなことを考えていると、ガブリエラの言葉が続いた。
「次にディールズ家。年末のお披露目で、ダリヤはご夫婦の間に立ったわよね? 普通なら並びはジルドファン様、ティルナーラ様、その隣にグイード様かヴォルフ様、次にダリヤよ。夫婦の間に立たせるのは、それだけ気にかけているか、もしくは娘扱い。それだけ大事な取引関係にあるか――いずれディールズ家の養女にするんじゃないかって噂が流れているわ」
「え……?」
「あとはバルトローネ家ね。グラート様の奥様、ダリラ様と似た化粧、ドレスのデザインも似せたわよね。元々髪の色と目の色も似ているから、親戚と言われてもうなずけたわ。それで、あなたがダリラ様の遠縁ではないかとも言われているの」
「あの、それはただの偶然では?」
「いえ、遠縁の噂自体、
「は……?」
「それと、ベルニージ様のドラーツィ家。派閥違いなのにお披露目に出て、あなたと見事なダンスを踊ったから、そちらのつながりとも噂されているわ。だから、最近、あなたへのお見合いや声がけはなくなってきているはずよ」
ダリヤは相槌も打てなくなる。
スカルファロット家だけで終わったと思った話が、侯爵三家に広がっていた。
魔物討伐部隊の相談役という役職のためだと思うが、どうしてそういった方向になっているのかがわからない。
貴族の礼儀作法の本にも、そんなことに関する説明書きはなかった。
「あの、どうしてそういったことを、私にして頂いているんでしょうか?」
「ダリヤがそれぞれの家を強く結び直したからよ」
「グラート様とジルド様は元々友人だったのですから、ただ仲直りしただけだと思います。それにベルニージ様は以前、魔物討伐部隊員でしたから」
談笑していた三人を思い出し、ダリヤはそう答える。
「当主同士が遠ければ、家同士の距離は空くものよ。グラート様とジルド様の付き合いが戻った、そこにベルニージ様もいることで、家同士が以前よりも強く結びついた。それぞれの家に利益があるの。だからダリヤに、良い言い方であれば恩を返そうと、悪い言い方であれば囲いこもうとするわね」
「すみません、理解が追いつきません……」
男爵位の決まっているダリヤだが、どうにも貴族のこういったことは理解しづらい。
考え込んだ自分に、ガブリエラは続けて説明してくれる。
「今、侯爵は七家あるわ。間もなくスカルファロット家が上がって八家になるけれど、同格とはいざというときに手をつなげる関係にしておきたいものよ。当主の友情復活や前当主の活躍は喜ばしいことだけれど、各家の裏方にしてみれば、家同士の関係改善の方が上。特に、国中で誉れ高い魔物討伐部隊長と、国の財布の紐を握る王城財務部長、その家同士が完全に手を組んだら、結構怖いと思うわよ」
遠征用コンロから始まり、ジルドに勘違いされ、勘違いもした。
だが、納入が決まった後は二人に何かとお世話になり――どう考えても、すでに恩など利子をつけて返されている。
「ガブリエラ、私はどうすればいいでしょう? 何かお返しをしなければいけないのでは?」
「笑顔で受け取りなさい」
ガブリエラに仕事向けの優雅な笑みで言われ、思わず固まった。
「ダリヤが計算してやったかどうかはどちらでもいいの。あちらはあなたに説明せずに動いているくらいだもの。いい結果を得て、その御礼をしてくれているのだから、素直に受け取りなさい」
「……はい」
うなずいたものの、なんとも言えない罪悪感を覚える。
「それにしても、皆様、過保護と言っていいくらいね。私からすれば、何も言わずに守られている方が安心なんてことはないのに。後で知ったときに胃にくるじゃない」
「ガブリエラ……」
元庶民らしい台詞に、ついその名を呼んでしまう。
こちらを見る紺色の目が、悪戯っぽく光った。
「私が夫の『網』を知ったときは、驚くより呆れ果てたし、『動く前に最低限は説明して』って怒ったわよ。そもそも、自覚した方が安心だと思わない?」
「そうですね……」
ガブリエラの夫は商業ギルド長のレオーネだ。
さぞかし大きく丈夫な網だったのだろう。内容について興味はちょっとあるが、尋ねるのがなんとなく怖い。
だが、それよりも実感するのは、自分の気づきのなさと弱さである。
「私は貴族の考え方がまだまだ理解できなくて。せめて皆さんに迷惑をかけないくらい、しっかりできればいいんですが」
「あら、私だって、まだ『ほどほど』よ。夫のおかげでできているところが大きいし」
自分の力と、夫である商業ギルド長の力を一緒にしないのがガブリエラだ。
それでも、平民の商会長や各種の職人を束ねる手腕は、商業関係者なら必ず耳にすることだ。
貴族以外であれば夫よりも腕が長い――そんなふうにも言われている。
「ダリヤぐらいのときは、私はもっと右往左往してたわよ」
「ガブリエラが慌てているところが想像できません……」
「時間っていうのは力にもなるものよ。有意義に過ごせればね」
ガブリエラが笑顔でオレンジケーキを食べ始め、ダリヤもそれにならう。
フォークでスポンジ生地を崩すと、中からじゅわりとオレンジリキュールがにじんできた。
甘みと苦みのバランスが最高にいい、大人の味だ。
「うちにヨナス・グッドウィン様の養子の打診があったわ」
食べながら、いきなりの話に驚いた。
だが、レオーネは子爵当主でもある。養子先の候補にはいいのだろう。
「そうでしたか。周りではあまり養子をとっているという話を知らなくて」
「貴族は庶民よりも養子が多いけれど、養子自体、この国では特別なことじゃないもの。うちもできるなら、イヴァーノを養子にとりたかったわ」
ガブリエラの冗談に、笑みながらうなずく。
イヴァーノが商業ギルド長のレオーネ、そしてガブリエラの息子になる――ヨナスよりよほど違和感がない気がする。
「私も嫁ぐ前に養子に入ったわよ。遠方の貴族の家に」
「そちらでしばらく過ごされたんですか?」
「いえ、領地の方には一度行っただけね。そもそも、王都から遠く、やりとりが少なくて済むだろうって夫が決めたところだし。一応挨拶はしてきたけれど」
「やっぱり緊張しました?」
「その覚悟はしていったんだけど、夫と――あの頃はまだ婚約者だけど、一緒の船旅が印象的すぎて、緊張も飛んだわ」
「印象的というと、何か素敵な思い出が?」
船の上、二人でどこまでも続く大海原を堪能するとか、夜空を見上げるとか――そんなロマンチックな想像をこっそりしていると、ガブリエラが窓の外、遠い空へ視線を移した。
「寄り添って夕日を見ていたら、航路にクラーケンが出てきて、護衛の魔導師が火魔法で焼いたの。そうしたら、今度はサメが寄ってきてしまって……サメがクラーケンを食べている間に、帆に魔導師が風魔法、船員が風の魔石を使って、全力で移動したわ」
「うわぁ……」
印象的すぎて泣ける。本当に船が無事でよかった。
ダリヤは脳裏に浮かぶかわいそうなクラーケンと怖いサメを打ち消しつつ、残りの緑茶を飲みきった。
「まあ、それはそれとして。ダリヤとしてはヨナス様の養子先に希望はある?」
「いえ、それは私が言えることはありません。いいお家が見つかることは願っていますが」
「本当ならとうに見つかっていてもおかしくはないわね。子爵以下なら魔付きでもスカルファロット家とぜひ
「じゃあ、どうして見つからないんでしょうか?」
「止めている人がいるのでしょうね。もっとも
「上?」
「ええ、スカルファロット家と対することができるくらいとなると、限られてくるもの」
そう言われても、ダリヤには思い浮かぶ人の名も、家の名もない。
ただわかるのは、ヴォルフと同じく、自分にはどうにもできないということだけ。
だが、その考えを打ち消させるように、ガブリエラが続けた。
「うちはスカルファロット家とはそれなりの近さだし、多少、上の家に言われたところで問題ないわ。
ダリヤが、いいえ、ロセッティ会長が望むなら、動くわよ。それぐらいにはロセッティ商会は商業ギルドに貢献しているし、家でも利権をもらっているから、遠慮なくおっしゃい」
「ありがとうございます。ヨナス先生が望まれたときは、ご相談させてください」
この際、仕事絡みでも利権でもいい。
ヨナスにもグイードにもヴォルフにもお世話になっているのだ。
困っているときは少しでも何か手伝いたい。
もっとも、この場合でも、自分は紹介だけで、何ができるというわけではないのだが。
次に会ったときに決まっていないようであれば、ヨナスに話をしてみよう、そう思う。
「ところで――この前、ヴォルフ様のお屋敷から、夜遅くに送られて帰ったことがあるでしょう? あれは完全に『身内扱い』よ。ダリヤはもうその覚悟はある?」
馬車の移動か、緑の塔前か、どうやらガブリエラの家か、商業ギルドの馬車とすれ違っていたらしい。
ヴォルフと話に興じていて、まったく気づかなかった。
「身内というか――あれは、夜、馬車の安全を心配してくださったんです。その、スカルファロット家ですから」
「……そう」
ヴォルフが子供の頃の襲撃について、子爵夫人のガブリエラならば知っているかもしれない、そう思って尋ねてみると、あっさりうなずかれた。
この話は、先に進めぬ方がいいだろう。ダリヤは話題を変えることにした。
「でも、お見合いの話がなくなったのはありがたいです。商会員に断りの手紙を書いてもらうのもどうかと思っていたので」
最初はイヴァーノが、冬からはメーナが書いてくれていた。
メーナにいたっては完全に文面を暗記し、いつの間にか雛形を見ずにさらさらと書けるようになっていた。
向かいで魔導具の仕様書を書きながら、なんとも申し訳なくなったのを覚えている。
「お見合いも出会いのひとつよ。ダリヤ、もし結婚を考えることがあったら声をかけて。あなたにぴったりな男性を紹介するから」
「ないと思いますが――お気遣いとお声がけをありがとうございます」
そろそろ、ガブリエラは会議の時間である。
ここまでの話を内で反芻しつつ、貴族的な礼を述べて立ち上がった。
その背中でつぶやかれた言葉は、ダリヤの耳には届かない。
「本当にぴったりの男性で、今すぐまとめたいところなのだけれど……」
ご感想、メッセージ、誤字指摘をありがとうございます!
いつもありがたく拝読しております。
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